◇14話◇イヴ=エカルラート登場
「帰れ」
森を出るのは十数年ぶりくらいか?……もう既に、心折れそうです。
***
「とりあえず、人が少ないとはいえ、絶対に来ないとも限らないので帽子と、尻尾を隠せそうなもの……ロングコートとかは必須ですね」
最低限必要なもの__と言っても家の鍵とかくらいしか無ェが__を持って、あとはノエにお任せ。
「ロングコートなァ……これでいいか?」
俺は、膝が隠れるくらいの長さのコートを見せる。ノエはそれを俺の身体に当てて、確認する。
「ギリギリですね。出来るだけ、尻尾は上げるように心掛けた方がいいかと」
「なるほど」
「てか、フェンリルが自分で、腰に尻尾巻き付けるようにしとけば良くねぇか?」
何気なく言葉を発したカロンの方を、ノエと一緒に見た。
__その手があったかッ!
「ん?」
馬鹿だと思ってた、ごめん。意外と建設的なこと言うんだな……。
心の中で謝罪。
「それにしてもクロード、このコートかなり古びてますね……」
「あァ、それ俺の爺さんの」
爺さんが若い頃に着てたらしいものを引っ張り出して来た。多分日常的に着てたのって二、三十年前くらいじゃないか?少なくとも俺はこれを着ている爺さんを一度しか見たことがなかった。
「じゃあ、これはお爺様の形見というわけですか」
「形見ってほど大層なもんでも無ェよ」
ただの残った物だ。使われなくなった物。それだけ。
爺さんが俺を引き取ってくれた時に、着ていたってだけ。だから、少し思い入れがある。
「ふーん……」
ノエはそれ以外は何も言わなかった。
「じゃあ、早くしましょう。日が暮れる前に行きたいです」
「ん?なんだ、ノエ。お前、野犬とか怖いのか?別に日が暮れてからでも俺がいるし、森を抜けるのは簡単だぜ?」
意外と乙女らしい所あるんだなァ……。
しかし、彼女は俺の的外れな意見に溜息をついて答える。
「違います、そんな訳ないでしょう?兄が煩いんですよ、日が暮れた中歩いてたら」
なるほど……。想像以上に過保護なんだな、お兄さん。ノエも苦労してるんだなァ。
「兄ってみんな、そんなもんなのか?俺、姉みたいな奴はいるけど、そこまで過保護でも無いし……」
「オレは弟と妹が一人ずついるけど、そんなに構わねェぞ」
あぁー、カロンは長男っぽいかも。
「兄弟話は今しなくてもいいでしょう。それよりも早く行きましょう。日暮れもそうですが、こいつの首が腐ってしまうのは避けたいです」
そう言って、再びグレイプニルの首が入った袋を持ち上げる。
……忘れてた……。
***
そして、冒頭に至る。
ノエとそっくりな容姿の青年は、俺に再度、表情を変えずに告げる。
「聞こえなかったか?もう一回言ってやろう。帰れ」
聞いてた年齢よりも随分若く見える。下手したら俺より年下にも見える。しかし、決して幼いという訳でも無い。なんと言えばいいのだろう、若いけど、纏っている雰囲気は年相応と言うか何と言うか……。てか、今の言い方、めちゃくちゃノエに似てた。
「イヴ兄、こいつの話聞いてくれよ」
カロンが恐る恐ると言った風に話しかけるが、目の前の彼はちらりとカロンを一瞥した後に、また俺に視線を戻して、腕組みをして言う。
「ノエをお前みたいな野郎の嫁にやるもんかッ」
「違いますよ、お兄さん!?」
「誰が“お義兄さん”だァァァッ!」
違うッ!絶対に文字違うだろッ。盛大な勘違いしてやがったぞ、こいつッ!
夜闇のように真っ黒な髪に、青みがかった黒目。氷のような無表情。整った顔。どこを取ってもノエとそっくりだ……と、思ってた。
実際は、かなり性格がやばい。やばいなんてもんじゃない。何が『氷のような無表情』だ。表情クルクル変わるぞ、この人。その豊かな表情、ノエに少し分けてやれよ。
「兄さん、クロードは私達の……」
「ノエがこんな奴のことを呼び捨てに!?ふざけるなよ……おれだってノエに呼び捨てにされたーいッ」
ノエの顔が一気にしかめっ面になった。顔には、ウザいの三文字が書かれてあるように見える。
「イヴ兄さん」
ノエの言葉に怒気が含まれた。すると、イヴさんは一気に背筋を伸ばしてノエの方を向く。
「クロードは、私達の今回のお役目を手伝ってくれたの。協力者、分かる?だから、婚約とかそんなのじゃないし、そもそも私が恋愛事なんて一切興味無いの知ってるでしょう?それと、兄さんは兄さんなんだから、呼び捨てにする事はこれから先も、絶対に来ない」
兄に対しては敬語じゃ無ェんだ……。
あまりにも場違いな事を考えて、十も年下の妹に叱られて若干嬉しそうな顔の男がいるという現実から逃避する。
「絶対になの!?……それは寂しい。けど、分かった……。でも、たまには昔みたいに“お兄ちゃん”って呼んでくれたら嬉し……あ、はい。ごめんなさい、睨まないで。
それにしても、森の中で協力者なんて、よく見つけたなぁ。流石おれの妹!」
その言葉に、ノエは若干気まずそうに俯く。ちなみに、俺はまだ帽子とコートは取ってない。つまりは、まぁそういう事だ。
「兄さん、実はですね__」
***
「何考えてんだッ」
だろうな。そーなるのが普通だろ。
「獣耳の二十四の男と数週間一緒に生活してたとか、危ないだろッ!?」
そっちかよ!?いや、間違ってはいないが、その言い方は色々と誤解を招くからッ。
イヴさんは、ノエの肩を揺さぶりながら、涙目で訴える。ノエはというと、目が死んでる、いつも以上に。
「あのさ、イヴ兄……。フェンリルの事なんだけど……」
「ん?あぁ、話は分かった。お前らは村の奴らに、自分が世話になった奴を知って欲しいんだな?で、こいつが【紅狼】と分かっても、分からなくても、どちらでもいいから、おれにこいつが村に入る方法を一緒に考えて欲しいと」
カロンの問いに、いきなりに正気に戻って答える。かなり、理解が早い、ってか、この人自身は俺のことなんにも思わねぇのか……?
「おれは、ノエが大丈夫ってんなら別になんでもいい。……けど、村の奴らはそうはいかねぇよ。
そもそも昔こいつの祖先が、【紅狼】が村を襲ったのが、このお役目の始まりだ。いくらこいつが直接的な原因じゃなくても、刷り込み?いや、第一印象の方が適切か?とにかく、最初のイメージはそう簡単に覆らねェ。
もし、ノエとカロンが何の考えも無しに、ここに寄らずに村によってたら確実にこいつは殺されて、二人も良くて罰を受ける、悪ければ家族諸共処刑、だな」
イヴさんの正論すぎる話に、ノエとカロンは納得してしまったのか、何も言い返さない。
いくら変態でも、流石は年長者と言うべきか。考えは正しい。いくら変態でも。
俺が無害だろうと、俺の先祖は無害じゃなかった。だから、村人は俺を受け入れることは、まぁまず無いだろう。
「でも……」
それでも、ノエは言い返そうとして、でも言葉は続かない。悔しそうに眉根を寄せて、俯く。すると、その様子を見たイヴさんは、困ったような顔で頭を掻いた。
「ノエ、そんな落ち込むなって。方法が無いわけじゃねェんだし」
「え……?」
「要はバレなきゃいいんだよ。だったら今みたいに隠せばいい。けど、流石に世話した奴の保護者に会うのに帽子被りっぱなしは失礼だろ。だったら、カツラかな。銀色は、無いかもしんねぇけど、茶髪とかならあるはず。
あ、言っとくけどコスプレじゃ無ェから!仮装用とかであるだけだからッ。
あと、尻尾は、今腰に自分で回してるだけだろ?万が一、落としたりしたら危ねぇから、包帯とかで、胴体にガッチガチに止めとけばいい」
次々に、俺の特徴である耳と尻尾を隠す手段を提供する。俺ら三人はただ、ポカーンとそれを聞いてるだけ。
「あの、イヴ……さん。手伝ってくれるんですか?」
「あ?何が言いたい?」
「いや、イヴさんも村の一員なのに、俺の入村の手伝いなんてしていいのかなー、って……」
すると、イヴさんは腰に手を当てて大きく溜息をついた。今の仕草、凄くノエに似ている。やはり、兄妹なんだと、改めて実感。
「あのなァ、おれはお前の手伝いはし無ェよ。ノエのッ!手伝いをすんだよ。おれはノエがそうしたいって言うなら、出来る限り叶える。……それに、それがおれの出来る罪滅ぼしみたいなもんだし……」
「ん?兄さん、何か言いましたか?」
「いや、何でも無ェよ」
ノエには聞こえなかった彼の最後の、本当に小さな声。獣の耳を、聴覚を持つ俺しか、聞こえなかっただろう。……罪滅ぼし?
「とりあえず、お前はこのカツラ付けて、包帯で尻尾固定しろ。カロン、手伝ってやれ」
「兄さん、私も手伝ってきます……」
「駄目だッ。こんな男の着替えの手伝いなんてしたら、ノエの身に危険が……!」
無ェよ。
聞き間違いだったのだろうか。今の彼は、最初と同じただのシスコンだった。
***
獣耳、尻尾無しバージョンの、茶髪クロード誕生。
「髪色一つで、印象って変わるもんだな……」
それ、自分で鏡見てて思った。
今の俺は、茶髪に銀の瞳という格好。それだけでもまあ、見慣れないのだが、それよりも、特徴的だった耳が無いのが一番の違和感。それに、俺は獣の耳の方が聞こえやすい、と言うよりは人間と同じ形の耳はほぼ聞こえないので、外の音が聞き辛い。隣にいるカロンの声も集中しないと聞こえない。
服はと言うと、俺がさっきまで着てたのは、まあまあ体のラインが出るくらいにピッタリなものだったので、上だけ、イヴさんの服を借りた。かなりダボッとしてるので、傍からじゃ尻尾の存在はバレなさそう。
「フェンリル、イヴ兄より細いんだな……」
「おいカロン、それじゃあおれがデブみたいだろ。せめて、『イヴ兄よりガリガリだな』とかって言え」
別にガリじゃ無ェよ……。腹筋も割れてるし。
「それと、カロン。お前の呼び方だとすぐバレるから、名前で呼ぶなりしろ」
「あっ、そうか。じゃあ、今からクロードって呼ぶわ」
「おう」
てっきりカロンは、他人のこと名前で呼べ無ェのかと思ってた……。ま、そんな訳ないか。
「で、フェロード」
「は?」
「あ、ごめん。混ざった」
フェロードとか……。新しい奴を作り出すなよ。なんか一気に不安になってきた……。
「よし、じゃあもう今日は遅いし、明日行くぞ。おれも着いてってフォローするから、あんまり余計な事喋るなよ。特にお前ッ」
ビシッと俺を指さして、念押す。
「言われなくても分かってます」
俺は両手を軽く上げて答える。
「じゃあ、今日はここに泊まってけ。
カロンとお前は、客間を二人で使え。そして、ノエはお兄ちゃんと一緒にね__」
「兄さん」
「客間がもう一個あるのでそこにどうぞ」
妹、強い。