5・迷宮ラーメン
†前回までのお話†
百円ダンジョンで掃除をしていたタイガは、おもちゃたちが飛び回る不思議な光景を目にする。しかしそれも束の間、またしても水野のせいで店内はめちゃくちゃになってしまうのだった。
むしゃくしゃした時は部屋の掃除をする。自分の部屋ならすぐに終わってしまうが、ダンジョン掃除なら心ゆくまでできる。
タイガは調理台に洗剤をかけ、スポンジで思い切りこすった。にんにくとスープのにおいが泡に混じって弾ける。冷蔵庫の取っ手を磨き、床に落ちたニラやキャベツの欠片を一掃する。今日の割り当てはラーメン屋のダンジョン、地下五十階まである。
おなかすいたね、とマアトが言った。タイガは黙って床を掃く。ここは水餃子の階だ。一つ前はエビ点心、その前は冷やし中華だった。一階につき一品で、完食しなければ次の階には進めない。看板メニューの『迷宮ラーメン』は最下層にある。
「どっちにしろ、あたしたちは掃除するだけなんだけど」
マアトは客席のほうを見て、うらやましそうに言う。タイガは雑巾をしぼり、床の隅を拭いていった。
「昨日はサービス残業だったんだって? ちょっとひどくない?」
「別に、俺のミスだったし」
「水野さんはどうしたの?」
「その名前は当分聞きたくない」
床をこすり続けるタイガに、マアトが近づいてかがみ込む。
「当分ってどれくらい?」
「三、四日……いや五日」
マアトは大声で笑った。
「何がおかしいんだよ」
「ごめんごめん。タイガって本当に……」
何だよ、と立ち上がると、リュックからぽとりとぬいぐるみが落ちた。百円ショップで壊してしまい、買うはめになったブタのぬいぐるみだ。
「何、これ」
マアトはブタを拾い上げ、破れた腹と目をなでた。
「こういうデザインなの?」
「違うよ。何その発想」
「じゃあ直していい?」
マアトは床に座り込み、飛び出た綿を腹に押し込み始める。餃子を作るような手つきだ。
「おい、仕事」
「これ終わってから」
花柄のポーチから針と糸を取り出す。肌色の糸で腹をふさぎ、目を縫い付け、さらにレースやボタン、色とりどりの刺繍糸を出してきて、当ててみては頭をひねる。
何度話しかけても、マアトは動かなかった。
タイガは仕方なく、一度磨いた床にワックスをかけ、キッチンの消毒をして回った。どれくらいそうしていただろうか、やっとのことでマアトは顔を上げた。
「できた!」
ブタを突き出され、タイガは口を開けた。どこを繕ったのかわからないほど、新品のように綺麗になっている。
というわけにはいかなかった。
目の下にはまつげのように黒い糸が伸び、腹の縫い跡は元の破れ目より大きい。それをごまかすように、首回りにレースが縫い付けてある。鼻の横にはピンクのハート、胸には星や風船の刺繍がしてあり、さらに尻尾には青い薔薇の飾りが付いていた。
「あれ? 気に入らない?」
「いや、その」
タイガはブタを受け取った。本当に夢中で縫っていたのだろう。それだけは伝わってくる出来だった。
マアトは照れ笑いを浮かべ、ごめんね、と言った。
「縫い物好きなんだけど、練習する時間がなくて……あんまり上手じゃないんだ」
「そんなことないよ。この下まつげとかセクシーだし」
「じゃあ持って帰ってくれる?」
う、と唸りかけたが、断ることもできない。渋々リュックに収めるのを、マアトは満足そうに見届けた。
「びっくりしたな。効率重視でサクサク派のマアトが」
「え。効率よく縫えてたでしょ?」
「ああ……まあな」
結局、仕事はそこで切り上げることにした。まかないのチャーハンを二人で食べ、外に出るともう薄暗かった。一番星がまたたいて、タイガはふと、水野のことを考えた。
(精霊って、星みたいなもんだと思ってたけどなあ……)
眺めて歩くうちに、星は二つ三つと増えた。この世界が大きな地下ダンジョンで、はるか遠い地上から無数の目が見下ろしている。そんな気がする夜だった。