クラウンの涙
クラウンとピエロは違う。ピエロなんて、ジャグリングに失敗して、大玉の上から転げて、観客から笑われる。そう、ピエロは観客を笑わせるのではなく、観客に笑われるのだ。
対して、僕は誇り高きクラウンだ。白のメイクに赤い鼻。目の周りにも派手な色があしらわれている。多少おどけたりもするけれども、ジャグリングを完璧にこなし、大玉を乗りこなし、観客から拍手喝采を浴びる。この歓声を聞けば、僕の言うことを信じない人はいないだろう。
観客からの拍手を浴びながら、僕は深々と頭を下げる。
万雷の喝采は何物にも代え難い快感だ。この瞬間の為に、僕は普段からの苦しい練習を乗り越えられるのだと思う。
顔を上げて、辺りを見回す。そこでは老若男女みんなが笑顔で拍手をしている。その中にただ一人、つまらなさそうにこっちを見る少女が目に入った。不機嫌そうな瞳で、彼女は膝を抱えている。
周りの客がある程度帰った後も、少女は膝を抱えたまま帰らなかった。
「なあ、おい。帰らないのか?」
「別に、私の勝手でしょ」
そう言って、彼女はそっぽを向く。確かにそう言われてしまってはどうしようもない。けれども、彼女だけが僕の演技に拍手をしてくれなかったことが悔しくて、つい突っ掛かってしまう。
「僕のジャグリング、凄いと思わなかったかい?」
「どうしてそんなことを訊くの?」
「いや、みんなが拍手をくれたときも、君だけはつまらなさそうだったし」
「凄いとは思ったわよ」
「じゃあ……」
「でも、凄いだけで面白くはなかった」
そう言って彼女は立ち上がる。
「それじゃ」
と、彼女は駆け出して行ってしまった。
翌日も、翌々日も僕のパフォーマンスは大盛況で、彼女はつまらなさそうな顔で膝を抱えていた。
「なあ、僕の演技は面白くないんだろ? じゃあ何で毎日来てるんだい?」
「言ったでしょ、面白くはないけれど、凄いとは思うって。時間を潰す分にはそれで充分」
そう言うと、今日もまた彼女は走り去ってしまった。
僕のパフォーマンスは彼女にとっては暇潰しにすぎないということか。彼女の言葉に、僕の中のクラウンとしてのプライドに火が付く。
なるほど。ならあの女の子を笑わせてみせようじゃないか、と。
その日以降、僕はパフォーマンスの内容に改良を加えていった。動きをもっとコミカルに。表情も大げさに。
けれども、少女だけがやはり笑わなかった。
その日も残った彼女に訊ねてみると、
「前よりはマシになってきているわよ」
と、上から目線のありがたいお言葉を頂いた。
何様だよ、とは思ったものの、僕のプライドが余計に燃え盛ったのも確かだった。
そうやって日々改良を加えていった僕のパフォーマンスは、けれども完全に行き詰ってしまっていた。どうやっても彼女を笑顔にすることができない。
その日もジャグリングをしながら彼女の表情を見てみる。少女は相変わらず膝を抱えて座っている。
――ああ、もう。一体どうすればいいんだ!?
と考えたその瞬間だった。
掴もうとしたジャグリングのクラブが手から滑り落ちた。
――しまった、少女に気を取られ過ぎた!
カン、と甲高い音が響いて頭の中は真っ白になる。クラウンとして、あってはならないミス。けれども、ここで観客に不安を煽るのはもっと許されない。
僕は残りのクラブをわざと全て落とし、大げさに頭を抱えた。
と、同時に今までに経験した中で最も大きな笑い声が響いた。
ホッとすると同時に僕の目は確かに捉えた。少女の口元が緩み、目元が細くなっていたのを。
僕はついに彼女を笑わせたのだ。
……いや、笑われたのか?
けれども少女は笑ったその翌日から、姿を見せなくなった。
翌々日も、三日後も、一週間が経っても彼女は来なかった。そして、僕は気付いた。ここ最近の僕のモチベーションは彼女を笑わせることにあったのだと。
そこで、僕は常連のお客さんに少女の事を訊ねてみた。
そして、僕は彼女の死を知った。
少女はこの辺りでは有名な女の子だった。彼女は小さな頃から家庭で虐待を受けていたのだ。あの日の夜、彼女は行き過ぎた虐待によって命を落とした。
彼女が毎日僕の元に来て時間を潰していたのは家に帰りたくなかったからなのか。
その事実に気付いてあげられなかった自分が不甲斐ない。そう思うと、悔しくて涙が止まらなかった。けれどもきっと、彼女はこれまでに、僕以上に涙を流してきたのだ。
僕は涙を拭って胸を張る。あの日、最後の日、彼女を笑顔にすることが出来たということが誇らしくて胸を張る。
そして、僕はメイクの上に涙のマークを入れた。
これまで流した彼女の涙は僕が引き受ける。彼女にはこれからも笑ってほしい。彼女の為ならば、僕は喜んで道化になろう。
今日から僕はクラウンとしてではなく、ピエロとしてクラブを放り投げる。




