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烈火のごとく  作者: 八橋 京人
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逆転

1926年、5月7日 ドイツ第三帝国は、大日本帝国との国交の断絶を宣言した。理由は日本による一方的な隣国への侵攻と併合であった。

ところが、日本の駐独大使館から人員が帰国しようとしていた矢先、ベルリン市民は日本大使館を焼き討ちし、全員を虐殺するという事件(駐独日本大使館襲撃事件)が発生する。当然この事件に帝国政府は激怒し、賠償金の支払いと、実行犯の処罰を要求。しかし、この要求をドイツ政府は拒否し、両国間の関係悪化が決定的になったところでフランス政府が仲介。賠償金は日本側の要求の半分近くとなったが、表向きは何とか和解した形となった。が、あくまでも和解は表面上だけであり両国国民の相手国に対する怒りは決して消えたわけではなかった。




この事件をきっかけに陸軍が望んでいた日独同盟の締結は夢のまた夢となり、これまで高らかに同盟締結を叫んでいた陸軍親独派は勢力を失った。しかし、彼らは諦めたわけではなかった。ドイツにも黄色人種差別よりも日本との軍事同盟によって生まれるメリットを優先して同盟締結を望む勢力が存在し、親独派は彼らと独自に交渉を続けていた。実際交渉は上手く行っており、それに加えてドイツ親日派はボルマン総統の派閥の次に大きな勢力を持っており、当局の説得も行えるらしかった。だが、何度この事実を政府に進言しても、


「ドイツは我々黄色人種の絶滅を国策としている危険で野蛮な国である上に、国民のドイツに対する怒りは収まっていないため、同盟締結は不可能だ。」


と、殆ど相手にもしてもらえなかった。

ついに痺れを切らした親独強硬派は、天皇の賛成を得るために皇居を占拠し、現政府の首脳部を暗殺する計画を立て、1926年8月22日、後に8.22事件と呼ばれる日本史上最大のクーデターを実行に移した。



計画始動当初は作戦は完璧に遂行されていった。

皇居内に陸軍兵3000が侵入し、さらに、内閣を構成している軍部の高官たちを暗殺するため、都内各地に散った兵たちからも続々と成功の報が入った。


このクーデターは、開始されてから5時間で鎮圧された。付近に展開していた海軍陸戦隊と近衛師団の連合軍が都内の陸軍兵を一掃した。実は、既にクーデターの情報を掴んでいた宮内省と海軍省は、いつでもクーデターに対応できるよう、しかし、強硬派に勘付かれないようじっくりと準備を進めていた。

そして事件後、実行犯への尋問によって衝撃の事実が明らかになった。このクーデターの首謀者は反独派として首相となった元陸軍大将 狩野首相だったのである。


その後、逮捕された首相を始め、強硬派の暗殺などによって多数の有力な人員を失ったために、これまで盤石の体制を維持してきた陸閥政府は崩壊。クーデターは結果として、陸軍の同士討ちによる自滅に至った。



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