34・帰ってきた掃除ギルド
†前回までのお話†
コットン大魔王から栄養を取り返したタイガたちは、赤カバも無事に救出する。地下水のほこらには再び澄んだ水が戻った。帽子の力を強化するチャンスが訪れたが、タイガはもう魔法を使わないことを選ぶ。栄養を失った大魔王は、マアトのリュックにしまわれた。
町へ帰ってからは、予想以上に大変だった。
各地のダンジョンに栄養が戻り、モンスターが活性化しているだろうとタイガは覚悟していたが、そんなことはなかった。
コットン大魔王から取り返した栄養は、自動では戻っていかない。依然としてタイガの帽子やブタの腹の中、着ぐるみの生地やおにぎりたちの米粒の中、そしてどういう仕組みだかわからないが、水野の中にも保存されている。
それを一つ一つ、手動で返して行かなければならないのだ。
「すみません、鉄アレイの重さを返しにきました」
スポーツジムのダンジョンへ行き、帽子を絞ってみても、出てくるのはエナメルのつやと新茶の香りだったりする。
ブタはもっと大変で、行く先々で腹筋運動をし、腹をへこませた分だけ栄養を返せる仕組みになっている。着ぐるみの子どもたちはところ構わずビームや砲弾を放ち、コンサートホールのダンジョンにヒキガエルの鳴き声を送り込んだり、キャベツ畑のダンジョンにインフルエンザのワクチンを打ったりで、ほとんど役に立たなかった。
「全然はかどらないな。水野さんはどう?」
「僕はこれから、温泉のダンジョンと市民プールのダンジョンに、塩化アンモニウムと生暖かさを返しに」
水野がそこへ行って何をしているのかは、あまり考えたくなかった。
終わりのない作業かと思われたが、それでも少しずつ栄養は戻り、ダンジョンの様子も変わっていった。そしてついに、モンスターが暴れ始めた。
ティッシュ箱のダンジョンに花粉のモンスターが現れたのを皮切りに、ピアノのダンジョンに画鋲のモンスターが沸いたり、ジャングルジムのダンジョンを巨大毛虫のモンスターが占拠したり、厄介な事件が起きている。今度のモンスターたちは元気なので、簡単には倒せない。
町では大急ぎで冒険者を募り、本格的なモンスター討伐が始まった。武器は布で作った剣や杖、防具もやっぱり布製の鎧だ。手芸屋のダンジョンはさぞ儲かっていることだろう。
「子どもねえ」
ようやくスリムになってきた腹をさすり、ブタは言う。
「目新しいんだろ、お互いに。やらせとけよ」
黒ウナギはテーブル周りに寝そべり、クロスワードパズルを解きながら言った。世の中の流れが変わってもこの二匹は相変わらずで、タイガはほっとした。
「お前たちはいいのか? 戦わなくて」
黒ウナギの住んでいた図書館の池は、今や誰もが恐れるモンスターの巣窟だ。活字の読めるゼニゴケが夜な夜な出てきては、本を独り占めにして他の利用者を困らせているらしい。
「そのうちな」
「そうそう、そのうち」
黒ウナギは友達の花ヘビや白タヌキと一緒に、劇場や寺院のダンジョンを巡り歩いている。ブタはおもちゃ屋を回り、ぬいぐるみを一体ずつ住民登録するべきだと主張している。時計広場を通った時に赤カバを見かけたが、せっせと水時計の修理をしていた。
「タイガこそ、のんびりしてていいわけ?」
「え、俺?」
ブタは黒ウナギの尾びれをモップのように動かして見せた。タイガは跳ね起き、机の上のシフト表をつかんだ。
仕事のことを忘れていた。いつぞやの地震以来だ。かれこれ一週間以上も休んでしまった。
「やばい、やばい、やばい!」
慌てて着替え、荷物も持たずに走っていくと、ギルドの広場はがらんとしていた。中央の、いつも点呼をとっていた場所に主任が一人で立っていて、メンバーが数人、隅のほうで箒の手入れをしている。
「待っていましたよ」
主任は静かに言った。タイガは黙って頭を下げた。どんなに怒られるか、ひょっとしたらこの場で解雇かもしれないと思いながら次の言葉を待つと、主任はタイガの手を取り、力強く握った。
「戻ってきてくれたんですね」
主任は嬉しそうな、でもすまなそうな顔をして言った。
「残念ながら、今お渡しできる仕事はありません。そこで待機して、依頼があったら向かってください」
「えっ……仕事、ないんですか」
掃除ギルドはダンジョンの清掃だけでなく、モンスターの除去も請け負っていた。仕事はいくらでもあるのではないだろうか。
「いろいろと面白い職種が増えたでしょう。警備員や討伐隊、アイテムショップや武器職人。転職がブームなんですよ」
タイガはここへ向かう途中のことを思い出した。急いでいたのでよく見なかったが、目新しい店や求人広告がずらりと並んでいた。リクルートスーツを着た人たちもたくさん見かけたような気がする。
「みんな辞めてしまって、仕事が行き届かなくなってね。不手際の連続で、依頼もがくっと減りました」
「でも掃除する人がいないと、ダンジョンだって困るんじゃないですか?」
「カーリングギルドが、掃除も請け負うようになったんです」
カーリング、とタイガは驚いて聞き返した。
それは確か、冬のオリンピックなどで見かける団体競技だ。氷の床をこすって滑りやすくして、石を突いて飛ばし、相手の頭に当てて割ったら勝ち、というのは悪い冗談だが、この町でも行われているとは知らなかった。
「選手が床をこするついでに掃除もして、流れ弾をモンスターに当てて退治する、という寸法です。何しろ床掃除をさせたら右に出る者がいないですからね」
「で、でも、掃除は床をこすればいいってものじゃありません。主任だっていつも言ってたじゃないですか」
主任は笑い、ありがとう、と言った。
タイガは隅で待機しているメンバーたちに目をやった。彼らはどう思っているのだろう。全員、居心地が悪そうに下を向き、箒を磨いている。
「あの、主任、マアトは……」
こんな状況をマアトが許すはずはない。効率重視を売りにして、仕事の一つや二つ、散歩ついでに取ってきてしまうだろう。
聞いてないんですか、と主任は言った。
「マアトさんなら、昨日付けで退職されましたよ」
カーリングの石が頭に当たったように、タイガは動けなくなった。
何を言われたのかわからない。言葉が言葉の形をしていない。
耳の中で、砕けた石が飛び回る。
主任は気の毒そうにタイガを見ていたが、それ以上言うことはないようだった。
タイガは掃除用具一式を受け取り、他のメンバーから少し離れたところに座った。退職という言葉がここまで似合わない人がいるだろうか、と思った。




