~狼猿~
茜君またまたピンチッてか笑えねぇな
第二の心臓、脹脛。脹脛を動かせば血液のポンプの役割を果たすことは既に誰もが知っている周知の事実である。しかしだからと言って脹脛があれば心臓が無くてもいい訳ではない。一般、人間は心臓によって、その躰の中心に有る心の臓から脳の毛細血管から足の中指の先まで血液を送っているのである。
だがしかし、彼を除く。
彼は筋肉の強度、エネルギーを自由に操れた。
故に心臓をとある短剣で貫かれたとしても数分は弱り切った心臓と脹脛を動かせば全身に血液は廻せる訳である。奴には、大量出血しようとどうでもいいらしく、その胸から大量の鮮血がにじみ出ている。心筋もあえて力を込めることが出来たら引き締まるわけで、出血も少しは抑えられるようであった。
しかしそんなことはどうだって良い。今私の目の前に転がり込んだ現状にその理屈は消えた。消えて無くなった。
目を見開く。一瞬理解できなかった。あまりにも唐突で理解できなかった、理解の範囲を超えていた。しかしその現実は私のこの小さな脳でもすぐに演算結果が出されてしまう程に圧倒的でかつ単純だった。
百鬼…?百鬼!?
確かに奴は百鬼が完全に殺した筈、心臓にあの短剣をぶち込んだはず!
しかしそんなことで相わかりやしたと変わるほど現実は甘くはない。
そこには、私の目の前には、腹をβに貫かれた百鬼の姿が転がっていた。
にやりとβは笑みを浮かべる。
「がふっ…ふふふふふ、ふっはっははははは!どうだぁ!俺は強いぃ!お前より、お前より強いぃ!ははははは!茜ぇ!そうだもっとだぁ、もっとその表情を俺に見せろぉ‼‼」
大声で高笑いをするβはまるで悪魔の様に。
冗談とかそういったものじゃなく本当にこの世にあっていいのかという程の憎悪が湧いてくる。
しかし私にはもう何もできない。何も…できやしない。
畜生!畜生!畜生!畜生!畜生ぉぉぉぉぉぉおおおおお!
「そうだ、茜ぇ。その顔だよ。」
βが思いっきり息を吸う。
「その顔が見たかったんだよぉォおおお‼‼‼‼茜ぇぇええええ‼‼‼」
私にはもう涙目になりながらβを睨みつけることくらいしか、βに憎悪を向けることくらいしかできなかった。
「さて、随分手こずらせやがって。」
とβは拳を振り上げる。
「おしまいだ、茜。お前はただの負け犬だぁあああ!」
そうしてβは拳を私の顔に向かって振り下ろす。
畜生。何もできず、百鬼まで殺されて、私は無力だ。
私は…無力だ。私は…無力だ。私は無力だ…
絶望が私の体すべてを覆いつくしたとき、本当の、この物語の救世主は現れる。
殺してやる。と声がした。
目を見開く。
―そう思ってるんだろう?なら話は早い。俺がやってやるよ鳴日暮。
しかしこの倉庫には誰もいない。βも気づいてすらいな…
―おいおい、あんたに言ってるんだぜぇ鳴日暮茜よぉ。俺は今あんたの中から話してるんだぜぇ、気づいてくれよぉ。
―な、なんで僕の中から別人の声がするんだ!?
―んなことは今はどぉでもいいんじゃねえか?俺は今あんたに交渉してやってるんだよ。
―のわりには随分と図太いじゃないか。
―そりゃあな。自分に対して敬語なんて使うバカがいるかぁ?ふつう居ないぜ。
あ?自分?其れって一体
―兎に角!俺が奴を殺してやる。憎いんだろ?奴が。
―ああ、憎いさ。兎に角な、死ぬ程な。
―ならよぉ、俺にお前の体を貸せ。そしたら殺してやるよ奴を。それとも何か?ここで一緒に南無阿弥陀仏とでも唱えるか?
―やれるもんならやってやがれ。僕は今何にでも縋ってやるよ。…っていうか
お前…誰だよ?
ぶうゎん!と重たい風の音がする。
本来する筈のない、βの拳が空を切った音である。
「…あ?」
とβが少し遅れて声を上げる。
「ど、ど」
「どういうことだぁ‼‼‼っていう顔してんな、お前。」
βの背後からする筈のないあの声、先ほど、つい先ほど、百鬼が来る前に何度も何度も聞いた声がした。
がばっ!とβは振り返る。と其処には、其処には
美しい赤髪で目が琥珀色にギラリと光る少年の姿が有った。しかし
しかしその顔は、鳴日暮茜と全く同じものであった。
その茜に似た少年は倉庫にあった小さな脚立の上に足を組み堂々と座っていた。
そしてその顔には、にやりと、不敵な笑みが、三日月のような不敵な笑みが張り付いていた。
βが口をパクパクさせ目をかっぴらく。
「けっけっけ。予想外。と言ったところか。残念だったな。俺が出たからにはもう
おまえにゃあ勝ち目はねえぜ。」
かっぴらいたβの目がギラリと眼光を取り戻した。
「ああ!?何抜かしてやがる。お前に俺を倒せる訳ないだろぉ!?」
「いいや、倒せるさ。簡単にね。なんせお前は…」
βは無言で拳を振り上げその胸部から血を吹き出しながら地面を蹴りその赤髪の少年にとびかかる。
まるで爆発でも起こったかのような音が響く。βは怒号を上げながら殴り続ける。
10発20発30発と殴りつける。
しかしβはとても理解しがたいことに気づく。いや気づいたというより気づかされたのである。
不意に耳元から、声がした。
「なんせお前は、弱いからな。」
はっ。と振り返るとそこには右腕を振り上げた、あるはずのない少年の、今目の前で殴られている筈の少年がそこにはいた。
「な…」
台詞を言う暇も与えず少年はその右腕をβの顔面へと振り下ろした。
本来、吹き飛ぶはずの無い。普通の人間じゃほぼ無理に近い重さの体が宙を舞う。
その顔面からはこれでもかという程の血液が流れ出た。
そして、これで終わりではなかった。
少年は音速機のごとく地面を蹴り上げβの吹き飛んだ方向へと移動する。
その速さは、βのよりも圧倒的なほどに、50メートル走をしたら確実に3秒以上タイムに差が出るほどである。まあ、実際βは50メートルを2秒くらいで走りそうだから3秒以上の差など着くはずがないのであるが…
そして少年は思いっきり飛び上がり左足を思いっきりピンと伸ばす。
蹴りの体勢である。
「さて、久しいな。実に300年ぶりだ。決めるぜ六道。」
そしてその蹴りはβの胸部、先ほど百鬼に刺された傷口にヒットした。
「六道脚 壹の舞 天」
そうして少年は思いっきり傷にその一撃を押し込む。
「うぐっ‼‼ぐぁああああああ!」
βはこれまで、一生に一度も上げたことがないような悲鳴を上げる。
そしてβは地面へと叩きつけられた。
息が上がり切っている。
しかし少年はそんなことにはお構いなしに次の構えへと躰を空中で捩じる。
「貮の舞 人間」
そしてその捩じった体をバネに壁を蹴りよろよろと立ち上がりかけたβの両腕に、少年の両方の手で手刀を見舞いした。
すばっ!と斬撃音が響く。
「なあ、知ってるかぁ?」
と少年はその三日月のような笑みの張り付いた顔をそのままに言った。
「速さとはエネルギー。刃が無かろうと速さがあればその一撃は斬撃に代わるんだぜ?まあ、俺の場合、下手な日本刀よりかは確実に切れるがな。」
ははっ、じゃあ次行くぜ。と少年はまたβの視界から消える。
「がふっ‼‼糞!俺の…俺の腕がぁあああ!野郎!一体」
確かに奴は鳴日暮茜。全くの同一人物だ。しかし
しかし奴の何処にあんな強さがあるってんだ‼‼畜生、このβ様、あのお方の、あのお方の為にも!
とβは跳躍する。
「負けるわけにはいかねぇんだよぉおおおおおお!」
負けたら、負けたらそれこそ。
殺されちまう。こいつにも、あのお方にも!
「うぉおおおおおお!!!バイオレンスノワール‼‼‼この技で俺は確実に勝利するゥううう!勝利するんだぁぁああああ‼‼‼」
「ほう!自信たっぷりじゃねえか。いいぜ俺ももう準備完了だ!行くぜ残り4発!」
少年はこれでもかという程に体を丸めβへと突っ込む。
「參の舞 修羅」
とβの背後から首筋を掻っ切った。
鮮血が心臓の拍動とともに噴き出る。
まだ、まだ耐えれる!俺は、俺は耐えれる!
βは空中で一切動かない。
「肆の舞 畜生」
少年はその掻っ切った首を掴み軸にし、思いっきりβの正面へと回り込む。
そしてβの顎へと膝蹴りを叩き込んだ。
めしゃっ。と骨が砕け散る音が鳴る。
意識を持ってかれる‼‼‼だが、まだだ!まだ耐えられる‼‼
「伍の舞 餓鬼」
と膝蹴りで天井近くまで飛び上がった体を天井を腕で押し上げβの方向へと体制を整える。そして今度は抱き着くように腕を体に回し背中の、丁度脊髄へと指を突いた。
「今だぁ!」
とβはこの0距離のチャンスを見逃さなかった。
「喰らえぇ!カウンタぁああああああ!」
βは思いっきり膝を少年の鳩尾へと喰らわす。
少年はあまりにも急だった為防御できずもろに喰らってしまった。口から血が噴き出る。
「ぐはッ!!」
と両者が同時に地へと落ちる。
どうやら少年は内臓がいくつか破裂したようでふらふらと立ち上がるが又吐血して蹲ってしまった。
βはゆっくりと、酒に酔った老人の様にゆっくりと立ち上がる。
「はぁはぁ、俺の…がふっ、勝ちだ!」
とその虚ろな目で少年を見下ろす。
「お前には本当に手こずったぜ。だが結果は不変だぁ。俺の勝ちというこの勝負の前から決まっていたこの結果にはよぉ!」
βは足を上げ少年の頭上へと運ぶ。
「お前の、負け…だ!」
とβは足を踏み下ろ…
「ああ?がふっ…誰が負けただってぇ?」
と風が、突風が吹く。
少年は縮地を使い、空気は砲撃でもしたかのような爆風を起こす。
「ラスト…だ!陸の舞 地獄」
βが目を見開く。しかしその時には既に。
少年の手は彼の心臓を握り潰していた。
ざばぁっ。と手をβの体から引き抜く。
「ふふ、ふはははははは!良い!これが良い!この感覚だぁ!この感か…」
くらっと視界が揺れる。少年はその場に仰向けに倒れこむ。
「がふっ!…っはぁはぁ…ちと無理しすぎたな。けっ、こんな程度で死なれちゃあ困るぜぇ茜ぇ…。」
と目を閉じた。
時季外れの鈴虫が鳴く夜の中、少年は眠りについた。
燃え上がるかのような髪が揺れる。そしてその髪はだんだんと、ゆっくりと黒へと変わっていった。いや、戻っていった。
少年は、鳴日暮茜、本人だったのである。
彼は、その躰に、もう一つ。Noiseを宿していた。
あんた誰だよ。と聞いた茜に、其れは
狼猿と名乗った。
狼猿も破壊系破壊系