番外編◇赤い少女◇
「お母さぁん、お洋服ありがとうっ」
「汚さないでね」
新品のフリフリなワンピースを着た女の子と、その母親が手をつなぎながら、舗装された道をゆったりと歩いている。
それを少し離れた場所から見るのは、とても小柄な少年__のように髪の短い、ズボン姿の少女だった。深く被った赤いフードから見える瞳には、光が無い。
***
少女の父は言いました。
「ノエ、髪が伸びてきたんじゃないのか」
少女の母親は言いました。
「ノエ、もっと動きやすい服にしなさい」
そして、二人は同時に言いました。
『【赤ずきん】というお役目を忘れるな』
この言葉は、少女が生まれてからずっと聞き続けてきた、聞かされ続けてきた言葉です。
スカートなんて動きにくいものを着るな。邪魔だから髪を伸ばすな。強くあれ。女だということよりも、【赤ずきん】というお役目を全うしろ。
少女はこれを全て受け入れていました。生まれてから言われ続けているから、それが普通だと思っていました。周りが可愛い、キラキラした格好をしていても、それを羨ましいとは思わず、ただ邪魔なだけだとしか思わない。そんな子供でした。
同年代の女の子がお人形さんや、キラキラした玩具のステッキを持っている中、彼女はいつも、大きくて無骨なギロチンを片手に持って訓練をしていました。可愛さなんて欠片も無い、人を笑顔にするどころか、泣かせてしまうソレ。やっぱり少女は、その事をおかしいとは思いませんでした。
【赤ずきん】という大役を背負い、周りの子供よりも明らかに無愛想な少女には、子供は勿論、大人でさえも近づこうとはしませんでした。
そんな彼女に話しかけるのは、少数の知り合い、家族。そして幼馴染だけでした。
「リリー!今日も訓練か?」
「カロン……。当たり前です、よ」
まだ慣れていない敬語。これも、少女の親が命じたことだった。
『威厳ある者は、言葉遣いからそれが滲み出る』
幼馴染の少年は、その違和感が残る言葉には反応せず、少女に話し続ける。
「今日、イヴ兄に遊んでもらうんだ。リリーも来るか?」
少女は無言で首を振る。
「……ダメか?」
再度、拒否する。
「うぅん……。じゃあさッ!鍛錬終わったらイヴ兄の所来いよ!絶対だからなッ」
「あ……。勝手だなぁ……」
走り去ってしまった幼馴染に、少女は呆れたように呟いてから、気持ちを切り替え、表情を引き締めて鍛錬場へと向かっていく。その様子を周りの人間は、どこか温度の無い瞳で見送る。
***
「ノエ!」
律儀にも、鍛錬終了後に幼馴染の下を訪れた少女を迎えたのは、しかし先程の少年では無かった。
「兄さん。カロンは?」
「ん?あいつは帰ったぞ」
「そうですか。……あの」
「ん?」
少女は、出会い頭からずっと抱きついてきてる兄に、若干迷惑そうな視線を向けて告げる。
「兄さん、私汗くさいですよ」
「あははッ!そーだなァ、汗の匂いがする」
その言葉に、流石の少女も身じろぎする。しかし、次に続いた言葉に、動きを止めてしまった。
「でも……いい匂いだ」
「……変態ですか」
「違うぞッ!?」
心外そうに言う兄に、少女の視線は氷のように冷たく、軽蔑しきったものだった。
兄は、暫く泣き真似をした後、表情を柔くし、少女を緩く抱きしめ直す。
「ただ……女の子なんだなァって思っただけ」
「どういう……?」
不思議そうな様子の少女に、兄は苦笑いを浮かべながら説明する。
「男はさ、汗かいたらただ臭いだけだけどよ、女の子はいい匂いがする。汗とはまた別に、女の子特有なのか?とにかく柔らかい感じの匂い。それは汗かいてても無くならない」
「兄さんが何が言いたいのか、分かりません」
だよなァ、と一言零してから、兄は言葉を選ぶようにゆっくりと紡いでいく。
「……なァ、ノエ。父さん達はお前に女らしくするなって言うけど、それは違うんじゃないかなァ」
「……?違いませんよ。【赤ずきん】たる者、【紅狼】を殺すため、日々鍛錬をしなくてはいけません。女の子らしい服や、髪は確かに可愛いですが、邪魔です。私には必要ありません」
首を傾げながらも、はっきりと言い切った少女に、兄は項垂れて、頷く。
「そっかァ……そう、だよなァ……」
「兄さん……?」
「おれはさ、お前が大好きだよ」
心配そうに自分を見てくる少女に、兄はいきなり告白する。
「それは、嫌ってくらい存じてます」
「あはは、やっぱり?……でさ、だからさ。おれは可愛いノエが見たいんだよ、大好きだから」
兄の言葉に、少し逡巡した後に、少女は納得したように言う。
「つまり、普段の私は可愛くないと」
「違うッ!そうじゃない!んな訳ないだろッ!?可愛くない訳ない……でもさ、女の子だぜ?
ノエ知ってるか?女の子って、いくらでも可愛くなれんだ。可愛い服着て、化粧して……。男なんて着飾らずに、適当に服着てりゃいんだよ。けど、さ。女の子はいっぱい努力して、いっぱい着飾って、可愛くなる」
少女は静かに兄の話を聞いている。兄は静かに続ける。
「勿論、お前は着飾る必要性が全くないくらい完璧美少女だけどッ!……でも、それが着飾っちゃダメな理由にはならねェよ」
「……結局、兄さんは何が言いたいんですか?」
「おれはお前が大好きだって言ったろ?大好きだからさ、もっともっと可愛い妹の姿が見たいんだ。可愛さ倍増したノエなんて、最高じゃないかッ」
最後の台詞で台無しになった感じがするが、少女はただ静かに兄を見つめ、自分の思いを言葉にする。
「……兄さん、私はお母さん達の期待に、村の全員の期待に応えなければいけません。なぜなら、私が【赤ずきん】だからです。だから、そんな浮ついた格好は出来ません。私は、村の女の子達が女の子らしい格好ができるように、鍛錬します」
少女の言葉を予想していた兄は、苦笑いした後、少女から離れると、奥に置いてあったらしい大きなリボンで装飾された箱を持ってきた。
「まぁ、そんな話は置いといてだな。今回ここにノエをカロンに呼ばせたのは、これを渡すためだ。……見よッ!プレゼントだ!」
「これ……!」
仰々しい兄の掛け声と共に開いた箱の中には、赤スグリ色のスカートに、同色のポンチョが入っていた。スカートには、控えめにフリルがあしらわれている。
驚いた顔で兄の方を見ると、彼は笑顔で茶色い可愛らしい革靴を持っていた。
「これに、そのスカート達と、白いシャツ合わせたらいいんじゃないか?」
少女は、一瞬嬉しそうな表情を見せたが、すぐに顔を引き締め、服を箱の中へと戻す。
「……ダメ、です」
「こういうのは、嫌いか?」
「可愛らしいとは、思います。でも、こんなの着てたら邪魔ですし、お母さんに怒られます」
「母さん……か……」
兄は思い詰めた表情をする。少女は、それに気づいたが、今更何も言えなかった。
やがて、兄は少女に話しかける。
「……なァ、この服さ。ヒラヒラしてて邪魔だから必要無いんだろ?」
「はい」
「でもさ、もしこの服着て、普段と同じくらい動けたら、もう怖いもん無しじゃねェか?」
予想外の兄の言葉に、少女は目を見開く。
「怖いもの無し……」
「そ。邪魔なものを、邪魔だと感じねェんだから」
ニッと、歯を見せて笑う兄から、手元の箱の中にある服に視線を落とす。
数年後の少女ならば、そんな言葉には乗らなかっただろう。しかし、この少女はまだ六つ。綺麗な、可愛らしい、自分とは別世界のものだと思っていた服が目の前にある。興味はあった。
兄は優しい笑みで少女に勧める。
「ノエ、着てみるだけならいいんじゃないか?そっちで着替えてみたら」
少女は、不安そうな。だけど期待にも満ちた顔で兄を見たあと、小さく頷き。奥へと入っていった。
***
「か……か、可愛いぃッ!流石おれの妹ッ!」
着替え終わった少女を見て、第一声がこれだ。しかし、それに反応することなく、少女はどこか心許ない様子でスカートの裾をいじっている。
「に、兄さん……。足が、寒いです……」
「マジかッ!?え、タイツ履くかッ?」
「履きます……。あと、私よりもそういうアイテムの名前が先に出てくる兄さん、若干気持ち悪い……」
「酷いッ」
本当は履きなれないスカートが恥ずかしかっただけだが、兄はそれを分かっていたが、二人ともなんでもない会話でそれに気づかないフリをする。
「それにしても、可愛いなぁッ」
兄の顔はもう溶けてると言っても過言じゃないくらいにデレデレだ。
少女は、兄にプレゼントされた服一式を着ていた。髪が男の子のようにベリーショートだが、整った顔立ちのお陰で、存外似合っている。
「……」
気恥ずかしそうに、ソワソワと落ち着きの無い少女に、兄はようやく落ち着いて微笑みかける。
「な、ノエ。それすっごく似合ってる」
「あ、ありがとうございます……」
素直にお礼を言う少女に、内心身悶えながらも、表面上は平静を装って兄は続ける。
「良かったら貰ってくれよ。おれじゃ、流石に着れねェし。母さん達には、おれから言っておく」
親と言うワードに動きをピタリと止めた少女だが、視線を左右にゆらゆら動かしたあと、顔をほんのり赤くして、小さく頷いた。
「お願いします……。お役目、頑張ります」
「お役目……」
そこで、兄の笑顔に陰りが指す。少女ははっとするが、彼の表情を伺う前に抱きしめられる。
「そう、だよな……。うん、頑張れ。__ごめんなぁ……ごめん、兄ちゃんでごめんな……」
兄は、この話題に関して多大な罪悪感を抱えている。少女は全然気にしていないが、兄はそんなのお構い無しに、いつも謝る。
少女は、兄の腕を無理やり緩めさせて、彼と真正面から向き合う。兄の表情は痛々しい笑顔だった。と、何か兄の目元に光るものが見えた。
少女は、思わず兄の目元へと手を伸ばす。
「ん?どうかしたか、ノエ?」
「……いえ、なんでもありません」
何も無かった。
少女には、兄の笑顔が泣き顔に見えた。ほら、今も。彼は笑い続けているが、少女の目には、透明な粒が見える。しかしそれは、錯覚に過ぎない。
少女は、ありもしない粒を拭うのを諦め、代わりに兄の頭をかき抱いた。
「ノエッ!?」
兄の戸惑いの声には耳を向けない。やがて、彼も静かに身を任せてきた。
少年のようだった、小さな少女は。赤い衣装を得たこの日から、今まで以上にお役目のための努力を重ね続けた。それは、愛する、大切な、泣き虫なたった一人の兄のため。
***
__十年後。
「それでは、行って参ります」
「掟を、くれぐれも忘れるでないぞ……」
「はい」
成長した少女は、いつしかに兄がくれたのと同じ、赤スグリ色のスカートを翻し、幼馴染の少年と共に森へと歩き始める。