第ニ話 『希望』
六月十日、金曜日。昼休みに教室で、僕は自分の席――最後列の真ん中に座り、騒がしい教室の中読書を楽しんでいた。
読書中は、特に小説を読んでいる間、なぜかコデックスはかなり大人しい。この事に気付いたのは数年前だけど、今では、マンガや小説にノンフィクション、読めるものならなんでも好きだ。
唯一の問題は、こうしてばかりいると友達が全然できない事だけど、そんなのは些細な問題だと思う。友達も、全くいないわけじゃないし。僕は量より質という考え方が好きなんだよね……!
「――よぉ、はーるちゃん!」
不意の呼びかけに顔を上げると、目の前には僕が唯一旧友と呼べる人間、京崎光人の姿があった。
「その呼び方は止めろって……」
「えー、いいじゃん。似合ってるって」
光人とは長い付き合いだけど、昔から成績優秀、容姿端麗、文武両道の超人である。
中学の勉強なんてフィーリングだと本気で主張する天才で、バスケ部のエースとして毎日練習に明け暮れている。
憎いやつだけど、光人は僕にとって、友人というか、恩人とも言える人間だ。
「――それより、今日のアレの事だけどさ」
光人は、急に声を落として言った。
「今日のアレ? ……あぁ、班決めの事か」
「……それだ。手筈通りに頼む」
「はいはい、言われなくてもわかってるよ」
この能天気な奴にコデックスの秘密を話したのは失敗だったかもしれないな。
僕はその時、授業開始3分前を示す時計を眺めながら、呑気にもそんなことを考えていた。
* * *
腰まで届く長い黒髪を揺らし、気品を体現するかのように優雅に立ち上がる少女を僕は横目で伺い見る。
夜久明理。
どの学校にもいるだろう、全校生徒が満場一致で認める美少女。この学校では彼女がそれだ。彼女は成績や身体能力では光人に及ばないものの、その完璧に整った容姿は学校でも群を抜いている。
全学年に彼女のファンクラブがあるらしい。
いつでも凛として気品溢れるその様子に、当然人望も厚く、一年生にして生徒会長に当選するという偉業を成し遂げた程である。
だから、全くの偶然で、三年の始業式で彼女の席が僕の隣だった時、僕は嬉しくなかった訳ではない。
でも、これがライトノベルの世界だったら期待する所かもしれないけど、この二ヶ月、特にめでたい出来事が起こったわけでもない。
そもそも、僕と彼女とでは天秤も振り切るような差がある事はわかっている。
ところで、僕たち三年生は修学旅行が目前に迫っている。
旅行中は基本的に数人の班で行動するんだけど、この学校では班を生徒が自由に決める権利は与えられず、平等にくじ引きというのが建前だ。
彼女がさっき席を立ったのはそのくじを引きに行くためだ。
でもまぁ、くじ引きというのは不正もしやすいもので、光人は清々しいほど迷いなく、それを実行している。
先日、光人に夜久明理の修学旅行での班を調べてほしいと土下座で頼み込まれたのである。
――よし、引いたな、こっちも始めるか。
彼女がくじを引くのを見届け、僕は数学のノートにシャープペンを走らせる。
〈夜久明理は今、A班のくじを引いた〉
わざわざ文で書いたのは、その方がコデックスの反応を引き出せる事が多いからだ。
〈夜久明理は今、B班のくじを引いた〉
次の行を書き終えた瞬間、急にあの鈍い痛みが始まった。だんだん強くなっていく。もしやと思い、すぐに残り四つも確かめたけど、頭痛が止む事はなかった。
間違いない、彼女はA班だ。
その時、彼女はちょうど席に戻ろうとしていた。見られないように気を付けて、すかさずノートの一行目を丸で囲む。
* * *
正直、こんなどうでもいいことでコデックスが反応するとは思わなかった。ただ、光人の頼みだと思って試して見たわけだ。
光人も明理も今まで、特にそういった素振りも見せなかったけど、やっぱり天才同士、引かれ合うものなんだと思う。
一部の生徒を除けば皆、あの二人がくっついてくれればこんなにめでたい事は無いと、そう思うはずだ。僕にとっても嬉しくない筈がない。光人は、僕が唯一、心から尊敬している人間だからだ。
* * *
その後、帰宅部の僕はまっすぐ家に帰り、自室の机に座ってノートを開いた。
実は今、僕にとって、友達の恋愛よりやや重要な事が起こっているからだ。――といってもそんな劇的な事じゃなく、明らかにコデックスの様子が今までと違うだけなんだけどね。
まず、頭痛の頻度がかなり減った。
今までは、会話中に事実と違う事を言ったり、嘘をつくとかなり高確率で、また、危険な場所、たとえば屋上の柵とか、崖っぷちに近付くとほぼ確実に頭痛が起こった。
でも、今日は班決めの時以外、頭痛は殆ど無かったのだ。ためしにデタラメな事を言ってみたりしたけど、全く反応が無かった。
そして、重要なのは、班決めの時だけ反応したということ。
もしかすると、コデックスが僕の知りたい事だけを教えてくれる都合のよい奴になったのかもしれない。その僅かな期待に駆られ、僕はノートに色々と試しているわけだ。
だって、仕方ないだろ?
この状況で、『これを使いこなせたら、マンガやラノベの特殊能力みたいでカッコいい』と思わない方が、男子中学生として何か大切なものが欠けてる気がする。
・太陽は西から昇る
・聖徳太子は実在しなかった
・音楽の佐々波先生はズラ
・一年後に富士山の噴火と同時に太陽が爆発する
この四つの内、コデックスが反応したのは二つ目と三つ目だけだった。
一つ目で、明らかに間違っているのに反応がなかったのは、多分、僕にとって既知の事実だからだと思う。二つ目から四つ目はそれぞれ過去、現在、未来のことで僕が比較的気になっている事だ。
コデックスによると、聖徳太子は実在して、佐々波先生はズラではないらしい。誰が噂を広めたのか知らないけど可愛そうだ。
そして四つ目は、未来の事だから100%無いとは言い切れないけど、僕もまさか、本当に起こるとは思っていない。反応無しということは、コデックスは、おそらく未来の事は教えられないのではないかと思う。
といっても、あくまで推測でしかないし、もし予想通りだとしても、かなり使いづらいシステムだ。反応があれば信用できるだろうけど、反応が無くてもそれが正しいとは限らないわけだから。
そもそもYesかNoでしか答えられないなんて、あまりに不便すぎる。未来もわからない。ネットの方が便利なんじゃないか?
……けど、修学旅行か。
いや、まあ、これでも使える状況は無い事もないんだよな……。
たとえばそう、恋愛とか人間関係とかなら、物凄い武器になると思う。相手が自分をどう思っているか、簡単に知れるわけだから。それもリアルタイムでだ。
僕の人生でそんな事に役立つ日は来ないかもしれないけどね。
そこまで考えて、僕はノートを閉じたのだった。
【登場人物紹介】〈神之木恵理〉
ハルトの父の再婚相手。母の死の数年後、同僚の紹介で出会ったらしい。
ハルトやハルトの妹との関係はあまり良くない。
年齢:28才
身長:160cm
体重:53kg
性格:几帳面