36・もう一度会いたい
†前回までのお話†
掃除ギルドを辞めたマアトは、手芸屋のダンジョンで活き活きと働いていた。モンスターや冒険者が増えた町で、人々は苦もなく日常を送っている。そんな中タイガは、水野がどこにもいないことに気づく。
「そうかそうか、水野くんと連絡がとれないのか。それは残念だね。実に残念だ」
手芸屋の男は、言葉とは裏腹にほっとした表情だ。運ばれてきたミルクティーをすすり、ふうっと息をつく。自分の職場に水野が来るかもしれないと聞かされ、この世の終わりのような気分でいたらしい。
「そのうちひょっこり戻ってくるわよ。ねえ、タイガもうちで働かない?」
マアトは苺のショートケーキをぺろりと食べ、求人チラシを差し出した。
「接客も仕入れも両方空きがあるの。もし掃除ギルドがだめになったら……」
「ありがとう。でももう少し頑張ってみる」
タイガは微笑み、できるだけ何でもないように言った。
マアトはすでに、自分の店やほかのダンジョンの責任者にも声をかけ、掃除ギルドへの依頼が増えるようにしてくれていた。それだけで、十分すぎるほど有り難かった。
「できることがあったら何でも言って。ここまで来られたのはタイガのおかげだから」
「そうそう。君がいなければ、私はきっとごみ捨て場から出られなかったよ」
ダンジョン・ミルクカフェは、大きなパンケーキの形をした塔で、六十階まで上り詰めれば本物のハワイアンパンケーキが食べられる。マアトたちはそこまで行くと言ったが、タイガは先に帰ることにした。
「俺のおかげ、か」
ダンジョンを出ると、空が見えた。真っ青な空に、何かが光っていた。まばたきをすれば消えてしまいそうな、かすかな光だった。
タイガは思わず空に向かって叫んだ。
「掃除ギルドが潰れませんように! マアトの仕事がうまくいきますように! え、えーと、新しいフライパンが欲しいです!」
光は消えず、すっと流れ落ちてきた。初めは白く見えていたのが、赤や黄色にきらめき、輝きを増してタイガの目の前まで飛んできた。
「タイガさん! やっと見つけました!」
ガラスのヒトデだった。タイガの顔すれすれで浮かんで止まり、右へ左へ忙しく回転する。
「ど、どうしてここに? 時計広場の警備はいいのか」
「赤カバに任せてきました。タイガさん、お友達が呼んでますよ」
「友達?」
ヒトデが片足で示す方向には、光の粒が点々と落ちている。葉の表面についた朝露のような、透き通った丸い光だった。
「ありがとう!」
タイガはヒトデと別れ、光を追いかけた。この光は見たことがある。以前、図書館へ行く道を示してくれた。走って通り過ぎるたびに、しずくが弾けるように光が消えていく。住宅街を抜け、公園を抜け、タイガは確信する。
「あの時と同じだ。やっぱり……!」
背の高い木立の向こうに、灰色の建物が見えてくる。図書館のダンジョンの入り口だ。振り返ると、光の道しるべはもう消えていた。
ガラスの扉を開け、ほの暗い階段を下りていく。ほこりっぽいような、苔むしたような空気が鼻をつく。石の壁は色あせてひび割れているが、中には人の気配がある。
自分の足音に緊張しながら、タイガは地下一階にたどり着いた。
「あっ! 来たか」
ベージュのエプロンを巻き付け、カウンターに座っているのはなんと黒ウナギだった。タイガは入り口に立ち止まり、しばらく言葉が返せなかった。
黒ウナギはカウンター内に下半身を横たえ、ヒレを使ってパソコンを叩き、返された本の中身もきちんとチェックしている。しかしあまりにも大きいため、三つあるカウンターの窓口を全部占領してしまい、どう見ても仕事の邪魔になっている。
「な……何やってるんだよ」
タイガが駆け寄ると、黒ウナギはにやりと笑い、館内はお静かに、と言った。
「何でお前が雇われてるんだよ」
「小遣い稼ぎ。俺がいればモンスターも大人しくなるし、利害は一致してる」
他のスタッフは平然と黒ウナギの体をまたいで通り、本を抱えて行ったり来たりしている。それで良いと言うなら良いのだろう。
「何だ? がっかりすることでもあったか」
「いや……別に」
水野に会えるような気がしていたが、会えなくて良かったのだ。彼が図書館で働いたりしたら、貴重な蔵書がどんなことになるか、想像するだけでも恐ろしい。
「ここの掃除頼みたいんだけど」
黒ウナギは唐突に言った。タイガは面食らい、それから今の状況を思い出した。
「カーリングギルドがやってるんじゃないの?」
「あー、あれはだめだ。図書館で石とか棒とかぶん回されちゃたまんないからな。とにかく頼んだぞ」
黒ウナギはタイガの背後に向かって、お待たせしました、と言った。振り返ると、いつの間にか客が並んでいる。黒ウナギはカードを受け取り、てきぱきと貸し出し作業をこなしていく。次の客、その次の客が後ろに並び、もう話しかける隙はなかった。
図書館を出て行く時、紫色の苔の塊を見かけた。壁に貼り付き、小声で恨みごとを言っている。きっと、館内で悪さをしていたモンスターだろうとタイガは思った。黒ウナギが来たおかげで、うまくいかなくなったようだ。
「みんな頑張ってるなあ」
気ままに過ごすのが好きなブタでさえ、マアトの作ったぬいぐるみたちを集めて言葉を教えている。食いしん坊のキリン、欲張りなネコ、偉そうな口調のリス、何でも吸い取りたがるゾウ。どこかで聞いたような重々しい声で、片言の言語を話し始めているそうだ。
「まあいいや。俺はやっぱり」
タイガは掃除ギルドへ向かった。黒ウナギからの依頼を伝えれば、他のメンバーも少しはやる気を取り戻すだろう。
掃除ギルドの主任は、いつもと同じ広場の中央に立っていた。石畳に落ちた影が濃く、長く伸びている。タイガを見ると、ゆっくりと顔を上げた。たった数日で、頬がこけてやつれてしまったようだ。
「タイガ君……今日は休みでは?」
「あの、急な依頼なんですけど」
「ちょうど良かったです。あれをどうにかしてくれませんか」
主任はタイガの腕をつかみ、倉庫のほうへ引っ張っていった。そこにはもう倉庫はなく、まるで台風の後のように、折れた箒やデッキブラシが瓦礫に混じって積み重なっている。
その上に、見慣れた長いローブを着た姿があった。
「どうしたの? 今日休みじゃないの?」
嬉しそうに手を振る水野に、返す言葉がなかった。
どうしてここにいるのか、そして、頑丈なコンクリート製の倉庫をどうやってここまで壊したのか。ぬいぐるみが三日で言葉を覚えたとしても、こんな状況は説明できない。
「不本意ですが雇いました。他に応募者がいなかったので」
主任は魂を抜き取られたような目をして言った。
「まずは倉庫を開けて、と言ったそばからこの有様です」
「あの、多分、彼としては普通に」
「頼みましたよ、タイガ君」
「えっ。あ、ちょっと!」
主任はさっさと歩き、他のメンバーのところへ行ってしまった。去り際、瞳の奥にわずかな笑顔を見たような気がした。
次回、最終回となる予定です。




