第二十二話 『契約』ニ
部屋に入ると、ユキノは「言っとくけど、あんたの事なんて記憶にないんだからね?」と言わなくてもいい一言で念押しした上で、知っている事を話してくれた。
「でも、母親の事はうっすらとだけど、覚えてる。6歳の時に母さんが死んで……一人で逃げてた時、あなたの母親の神乃木妙香に偶然助けられたの。私はてっきり、コデックスに聞いて知ってるものだと思ってた」
「そんな……全然知らなかった。なんで誰も教えてくれなかったんだろう」
「極秘事項らしいからね。先生も立場上教えられなかったんじゃない?」
「え、じゃあここで言っていいのか?」
「私はいいの!」
ユキノは少し機嫌も良くなって、いつもの調子が戻っているようだ。
彼女の話では、仕事という他にも、その時の恩を返す為に僕を助けていたらしい。やっと謎が一つ解けた。
すると、プレッタが僕の目の前に来て、何か話したそうにしている。
「ああ、ごめんプレッタ」
僕はユキノに、プレッタの事を覚えていないのか尋ねた。
「それは……多分覚えていると思う」
「けっこう曖昧だな」
「仕方ないでしょ。もう十年以上も前の事だし……。覚えていると言っても、母さんが妖精がどうとかって話をしてくれた覚えがあるだけで……プレッタとは会ったことないと思う」
「なるほど……。じゃあプレッタはどうなんだ?」
そう言って、用意してきたペンとノートをプレッタに渡した。
プレッタは読み書きもできるみたいだし、いちいち僕が通訳するより、筆談のほうがいいと思ったわけだ。
困惑するユキノに説明すると、プレッタはベッドの上に着地し、礼儀正しく正座した。
そして、ノートに迷いなく、綺麗な文字を書き始めた。
【私が呪いを受けたのはユキノ様が三つの時でしたので、覚えていなくても仕方ないですわ!】
「……そうなの?」
今度は、ユキノが驚く番だった。
【そうですとも! 私は小雪様に仕えていた数百年の中で、時折『不滅の宝蔵』と呼ばれる……あの銀の箱の中で眠ることで凌いでいたんです。そして十三年前、最後に眠りに着く前です。小雪様から、『自分に何かあればユキノに仕えよ』という命を授かったのです。小雪様は長い戦いの中で、自身の力が衰えつつあるという事を自覚しておられたのでしょう】
「母さんが……そんなことを……」
ノートを受け取ったユキノは目を見開いていた。でも、読めば読むほどその表情は明るくなっていく。
【……しかし、眠りから醒めた時は完全に我を忘れており、あのようなご無礼を働いてしまった事、本当に後悔しています……。本当に、アステアの侍女として有るまじき失敗です……】
「いいのよ……私こそあの時はごめんなさい。私も何も知らなかったとはいえ、敵だと決めつけてしまったもの。……それより、母さんとはどんな関係だったの?」
【私と小雪様はアステア王国という国で生まれました。外国から「孤高の大地」と呼ばれる広大な海に囲まれた、暖かく、豊かな島にあります。小雪様は十四の時この世界に逃げ、この世界で「小雪」という名前を授かったのですが……彼女の真のお名前は、リンネ・クラウディアス・アステアル。アステア王国女王アンナ・クラウディアス・アステアルの御息女であり第一王女、正式な王位継承者だったのです。といっても、七百年も前の事ですが……】
プレッタはアステアの王宮で近衛侍女として仕えていたらしい。それも王女専属のだ。近衛侍女というのは、有事の際には戦闘要員ともなる侍女の事を指す。つまり、プレッタはかなり戦力として認められていた事を意味する。
しかし、その力の殆どは小雪からの強力な魔力供給があったからだという。プレッタは小雪と使い魔として契約を結んでいたが、小雪様が亡くなった事によりその供給も絶たれたわけだ。
「つまり、ユキノも王家の血を引いてるってことか」
性格はまさに王族だけどな。という言葉を寸前で飲み込む。
ユキノは、まだ実感がわかないという様子で困惑している。まあ、無理もないだろう。突然、貴方は見知らぬ国の王女だと言われても、直ぐに飲み込める方がどうかしてる。
【私は、ユキノ様に仕える使命があります。私を使い魔にしていただければ、きっとユキノ様のお力になれます!】
「なるほど……そういうことね」
そう言ってユキノは軽く笑ったが、少し困った様子で暫く考え込んでいた。何を悩む事があるんだろう。悪い話では無いはずだ。
「ありがとう、気持ちは分かったわ。ただ、私はそういう……仰々しいのは苦手なのよ。その……対等に仲良くしましょ?」
そう言って、プレッタに右手を差し出した。
プレッタは満面の笑みでノートに【もちろんです!】と書くと、ふわりと浮いて小さな手で握手を返した。
そして、笑ったまま突然啜り泣きを始めたのである。
【ユキノ様……こんなに成長なさって……感激し……】
彼女は感動を伝えようと頑張っていたが、ノートに落ちた涙のせいで最後まで書くことはできなかった。
* * *
という流れで、プレッタとユキノは仲直りができた訳だ。これで一応は一見落着である。
ユキノは機嫌が戻ったどころか、これまでに無いほど上機嫌だった。
二人は暫く、時折笑い声も混じって女子トーク? と言えるのかわからない会話を弾ませていた。
――アステアってどんな所だったの?
――それはもう、素晴らしいところですわ! 自然に恵まれ、なにより魔力の豊富な土地です!
と、こんな感じの会話だ。二人が仲良くなるのはいい事だけど、僕の存在忘れられてないか?
「――ハルト君、ちょっといい?」
すると、突然ユキノが僕の方へ来た。
「え、ああ、どうした?」
今まで見た事ない明るい表情のユキノに何事かと身構えていると、予想外の言葉が出てきた。
「ハルト君にもその……感謝してる」
「……? 感謝されるような事は特に……」
「いいえ、私は、クロエが母さんの唯一の形見だと思ってたの。ハルト君がいなければプレッタとこうして話す事は無かったわ。……ありがとう」
「……えーっと、本当にユキノか?」
「あら、百パーセント本物の私ですけど? どうしたの?」
「いや、いつの間になんというか……清楚になったのかなって」
「ああ、プレッタがお淑やかすぎて移っちゃったのかも」
ユキノとは思えないゆるい答えに、少し笑ってしまった。
「ユキノってジョークとかいうんだな!」
「………………?」
ユキノは、「なんのこと?」と言いたげなとぼけた顔で首を傾げていた。案外天然なところもあるのかもしれない。
「それと、プレッタと話したんだけど、プレッタは私より、ハルト君と契約すべきだと思うの。ハルト君が良ければだけど」
「そうなのか……?」
その提案に僕は更に驚いた。本当にそれでいいのかと聞いたら、どうやら理由があるらしい。
ユキノの説明をまとめるとこんな感じだ。
まず、プレッタは妖精――元の世界では「風の妖精」と呼ばれていたらしいのだが、彼女は契約主を求めている。なぜなら妖精というものは魔力の少ないこの世界では何らかの魔力供給源がなければ弱体化してしまうからだ。
ユキノは魔力量的には十分だが、彼女は一人でも戦える上に、戦闘において魔法は好まない。ならばプレッタの助けをもっと必要としている人と契約するのがいい、という事らしい。
「――それに、あの胡散臭い護衛とやらを監視できるしね」
と、ユキノは締めくくった。護衛というのは多分リオンのことだろう。忘れかけていたけど、ユキノはまだリオンを信用できないらしい。
正直こればっかりは、僕にはお手上げかもしれない。一旦保留しよう。
そして、契約することで何ができるのか、大まかにまとめてみるとこんな感じだ。
★メリット
・念話:プレッタと会話せずとも意思疎通できる。
・スキル「風読み」を獲得する。
半径1~10km以内の大きな空気の流れを把握できる。索敵に使える精度は無い。
・召喚:プレッタが比較的遠距離にいても瞬時に呼び寄せる事ができる。
・風属性魔法の効果増大。
★デメリット
・常に魔力を供給し続ける。
プレッタの見立てだと魔力量はギリ許容範囲らしい。少なくとも、契約が原因で魔力が枯渇して死ぬなんてことは絶対無いようだ。
デメリットはあるものの、メリットが大きすぎる。特に最後の風属性魔法という言葉の響きに胸が高鳴った。「琴線に触れる」とはこの事だろうか。
召喚も便利そうだけど、風読みは……何に使えるかは不明。天気予報とかかな?
「――なるほど、理解した。確かにそれは心強いけど、プレッタは相手が僕でいいのか?」
【ハルト様なら大歓迎ですわ! 私が飢えに我を失っていた時、優しく宥めてくださったご恩、忘れておりません。 そ、それに……ユキノ様と懇ろなお方ならば侍女としても……】
「――そ、そそそそんなんじゃないから?!」
「――それは絶対ねぇから!」
急なプレッタの爆弾発言に僕達は大声で叫んでしまった。
【そ、そうなのですか? 失礼しましたわ。とてもお似合いだったのでてっきり……】
「プレッタ! 前置きはいいからさっさと契約しなさい!」
という感じで、僕とプレッタは契約を結ぶ事になった。
契約といっても、そこまで大掛かりな儀式はいらないらいしい。
ノートの一ページを切り取りそこに魔法陣を書いて、その上で二人の手を重ねて呪文を短い唱える。準備含めて十分もかからなかった。
というか、何かが変わったという気がしない。本当にうまく行ったのだろうか。
――これで、契約成立ですわ! よろしくおねがいします、主様!
「こちらこそよろしく、プレッタ」
そう言って、握手を交わした時だった。
突然体が重くなり、激しいめまいと動悸が起きてふらつく。
――大丈夫です!? ハルト様!!
プレッタの叫び声が脳内に響く中、数十秒程めまいが続いたが、なんとか持ち直す。もう少しで倒れるところだった。
「大丈夫……全然……平気だ…………」
「――まったく……強がってないでこれ見なさい」
と、ユキノが手鏡を渡してきた。それを覗き込むと、死人のような血色の無い顔色が映っている。
どうやら体の魔力がごっそりと失われたみたいだ。プレッタに触れると自動で供給してしまうのか。それともランダムで起きるのか。後で確かめる必要があるな。
しかし、変化はそれだけでは無かった。真っ黒だったはずの僕の瞳が、鮮やかな黄金色に輝いているのである。プレッタの瞳と同じ色だ。
驚いていると直ぐに光は消えて元の黒い目に戻った。
ユキノに言われて、僕は自室に戻って寝ることにした。
それから、いくつか能力を試したかったんだけど、あまりの疲労に今日は断念ぜざるをえなかった。
何も知らないリオンが「どうしたんだ!?」と血相を変えて聞いてきたほどだ。






