33・タイガの出世コース
†前回までのお話†
タイガたちはコットン大魔王の気迫に負けそうになっていたが、マアトと黒ウナギとブタ、ガラスのヒトデが駆けつけ、加勢する。マアトのかがり縫いに大魔王は屈服し、流れ出した栄養分を全員でかき集めるのだった。
栄養というのは、とればとるほど良いわけではない。
タイガの帽子はおかしな形に膨れ、甘いのか辛いのか、骨を丈夫にするのか緊張をほぐすのか、笑えるのか泣けるのかわからない状態になっていた。
「うう……重い」
昼食を食べ過ぎた後、午後の仕事が眠くて仕方ない時のようだ。
子どもたちも、ぱんぱんになった着ぐるみの中でぐったりしている。ブタは鼻から吸い込んだ栄養が腹にたまり、メタボ体型になってしまった。
「いいなあ。あたし、何も食べてないからお腹ぺこぺこ」
マアトは栄養集めに加わっていなかったので、どこにも異常をきたしていない。しわしわになったコットン大魔王を丁寧に伸ばし、たたんでリュックに入れようとしている。
「おい、まさかそれ持って帰るのか?」
「だってこんなに大きい布、なかなか買えないでしょ。タイガもそっち側持って」
「ちょっと待て、何かいるぞ」
布がもぞもぞと動き、巨大な梅干しのような赤い塊が出てくる。タイガは驚いて手を放し、岩の上に落としてしまった。
赤い塊は向きを変え、にゅっと頭を出した。
「カバさんじゃないの!」
マアトが駆け寄り、赤カバを助け起こした。赤カバは大きく口を開けてあくびをし、まばたきを繰り返した。
タイガを見ると、別人のように愛想の良い笑みを浮かべた。
「やあやあ、久しぶり。いつもお掃除ご苦労様」
「お前、大丈夫か? さっきまでコットン大魔王に……」
「大魔王? 何のことかな、俺はただのカバだよ」
赤カバは鼻歌をうたいながら、水野や子どもたちにも声をかけている。素敵な着ぐるみですねえ、若いっていいですねえ、とほがらかに話す。
タイガが驚いて何も言えずにいると、黒ウナギが這い寄ってきた。
「ありゃあ、頭の中身を落としてきたな」
「えっ。コットン大魔王の中に?」
「さあな。とんでもない場所に紛れてるかもしれん」
黒ウナギはせせら笑い、タイガの帽子をヒレで指した。まさか、とタイガは頭に手を当てる。そんなわけがない。そんなものを吸収して無事でいられるのは、コットン大魔王だけだ。
「お疲れ様」
水野は赤カバに子どもたちを任せ、のんびりと歩いてきた。お前も無事か、と黒ウナギは心底残念そうに言った。
「無事でもないよ。マアトに五箇所くらい刺されたし」
「でも地下水が綺麗になって良かったよね」
みんなで吸い込んだので量は減ってしまったが、濁っていた色が元に戻り、澄んだ水が岩場を満たし始めている。ここへ足を踏み入れた時と同じ、不思議な空気の揺らぎを感じた。地下水の魔法が戻ってきたのだ。
「今なら無料で帽子が強化できるよ」
「えっ……いつもは有料なの?」
「地下水はお金にうるさいから。今のうちに頭ぶち込んでおいたほうがいいよ」
水野の言葉に呆れつつ、タイガは迷った。魔法の布を生み出す地下水は、きっと帽子に力を授けてくれる。しかしどんな力だかわからない。一瞬で町を焼き尽くす力かもしれないし、耳たぶを百メートル伸ばす力かもしれないのだ。
やっておいたほうがいいぞ、と黒ウナギも言った。
「栄養が戻ったら、モンスターどもも動き出すだろうからな」
「お前は?」
「全部が全部、俺みたいに紳士的なわけじゃないってことだな」
モンスターに支配された町を、タイガは想像してみた。
本屋のダンジョンにハタキのモンスターがうろつき、ゆっくり立ち読みもできない。カレンダーのダンジョンに仏像のモンスターが居座り、日付をまたがせてくれない。タイガの家に、黒い彗星のモンスターが大量発生して壁を這い回る。
考えに考え、タイガはうなずいた。
「うん。俺やっぱりやらない」
「ええっ!」
水野は勢い余って後ろに倒れ、黒ウナギの尾びれの上に着地して弾力で起き上がった。
「何で? タイガの帽子が強化されても、僕は悪用したりしないよ」
「いや、そんなことじゃなくて」
「本当だよ。気に入らないダンジョンを壊して回ろうとか、夜道で女性を襲わせようとか、替え玉面接をさせて自分が就職しようとか、そんなことはつゆほども考えてないよ!」
懲りない奴だな、と黒ウナギがつぶやいた。
タイガは帽子を脱ぎ、栄養で膨れてしまった部分を整えた。
「帽子の魔法はもう使わない。水野さんの力も借りない」
水野はショックを受けたように呆然としている。その表情に胸が痛んだが、もう心に決めたことだった。自分がなりたいものは、冒険者でも魔法使いでもない。もちろん、モンスターでもない。
タイガはもう一度帽子をかぶり、布地とボタン飾りをさっと撫でた。
「力は使わないけど……これは俺が持ってていいかな。水野さんに作ってもらって、マアトに直してもらった帽子だから」
水野は言葉に詰まった様子で、しばらくうつむいていた。それから思い立ったように、タイガに向き直った。
「タイガって、出世しないタイプだね」
「な、何だよそれ。水野さんにだけは言われたくない」
「僕はいいの。精霊だから」
マアトがコットン大魔王をリュックの中に押し込みながら、確かにねえ、と言った。
「ここにいる奴らとつるんでる時点で、出世コースからは外れてるわよね」
「マアトまで」
しかし、薄暗いほこらの中を見渡してみると、確かにそんな気がしてくる。
ブタ、黒ウナギ、ガラスのヒトデ。着ぐるみの子どもたちと赤カバ。おにぎりモンスターはすっかり元気になり、マントをはためかせて飛び回っている。
バカだね、と水野が言った。
「あいつらのことも僕のことも、もっと利用すればよかったのに」
水野はタイガの帽子に両手を当て、ゆっくりと力を込める。
頭から首筋へ、温かさが伝わっていく。きらきらと光る水滴が、自分の中を真っすぐに落ちていく。疲れを洗い流すように、体中に浸透していく。言葉にならないものが全て、体の奥へ伝わった。それだけで十分だった。
これが最後の魔法になるのだろう、とタイガは思った。
ゆらめく水面に、鍾乳石の影が映っている。新しい星の卵が眠っているようだった。




