第十二話 『覚醒』一
その翌日。七月一日の朝。僕はカーテンの隙間から漏れる朝日の眩しさに、キングサイズの柔らかなベッドの上で、再びこの世に生まれ落ちたかのように新鮮で清々しい目覚めを迎えた。
「パワーが漲る!」とか、「全身から力が溢れてくるぜ!」というようなわかりやすい感覚は特にないものの、五感が研ぎ澄まされ、意識に全くの曇りがない。夜中に珈琲を飲んだ時みたいに妙に頭が冴えていた。
僕はいつものようにシャツとジーンズに着替え、キューブをポケットに入れ、なにも考えず部屋を出た。脳が冴えている分、空腹もいつもより増している。
ところで、このホテルの最上階は僕の部屋があるだけではない。
僕の部屋は最上階の約半分のスペースを占めてるわけだけど、もう半分にはとあるレストランが存在している。そのレストランは基本的に重役が貸切って使う為、テーブルは少ない。ここ最近の重役というのは僕達三人で、窓際の席を囲んで食べることが多かった。
料理の格付けはできないけど、味が最高峰であることは僕にもわかる。卵とベーコンとトーストを焼いただけの料理がなぜこんなに美味しいんだろう。あまりに美味しすぎて無言になってしまう。なにより、絶景を見下ろしながらの朝食ほど優雅なものは無い。
ユキノもこの時ばかりは素直で、蜂蜜がたっぷりとかかったパンケーキを頬張りながら、たまに表情が緩みそうになるのを堪えている。完全に目が喜んでいるんだよなぁ。
「ところで、何か変わったことはあったかい?」
笑顔で僕達を見ながら珈琲を飲んでいた先生が言った。昨日の今日で、もちろん僕に聞いているんだろう。
「特にこれといってないけど……妙に頭が冴えている気がする、くらいかな」
「うむ、どうやら第一段階は成功みたいだね。よく頑張ったよハルト君」
「第一段階、ですか?」
「ああ、協会秘伝の覚醒術。その第一段階は、魔力に対する免疫力をつけ、魔力に慣れる過程だ。そして、きみの体内には今、ユキノから受け継いだ少量の魔力がぐるぐると循環している」
「てことは、あれは魔力を継承する儀式ってことだったんですね」
「いや、ユキノの魔力が無くなるわけではないから、継承というより感染に近いかな」
「感染……ですか」
「ああ、君の体は内側から少しずつ作り変えられている最中だ。ま、どういう事かはすぐにわかるよ」
* * *
その数時間後、変化が現れた。
まず、色々なものが感じられるようになった。具体的には、近くにいる人が魔術師であるかどうか、一目でわかるようになった。
覚醒術の第二段階では、魔力を知覚するようになるらしい。
知覚すると言っても、魔術師はオーラを纏っているとか、一般人に見えない使い魔を侍らせているとか、分かりやすい目印があるわけではない。かなり集中しないと気づかない程だけど、魔術師からは一般人にはない不思議な圧力を感じる。
これは魔覚と呼ばれる感覚で、本人の持つ魔力量に比例して鋭くなるらしい。また、使いこなすには慣れが必要らしく、朝食を食べた後は部屋で練習していた。
練習というのは、目を瞑り、魔覚に意識を集中し、音もなく周囲を飛び回るコデックスを捕まえるというもの。キューブの動力源には魔力も使われているから、電源を入れている間は微かに感じられるわけだ。
コデックスが付き合ってくれたおかげで、ゲーム感覚で鍛えられるのは凄く良い。
ところで、発現したばかりの僕の魔覚は弱く、相手に近づかなければ何も分からないけど、例外はあった。どうやらユキノの持つ魔力量は普通の魔術師と比べて多すぎるらしい。コデックスで遊んで……いや、練習しているとたまに、同じ部屋にいなくても彼女が何処にいるのかだいたい分かる瞬間があった。
「――いてっ」
僕の頭に鋭利な角がぶつけられる。こういう事も聞かれてしまうのがコデックスの厄介な所だ。
――何かいかがわしい事を考えてはいないかい?
は?
――ユキノを出し抜けるのでは? とか考えているような気がしたんだが。
それはお前の偏狭な心が生み出した幻想だろ。
――ユキノは魔覚も並外れて鋭い。返り討ちにされるのがオチだろうね。
んなことはわかってるよ。
それより、一つ気になる事があるんだけど、聞いていいか?
――なんだい? 改まって。
ユキノが魔術を使っている所を見たことが無いんだけど、これって何か理由があるのか?
――さあ、本人に聞けばいいんじゃない?
なんだよそれ……。ならいい。僕より魔力を持っているのに、少しもったいないと思っただけだ。
そう、誰しもが一度は憧れたことがあるだろう魔法というものを自由に使えるわけだから。
そもそも、地球に魔力をもたらしたのはユキノの一族らしい。
「――人間には本来魔力なんて存在しない。魔力とは何か。いったいどこから来たのだろうか?」
今朝の先生の話の続きだ。
「どこから来たんですか?」
「うむ。これにも様々な議論があるが、科学で説明できない事象の始まりは、恐らく千年ほど前の、「第二の異変」と呼ばれる事件。異世界から鬼神襲来だ。それも膨大な魔力と共にね。それ以来、この世界では様々な変化が起こっている。ユキノのような第二世代は人ながらに膨大な魔力を有しているし、面白いことに、突如魔力が発現する人々も現れた」
「突然……」
「ああ。強力な魔力に長期間触れると、運がよければそうなるらしい。ただし、自覚もなしに魔力を発現させたのは前回の標と鬼がご健在だった大昔の話で、現代ではまず聞かない事だ。我々のような魔術師の殆どは、当時に魔力を発現させた人々の子孫というわけだ」
「第二の異変って言うぐらいだから、第一の異変もあるんですよね」
「ああ、もちろん。第一の異変は、カレトリアスの誕生。と言っても、原因や場所、正確な年代すらわかっていないんだ」
* * *
先生に「たまには家に帰ってゆっくり休むといい」と言われて、その日、久しぶりに自宅へ帰った。
帰った所で何かすることがあるわけでは無く、本を読んだりテレビを見たりしているうちに時間は溶けていき、玄関のドアが開く音、そして「ただいまー」という声と共に妹が帰って来た。基本的に恵理さんは帰りが遅く、夕方は妹と二人だけで過ごすことが多い。家事もほぼ二人でなんとかやっている。
「お兄ちゃん。最近どこ行ってたの?」
夕飯時、テーブルを挟んで席に着くと、僕の妹、神之木琴葉は妹として当然抱くであろう疑問を口にした。
なんと言っても僕は最近、家族に何も言わず家に帰らない日があったわけだから。放任主義の親達がこの程度でとやかく言う事は無いけど、家事を分担している妹には一応、迷惑をかけてしまったことになる。
ただ分担といっても、大部分は要領の良い妹がこなしていた。その方が効率が良く、美味しいものを食べられることに気付いたからだ。その替わりに、僕は気まぐれで協力してくれるコデックスを利用して、中一の妹の勉強を教えたり、相談にのる事でなんとか均衡を保っている。
だから、僕がいなかったところで妹はたいして困ることは無いだろう。とか勝手に思っていたんだけど、流石に怒ってるのかな……?
「ああ、色々あって友達の家にね」
「ふーん……」
茶髪ショートヘアの毛先を指で弄りながら、妹はやはり訝しげに僕を見ている。たしかに怪しいだろうけど、ここはしらばっくれるしかないよな。
僕達は、特に仲が良いわけではない。幼い頃はたしかに普通の兄妹並に遊んだりしていたけれども、色々あってそんな余裕は無くなってしまった。ここ最近、互いに話しかけることがあるとしたら、「夕飯どうする?」とか「醤油取って」とか、家庭内の業務連絡ばかりだ。
僕にとって、家族と言えども何を考えているのかわからない相手とのコミュニケーションは簡単じゃない。
こんな時テレパシーがあったらどんなにいいだろうか。
誰もが考えたことはあるんじゃないかと思う。もし全人類がテレパシーを持っていたら人間は嘘をつけなくなってむしろ平和になるかも。とかなんとか。
といってもそんなもの僕には……。
――いや……ある!!
コデックスがあるじゃないか!!!
いやでも、妹だぞ……。兄として流石にそれはどうなんだ?
迷っていると、すかさず悪魔の囁きが脳内に響いた。
――たしかに神之木琴葉の思考をリアルタイムで送る事はできる。僕は君の指示を尊重するよ。
なんだか責任を逃れようとしている様にも聞こえるな。
――ははっ、ただの道具に責任なんてあるかい?
黙々と食べ続ける妹を見る。
毎日、ひとつ屋根の下に暮らしていて、会話が殆ど無い。酷く嫌われているんじゃないかって、常に思っていた。
「ごめんな、コトハ」
僕は誘惑に堪えられなかった。
「……何よ急に」
* * *
――ん? なんだろう?
頭の中で、妹の声が聞こえた。
「いや、殆ど家にいなかったからさ、家事とかサボってたわけで」
「あー。そうだね。今度アイスでも奢ってよ」
「ああ」
それを最後に、僕たちは口を噤んだ。でも、妹の思考は止まらず流れてくる。
――別にどうでもいいけどね。それよりどこ行ってたのか気になる。
会話するのも無理ってほど嫌われてはなさそうだ。
――最近何か隠してる気がするし、まさか女……? て、お兄ちゃんに限ってそれはないか。
でも、相当つまらない人間だと思われているな。
というか、これが女の感というやつか。鋭すぎて怖いよ。
――はぁ。昔はこうじゃなかったんだけどなぁ。
え?
――いつからこう、お兄ちゃんと話すのに緊張するようになったんだろう。
ええええええ!!?? こいつ、まさか……。
――ああ、お兄ちゃんが変わっちゃったからだ。昔は優しかったんだけどなぁ。今では全然笑わなくなったし……。
あ……。僕のせいだこれ。






