35・魔法が終わる時
†前回までのお話†
コットン大魔王を倒し、町へ帰ってきたタイガたち。モンスターや冒険者が少しずつ増え、活気を増していく中、掃除ギルドは人材不足で廃れてしまっていた。マアトが退職したことを知り、タイガはショックを受ける。
マアトの新しい勤務先は、手芸屋「ダンジョン・ステッチ」だという。待ちきれずに走っていこうとするブタを捕まえ、タイガは店へ向かった。
階段の途中に仕掛けられた毛糸のトラップや裁ちばさみの群れをくぐり抜け、やっとのことで目的のフロアに着いた。綺麗な模様のついた棚にぬいぐるみや小物のキットが置いてあり、マアトは忙しく接客をしていた。
「タイガ!」
客が途切れると、マアトは駆け寄ってきた。その笑顔を見て、タイガは思い出した。マアトは初めから言っていたのだ。自分に合った仕事を見つけて、そこで正社員を目指すと。
「良かったな」
「……ごめん」
「何で謝るんだよ。マアト、この店大好きだっただろ。本当に良かったよ」
ちょっと、とブタが頭の上から滑り降りてきた。売り場に飾ってあるぬいぐるみの見本を指さしている。
「あれってコットン大魔王じゃないの?」
「えっ?」
棚に並んでいるのは、ウサギやコアラ、レッサーパンダのぬいぐるみだ。大きな縫い目で星や花の刺繍がしてあり、目の下にはブタと同じように太いまつげがある。
布はくったりと柔らかい生地で、落ち着いた灰色だが、ほのかに赤みが残っている。
「マアト、まさか」
「だってもったいないじゃない、使わなきゃ。まだこんなにあるのよ」
マアトはたたんであった布を広げる。
タイガはおそるおそる触れてみた。指先が燃えるように、全てを思い出す。タイガを体内に閉じこめ、視界を赤く染めた、あの手ざわりがそこにある。
「あいつの執念深さは知ってるだろ。店の売り上げを栄養代わりにされたらどうするんだよ」
いいじゃない、とブタが言った。自分によく似たぬいぐるみたちの間を歩き、満足そうな表情をしている。
「最近は物騒なモンスターが多いし、ガードマンとして使えばいいのよ。あっほら、さっそく変な奴が来たわ」
ちょうど階段を上ってきたのは、顔見知りの店員だった。元・失業者の痩せた男は、タイガとブタを見ると急いで近づいてきた。腕いっぱいに抱えた布から、澄んだ水がしたたり落ちている。
「やあ、久しぶり。悪かったね、仕事の相棒をもらっちゃって」
「その布……もしかして、地下水から取ってきたの?」
男は嬉しそうにうなずいた。地震で崩れた地下道が復旧し、また地下水のほこらへ行けるようになったのだという。
取ってきたばかりの布は、きめ細やかで艶のある色をしていた。
「上等だろう。心なしか地下水も澄んで見えたよ」
「はい、さっさと並べてね。いつものとこ」
マアトに背中を押され、男は売り場に走っていった。すごいじゃん、とタイガは言った。
「もう仕切ってるのか」
「成り行きで。イベント企画も任されちゃった」
マアトははにかんで笑った。店の名前入りの帽子とエプロンも、すっかり馴染んでいる。
「そうだ。毎週土曜日に手芸講座をやるんだけど、水野さんに頼めないかな? 彼、仕事探してたでしょ」
「えっ。講師ならマアトがやればいいのに」
「あたしはほら、自分で言うのも何だけど、出来にムラがあるから」
確かに、と言いかけて、タイガは口を閉じた。ぬいぐるみたちが大きくうなずいたような気がした。
「連絡先知らないから、タイガから頼んでくれる?」
「いいよ、わかった」
マアトはくるりと背を向けて仕事に戻り、タイガは店を後にした。気のせいか、来る時よりも仕掛けが複雑になったようで、簡単には地上に出られなかった。
「これもモンスター対策なのかな」
「だとしたら意味がないわね。人間のほうが簡単に引っかかるもの」
ブタの言う通り、タイガは糸に巻かれたりホックに刺さったりし、上りきるころにはすっかり日が暮れていた。
町へ戻ると、人々はせわしなく歩き回り、西の砂丘のダンジョンにモンスターが出た、新しくできた武器屋はどうか、などと話す声が聞こえてきた。そうかと思えば普通に買い物をしたり、書類を抱えてダンジョンに潜っていく人もいる。
「で、どうやって連絡するの?」
ブタが頭の上から言った。そういえば、水野の家を知らないことに今さら気づく。電話もメールもしたことがなかった。
「いや、でも、そこらへんにいるだろ。いつも」
タイガは町を歩き回り、水野の行きそうな場所を探した。職安のダンジョン、百円ショップ、SMクラブ、どこにも手がかりはなかった。途中、着ぐるみ型の戦闘服を着た人たちとすれ違ったが、よく見ると水野のものではなく、海外製の類似品だった。
時計広場へ行くと、ようやく修理の終わった水時計の前で赤カバとヒトデが話していた。
「モンスターが増えた分、冒険者も増えましたねえ」
「そうですね。悪徳冒険者なんてのもいるらしくて、ますます警備が大変で」
「いやあ、ヒトデさんなら体当たりで一発じゃないですか」
二人とも警備員として働いているらしい。丸一日見張りをしているが、水野の姿は見なかったという。
タイガはため息をついた。
「なんか、平和になったのか不穏になったのかわからないな」
「そうね。社会なんてそんなものよ」
それにしても、みんながみんな新しい居場所をすんなりと見つけているのが驚きだった。すまし顔で形を変えるダンジョンのように、この町では人々の頭も柔らかくできているのだろうか。
商店街を歩いてまた戻り、噴水のある広場へやってきた。人通りが落ち着き、空はすっかり暗くなっている。
タイガは近づき、藍色に染まる水しぶきに呼びかけた。
「水野さん」
今にも水滴が集まり、水野が姿を現すのではないかと思った。いつもの笑顔で、ローブに光の粒をまとい、当たり前のようにタイガの隣に立っている。何も変わらない。水野だけは絶対に変わらないと思った。
静かに音を響かせる噴水を、タイガは黙って見つめていた。単調に流れ続ける水が、こんなにも虚しいとは思わなかった。
頭の上で、ブタがとんとんと足を踏み鳴らした。タイガは帽子に手を当てた。夕風に当たり、表面が少し冷えている。あの燃えるような熱さも、体の奥まで染み通る暖かさも、もう感じることはない。
魔法は終わったのだ。




