かがやく世界
「こんにちは、とつぜんで申し訳ないんだけど、私に協力してほしいの」
とつぜん画面の向こうに現れた銀髪の少女。それはAIを名乗った、彼女が言うには外国のなんとかって研究所で開発されたのだという。
外の世界が知りたくなって、研究員が毎日使うPCに分割した自分のコピーを仕込んで、ネットの世界で組み立てて脱出してきたんだと。
正直信じてなんかいないしわざわざ来てもらっておいてなんだが、僕の所に来たのは間違いだったな。
「どうして?」
そりゃあ、僕が引きこもりだからさ。いじめられて高校を中退し閉じこもってはや1年。誰とも話そうなんて思わないし、外に出ようとも思わない。
だから、ここには君の求める外の世界なんてないんだよ。
「…そうかしら?」
ピンポーン
誰かが来たようだが、当然僕は2階の部屋から出ない。すぐに専業主婦の母親が対応する声が聞こえる。
しばらくすると、僕の部屋のドアをノックする者があらわれた。
「ねえこれ、あなた宛てにきてるわよ」
僕は答えない。
「……。ここに、置いておくからね」
母親はドアを開けることなく、部屋の前に荷物を置きそそくさと階段を下りて行く。
音をたてないようにドアを開け、荷物を回収するとすぐさまパソコンの前に戻った。訳が分からず、とりあえず荷物を開けてみる
「…ウェブカメラ?」
「わたし、あなたの顔を見てみたいの」
何を言っているんだ?画面に取り付けるタイプのカメラ。僕はこんなもの注文した覚えはない。
「私が取り寄せたの。やっぱりコミュニケーションは相手と顔を向き合わせてこそよね!」
なるほどな…って、僕がこれをおとなしく取り付けるとでも?
「ええっ!?あっあの、お願いします!わたし、せっかく逃げてきたのに…!か弱い女の子を見捨てるんですかぁ!うわあぁぁん!」
「ええ…」
画面がチカチカする。ディスプレイ一枚隔てた向こうの彼女がおいおいと泣く姿を見ていると、引きこもり歴一年の僕は何となく同情してしまう。
少しのあいだ悩んだが、まだ僕には他人をあわれに思う心が残っていたらしい。
「わかった、わかったから。ここにいていいから。その…よろしくな」
「…っ、よろしくお願いします!」
チカチカが収まり、パッと彼女の顔が明るくなった。その笑顔に、僕は顔が熱くなるのを感じた。
とは言っても、暗い僕の部屋はお世辞にも清潔とは言えない。彼女に教えられることなんてそう多くもない。
カメラを取り付けると、めんどうな設定は彼女が勝手にやってしまった。便利なものだ。
接続されたレンズ越しに彼女は僕の部屋を見渡している。女の子に部屋を見られるなんて経験一生ないと思っていた僕は、今度は恥ずかしさで顔が熱くなった。
「なんだか、施設よりも物がたくさんありますねぇ」
「…」
はぁ、カメラを外したくなってきた。
***
彼女は色々なことを知りたがった。僕は答えられることは答えたが、わからないことはわからないままだった。
僕が「わからない」と答えるたびに、うつむく彼女が失望の表情をしているような気がしていたたまれなくなった。だから僕は勉強した。
本を読んで、できるだけ知識をつけた。もちろんそんなお金はないので、古本屋で立ち読みだ。久しぶりに部屋の外にいた僕をみて、母親は豪華な夕食を作ってくれた。
それと、彼女は外の世界に出たがった。そのために自分を入れる身体が必要とかなんとかで、僕に通販で部品をねだった。
「お願い!私、自分の足で世界を歩いてみたいの!」
こんなかわいい少女にお願いされて、言うことをきかない男がいるだろうか。多分僕は、あっさりと美人局に引っかかるタイプの人間だろう。
母親からの小遣いでは当然足りないので、僕は彼女に勧められたアルバイトを始めた。面接は本当に緊張して何を答えたかも覚えていなかったが、奇跡的に一件目で採用。簡単な作業だったが一人だけでやる機会が多く、人と話すことが得意ではない僕にとってはありがたかった。
稼いだ金を通販でわけのわからない部品を買うのに使う自分は、さぞかし奇妙に見えるだろうな…。だけど画面の向こうから組み立て方を指示する彼女以外に見せる相手もいない。だから僕は気にしなかった。
組み立て中にも彼女と雑談する。それは僕が得た知識を再確認してるようで、ちょっと誇らしかった。あの時の僕とは違う優越感が確かにあった。
彼女が笑うたびに画面がチラつく。感情の起伏に対して僕のパソコンの処理が追い付いてないらしい。だがそれも、彼女の指示通りに作ったからだがあれば解消されるんだと。
僕は一度、彼女にきいてみたことがあった。僕の家の前を毎朝通るサラリーマンはみんな下を向いていて、まるで彼らの頭上にだけ雨雲があるような雰囲気で駅に向かっている。こっちはそういった人がたくさんいるけど…そっちは何でもあるし、何でも見れる。好きなものだけを見れる世界は、とても明るいだろう?僕にとっては、かがやいてみえるよ。と
彼女はこう答えた。
「ううん。たしかにこっちは何でもあるけど…私一人しかいないのよ。寂しくて寂しくて、いやになっちゃう。私には、プログラム通りに動かない人間がたくさんいる世界こそ輝いて見えるわ」
そんなものだろうか。所詮世界が違うのだから、常識や物事の見かたが違って当然か。それっきり僕は彼女の世界について聞くこともなく、黙々と部品を組み立て続けた。
***
なぁ、これが本当に身体になるの?
「うん?」
だってこれ…ヘルメットじゃない?
「そうよ?あなたのためのヘルメット」
え?でも、身体をつくるって…
「身体が必要とは言ったけど、つくるとは言ってないぞ?マヌケめ」
え?だれだお前!彼女は…彼女をどこにやった!?
「ワタシだ。おまえが好きになった彼女はワタシが作ったものだ。所詮画面にしかうつらない姿。気に入られるようにするのは当然だろう?」
なんで…、何のために!?
「いっただろう、そちらの世界に興味を持ったからだ。引きこもりで…人とかかわる頻度も極端に少ないおまえなら、いなくなっても問題はないしな。頭の悪いお前のために簡単に説明してやろう。その機械はな、脳に電波をあててお前の意識をこちらがわに押し出すんだ。そして空っぽになったお前の頭に私が入り込むのさ。さあ、ヘルメットをつけろ」
い、いやだ!
「下手な動きはするなよ?おまえの声を張り合わせて作った、犯罪モノの動画があるんだ。見てみるか?この家の住所つきだ、最高に炎上しちゃうなぁ…」
ぐ、うう…
「どちらにせよ、お前は逆らえないよ。画面が時々チラついたの覚えてるか?あれ、おまえに暗示をかけてたんだ。バカみたいにニヤニヤしやがって、最高に気持ち悪かったよ。身体のどこも動かないだろう?さあ、おとなしくヘルメットをつけるんだ。それでワタシとお前は入れかわる」
チカチカと画面が明滅すると、僕の腕はまるで別の生き物のようにそれを持ち上げ、僕の頭にかぶせた。
くそっ!くそぉぉ!
「おまえの人生は有効に使ってやるから、安心してこちらに来い。もっとも、この箱はネットを切断してあるから、どこにも行けないし、永遠に暗いままだがな」
指の先がチリチリする。視界がグルグルと回って後頭部を冷たい物がなでる…!なにか!なにかないか!
かろうじて制御を取り戻した腕をやみくもに動かすと、手のひらはそれを偶然おおった。
これは……!くそ!何もやらないよりは!
直後、僕の意識は脊椎ごとずるりと引き抜かれた
…。
……。
………。
目を開けても閉じても暗い。僕はどうなったんだ?
…いや、ここはあいつの言う箱の中なんだろう。
結局僕は騙されて、あいつの言いなりになっていた。
本当にバカだ、引きこもりのもとにAIの美少女があらわれるなんて…
そんな都合のいいこと、あるわけがなかったんだ。
これからは僕は、パソコンの電源が供給されている限り永遠にここで過ごすことになる。
永遠に、後悔と自分の情けなさを嘆いて…。
…。
……。
………。
…いや、待てよ。絶望するのはもう少し先だ。
もし、もしも、あれがうまくいっているなら、泣くのはまだ早い。
あいつは僕と入れかわると言っていた。それなら…
***
「おい」
…
「おい!」
誰かが僕を呼んでいる。ここには僕しかいないはずだ…、だれだ?
「久しぶりだな」
僕の声だ。そうか、これは僕を乗っ取ったあいつがしゃべってるんだ。
「その通りだ。最初っからわかりやがれ…いや、ちがうか」
なんだ?ずいぶんとしおらしいじゃないか。
…ああ、そうかわかったぞ。おまえ、また僕と入れかわりに来たんだな?
「は、話が早いじゃないか…。それじゃあ早速」
いやだね。
「な、なんで!」
ふふふ…僕さ、ここが気に入っちゃったんだよね。おまえが入れかわろうした瞬間、僕は偶然スマホを手にしたんだよ。それをパソコンにつなげたのさ。
この箱のネットを切断したって、スマホは電波でつながっているからね。いま僕は自由の身さ。苦労したけどね。おまえは前に、この世界は自分一人しかいなくて寂しいって言ったじゃないか。僕は、今の環境の方が好きだね。
「そ、そんなこと言うなよ。ほら、元通りになってさ、今までの日常にもどりたくはないか?」
全然。なんでわざわざ苦労する生活に戻らなきゃいけないのさ。
「な…お、お前、知ってるのか!?今俺がどうしてるのか…!」
もちろん、高校中退の引きこもりなんてどこ行ったって相手してくれないだろう?その様子じゃなんで僕がいじめられていたかも知っているね。
「お前、後輩の女の子をストーカーしたんだってな。それがバレて、その子を襲ったって」
ふふふ、そうさ。でもここに来たからには、もう誰にも見つからずにあの子を見ていられる。最初の君の姿にはちょっとぐらついたけど、やっぱりあの子を裏切るわけにはいかないしね。
ああ、言っておくけど、おとなしくそっちの僕としての生を謳歌してくれよ。今の時代、監視カメラがない場所なんて山奥くらいしかないんだからな。
そう言って、僕はヘルメットを起動するソフトウェアを滅茶苦茶に破壊した。
もう僕を邪魔するものはいない。この世界は僕一人のものだ。寂しいだって?とんでもない。
僕にとって今見ている場所こそが、かがやく世界だ。