◇12話◇そして、フィナーレ
確かに気絶したはずのノエが自分の頭上にいる。
その事実を受け入れ難いのか、グレイプニルは、目を見開いて、木の上から自分を見下ろす、幼い赤を見つめる。
そして、ノエはというと……。
「クロード、貴方さっき死んでもいいとか思いましたね?そんなのだから、貴方の特技は家事だけ、とか言われるんです。というか、家事という生きていく上で必要なスキルがカンストしてるくせに、それを扱う奴が生きることに非積極的ってどうなんですか。有り得ませんから」
絶好調で俺に毒を吐きまくってる。いや、もう本当に絶好調。ついさっきまで、木の幹まで吹き飛ばされてぐったりと気絶してたとは思えない。
「……あァ……そういうことか。お前が囮、いや時間稼ぎ役だったのか」
「ご名答。ま、流石にここまで来たら分かるか。ノエが準備整うまで、俺がアンタを引きつける。一応、ノエは【紅狼】を殺すって目的があるし、俺が殺すとなんか、な」
俺から事の説明を聞いたグレイプニルは、肩を小刻みに震えさせる。
「クッ……クハッ……ハハ、ハハハハハッ!なるほどォ、正直侮ってた。そこの嬢ちゃんは、お前に、クロードに比べたらそんな脅威にはならねぇと思った」
「心外です。クロードなんて、片手でちょちょいのちょい、ですよ」
表現方法が若干古い気がしないでもない。こんなシリアス場面で『ちょちょいのちょい』とか言うな。笑っちゃうだろ。
「はァ、面白い嬢ちゃんだァ。……けど、もうその面白い発言が聞けなくなるのが残念だッ」
奴は、高く跳躍してノエのいる木の枝までひとっ飛びで辿り着く。そして、彼女の最大の武器とも言えるシオンを素手で掴む。これで、シオンを自由には動かせなくなった。
「嬢ちゃんの切り札はコレだろォ?じゃあ、もう使え無ェなァ……」
歯をむき出しにした、厭らしい笑みを浮かべ、奴は勝利を確信する。しかし、忘れてるのだろうか、グレイプニルは。先程の戦いの際、ノエは遠くへと放り投げられたシオンを、“足から”も出していたことを。
「腕に生えてるこれは、ただの囮です。【紅狼】の力で簡単に壊せる、特に何の効果も無い、ギロチン。__こっちが本物の」
「【武器】だよォ……」
破られて足を上げやすくなったスカートから出てきたのは、腕と同様にギロチンの生えた太もも。そこからは、シオンの低い、気怠げな声がした。
「ガァッ!!」
ノエが蹴りを入れ、シオンが抉ったのは、奴の横腹。既に一度傷つけられた場所だった。アドレナリンだかが出てて気づかなかったのだろうが、奴のそれは既に取り返しがつかないぐらいまで、開ききっている。血の水溜りが出来ている。
それでも尚、奴はノエに向かおうとする。
「ふざけるな……ふざけるなふざけるなふざけるなぁぁぁあぁぁッ!」
奴は叫びながら、向かう。走る。目にはノエしか映っていない。だから、気づけなかった。
“己を狙っているカロンの剣先が”__!
__ブスリッ……
肉を貫く、嫌な音がした。グレイプニルは、目を見開いたまま、まずは自分の横に立っているカロンを見る。何故、お前がそこにいるのかと、聞きたげな顔で。
次に、自分の横腹を見る。二度もシオンによって傷つけられた場所に、カロンの細剣が深々と刺さっている。何故、俺の腹から剣が飛び出ているのだろうと、言いたげな顔で。
そして、ノエを見る。何故、俺とお前の距離が縮まっていないのかと、言いたげな、顔で。
そして、地に伏せる。
「……貴方の、負けです。グレイプニル。あとは、貴方の首を落とすのみ」
ノエは、ゆっくりと奴の元へと歩み寄り、告げる。
流石に、奴も自分の死を、抗いようの無い死を受け入れると思った。……しかし、奴は何故か笑った。楽しげな顔で。
「俺の首を落とす……だったかァ?そりゃ、無理だぜ、嬢ちゃん」
「何を言ってるんですかッ。貴方はもう逃げようがな、い……」
徐々にノエの言葉が消えていく。理由は奴の首だった。ギロチンで落としやすいよう、奴の着ていたマントを脱がし、中から出てきたのは__銀色に鈍く輝く首だった。
「これって……」
「銀だ。【銀狼】にぴったしだろォ?」
人体に毒とされている銀で、あろう事か奴は、首をコーティングしていた。しかも、これはただの銀じゃないだろう。
これだけ奴が自信を持っている。普通の銀だったら、意外と脆いからノエの怪力と、【武器】であるシオンがいれば、すぐに壊せるだろう。
「これは、俺が作らせた銀だ。絶対に壊れることの無い、銀。残念だったなァ、ざまぁみろッ」
グレイプニルは勝ち誇った顔で、ノエを見下す。地面に伏しているのは奴なはずなのに、こちらが見下された気分だ。
為す術が無い事に、俺は焦りを感じ始めた。それこそ、さっきグレイプニルに殺されそうになったのとは比にならないくらい、焦った。
例えこいつが、放っておいて失血死したとしても、首が落とせるわけでは無いのだ。
「ノエ、どうす、る……」
判断を仰ごうと、彼女を見ると、何か思い詰めたような表情でグレイプニルを睨みつけていた。落とせないことを悔やんでいるというより、何かと葛藤しているような顔だった。
「どうしたァ……嬢ちゃん、打つ手無し、かァ?」
グレイプニルは、もうすぐ死ぬだろうに、酷く楽しそうにノエを見る。
ノエは……。
「はァ……」
一つ、大きく息を吐いてから、キッと、グレイプニルを睨みつける。
「貴方にとっては残念かもしれませんが、一つだけ方法があります」
このノエの言葉に、俺ら男三人は目を見開く。
「ちょッ、リリー!そんな方法あんのかよ!?こいつの首見ただろ!?」
「見ましたし、話も聞きました。要は、超凄い銀でコーティングしてるぜ、って事ですよね。超凄いとはいえ、結局は銀です。ギロチンを落とす勢いがあれば、行けます。無理なら高さを増して、何度でも試せばいいです」
落とす勢いって……。
「おい、ノエ。まさかとは思うが、お前木の上からシオンを落とすとか言わねぇよな?」
俺の質問に、ノエは酷く冷めた目線を寄越す。
「馬鹿ですか?そんな訳ありません」
__はァ、全く。
ノエは、わざとらしく、一回呆れたように溜息をついて、こちらを見る。そこで俺はようやく気づいた。
ノエの瞳に、辛そうな色が見えることに。
「最終形態です」
***
ノエは地面と水平になるよう、左腕を横に伸ばした。グレイプニルは、ノエの指示で俺が縄で身体を縛った後に移動させたので、丁度奴の首がノエの腕の真下に来るようになっている。
そして、俺は、自分の目を疑った。俺達__【紅狼】みたいな存在がいるくらいだし、ちょっとやそっとの不思議体験・不思議動物では驚かない自信がある。自信が、あった。しかし、その自信は今、崩れ去った。
水平に掲げられたノエの左腕は、氷が溶けるように、またはアイスが溶けるように、粘液へと変化して、真下にあるグレイプニルの首を包むように、ゆっくり垂れていく。
液状だったそれは、次第に固体へと変化していき、最終的には、木製の枠組みに、今にも落ちてきそうな刃を持つ、文献で見かけるような、断頭台そのものになり、グレイプニルの首を固定していた。
以前までのように、ノエが手に持っていたり、ノエの腕から刃のみが生えているのではなく、彼女の左腕そのものが断頭台へと変化していた。
俺は、このように変化する人間の存在を、今の今まで、知らなかった。
説明を求めるように、横に立っているカロンへ顔を向けるが、彼は気まずそうに足元へと視線を落としている。思えば、ノエが『最終形態です』と言ってから、ずっと青ざめたような、気分の悪そうな顔で立っていた。それを不審に思っていると、声が響いた。
「__あまりにも人間から掛け離れた、この形状。出来れば使いたくは、ありませんでした」
ノエは静かに口を開く。その顔には、珍しく笑みが、薄くだが浮かんでいた。寂しそうな、彼女には似合わない、儚げなそれ。
「これは、言わば【武器】であるコンダナシオンの最終形態です。どうせ、何も知らないでしょう、薄識なクロードに説明して差し上げましょう。
これは、契約者__この場合は私ですね__の、身体の一部を完全に乗っ取る、形態。契約者は、契約時に差し出していた身体の部位を乗っ取られる代わりに、【武器】の持つ力の中でも、最大のものを使用することが出来ます。
私の御先祖様__初代【赤ずきん】__は鋏と契約をしていたそうです。残っていた記録によれば、彼女は右足を契約の際に差し出していたのだとか。だから、【武器】を最終形態にした際、彼女は右足が鋏へと変化していたそうです。足の付け根から先や足の甲に当たる部分まで刃に、と言った形で。
私の場合は、契約対象がギロチン(断頭台)なので、左腕を差し出しました。こうやって、いざと言う時に処刑をしやすいように……」
ノエは、笑みを絶やさない。それが、逆に気味が悪かった。
すると、俺の横に立っていたカロンがボソボソと、俺にしか聞こえない声量で伝える。
「……リリーは、この形態を酷く嫌ってたんだ。幼い頃は、これが制御できなくて、勝手に腕が変化する度に泣き叫んでいた。自分の腕が別の生き物であるみたいに睨みつけながら、泣き叫んでた……」
だからカロンは、この形態を見た瞬間、目が向けられなくなったのか……。
地獄耳なのか、彼の言葉が聞こえたらしいノエは、尚も自嘲的な笑みを浮かべながら続ける。
「確かに、泣きました。怖くて。自分が人間では無いものになっていることが、とても怖くて。
でも、両親はその恐怖心を許してはくれませんでした。泣き叫べば容赦無く平手打ちをされて、それでも泣き止まなければ折檻。やがて私は、泣いても意味が無いことを理解し、『自分はこういう生き物なのだと』割り切って考えるようにしました」
彼女の、素晴らしい考えでしょうと言わんばかりのドヤ顔を見て、俺は知らずに顔を歪めていた。
俺は考える。こいつは、どこまで自分を殺してきたのだろう、と。他人である俺は、まるで彼女の全てを分かったかのように知ったかぶりをして、考える。
__人間でないように思える自分の腕が恐ろしくて泣いてしまう。しかし、それを許さない環境。
__同年代が遊び回っている中、まだ顔も知らない【紅狼】を殺すため、人ならざる者を殺すための訓練をするため、自由に遊べなかった子供時代。
全て、村を守るために必要な事だと、それが自分のやるべき事だと、捨ててきたのだろう。十六歳になるまでの、この短い道のりの中で、少しずつ。みんなが持っていて当たり前のそれらを、本当に少しずつ。自分でも気づかないくらい少しずつ__捨てていった。
「違うだろォ……」
それは、予想外の人物の呟きだった。
俺ら三人は、そいつの__グレイプニルの顔を見た。
「『割り切って考えるようにした』?ハッ……。笑わせるな。お前は、『割り切って考えてる“フリ”』をしてるだけだ。本当は、なんで自分だけだって考えてるんだろゥ?」
グレイプニルは、首を固定されたまま、どこを見ているか分からない、虚ろな表情で、独白のように言葉を連ねる。ノエは、無表情のまま奴の言葉を聞く。
「俺も同じだァ。お前は俺と同じなんて嫌がるだろうけどなァ。母さんが死んでから、なんで俺は、親が立て続けに死んだんだって嘆いた。__けど、頭では理解していた。
父さんが負けたのは、仕方ない。あの人の力量不足だからだって。母さんの事だって、父さんがいないことを嘆いていた彼女の声は、【銀狼】だけは己の長だと定めた、プライドの高い【紅狼】達を刺激しただろうしなァ。
__だが。理解しても、納得は出来ねェよ。なんで俺から父さんだけでなく、母さんまで奪った……?長を侮辱する声が五月蝿いから?それだけでッ!?いっその事、俺も一緒に殺してくれたら、まだ良かったのにッ!」
奴の言葉の強さで身体が跳ね、まだ血が固まっていない腹から、血液が飛び散る。
次第に語気が強くなる奴は、涙が流れているわけでもないのに、泣いているように見えた。もしかしたら彼も、ここまでの人生で、涙を、悲しいという感情を表現する方法を捨てたのかもしれない。
すると、奴は、目玉が飛び出るんじゃないかってくらいまで目を開いて、急に俺を見る。
「だから、俺は決めた。母さんを殺した奴らに復讐をしようと。あいつらが定めた長を殺して、俺が成り代わり、あいつらをこき使って、最後には全部殺してやろうとッ……!
クロード、お前はただ運が無かった。お前の爺さんが生きてれば、俺はそいつを殺しに行った。……いや、そうすると、俺も運が無かったのかァ?爺さんを殺してれば、お前にも俺と同じ気持ちを味わせでやれたのによォ」
そして、ノエの方へと、ゆっくり目を向ける。
「俺は、『割り切って考えていた』。だから、最初は何も行動を起こさずに、身を潜めて暮らして、両親の写真を傍に置いて、過ごしてた。けど、ある日アイツを、クロードの爺を見かけてから、ある感情が芽生え始めた。__復讐。結局俺は、『割り切って考えてた“つもり”』だっただけだ。
そっからは早い。今の自分じゃあ、あの爺に勝てるとは思ってなかったから、訓練した。そして、いざと向かったら奴はくたばってた。残ってたのは、銀色の髪と瞳を持った、幼い狼だけ。だったら、標的はそっちにするしかないよな?弱いものいじめをしたって、復讐になるとは、自分が満たされるとは思っていなかった。だから、数年待った」
そして、今か……。
話を聞き終えたノエは、無表情のまま言った。
「へぇ、そうなんですか」
……それだけかよッ。
これには、流石のグレイプニルも驚いたみたいで、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている。
「なんです、その顔は。私にどんな答えを求めてたんですか。『割り切って考えてるつもりの者同士、仲良くしましょう』ですか?ハッ、馬鹿馬鹿しい。
良いですか?グレイプニル。貴方に一つ、大事なことを教えて差し上げます。__私の名前は、ノエ=エカルラート。第二十五代目の【赤ずきん】。例え、この人間と掛け離れた姿を嫌って、割り切って考えてるつもりだとしても、私はお役目の為なら、そんなの二の次ですッ。つもりだとか、そうじゃないとか。そんなのはどうでも良いです」
……ははっ。格好良いー、こいつ。
なんか、ここ最近改めて思い知らされてばっかだ。こいつは、しおらしい顔をしてようと、中身がノエ=エカルラートである限り、お役目第一だもんな。
ノエの漢気たっぷりな顔を見て、グレイプニルは、フッと、笑って見せた。それは、今回の戦いの中で見た笑みの中で、一番毒素の無い、笑みだった。
「俺は、お前とは相容れないな」
「全くその通りだと思います。私も貴方とは相容れないと思ってました」
それが、【赤ずきん】と【紅銀狼】の、最後の会話となった。
***
後に残ったのは、自分の仕事を終えたとばかりに、【武器】を仕舞うノエと、剣の血を布で拭うカロン。そして、首から上が無い銀と紅が混ざった尻尾を持つ男性の死体と__満足気な顔をした、男の頭だった。
俺は奴の顔を見ながら、小さく呟く。
「グレイプニル、俺はお前の言う通り、長には向いてねぇよ……」
けど、それを背負って生きていく。それが俺の、お役目だから。
最終回……と見せかけて、まだ続きますッ!笑