30・大魔王の食事風景
†前回までのお話†
赤カバを吸収し、パワーアップしたコットン大魔王。町中のダンジョンから栄養分を吸い取り、モンスターを弱らせた張本人でもあるという。タイガは水野と協力し、大魔王の体に穴をあけるが、成功したと思ったのも束の間、穴がふさがって体の中に閉じこめられてしまう。
このまま食われてしまうかと思ったが、帽子のおかげで頭は無事だった。タイガはわずかな隙間で首を動かし、大きく深呼吸をした。
「おい、やめろ!」
コットン大魔王の声がした。そんなことを言われても、息をするのをやめたら死んでしまう。タイガは構わず続けた。
しばらくすると、おかしなことが起きた。
おいしそうなケーキやマカロンが頭に浮かんで離れない。濃厚なクリームがしたたり落ち、はちみつと混じってとろける。まるで本当に食べたような満足感が広がる。
それが終わると、わけもなくおかしくて笑いが止まらなくなった。テレビや漫画を見てもこんなに笑ったことはないのに、なぜだか今の状況が愉快で愉快で、腹がよじれるまで笑った。
次に、たくさんの色と形を見た。セロファンの太陽が照り、毛糸の地面を猫が走っていく。猫の足跡は、茶色いクレヨンでぽつぽつと描かれていく。色の上に色が重なり、混ざり合い、万華鏡のような模様の中からまた猫が顔を出す。
「やめろ! 私の養分を!」
そうか、とタイガは納得した。コットン大魔王が各地のダンジョンから吸い取ったもの、たとえば甘味や笑いや色彩は、そのまま体内に保存されていた。それが浸透圧の関係で、タイガの帽子の中に流れ込んできたのだ。
今度は、肉が焼けるようなにおいが漂ってきた。タイガは鼻をぴくりとさせた。焼き肉屋のダンジョンの前を通るたびに食欲をそそられていたにおいだ。
「こ、これは国産メカメカ牛のロース肉!」
ここぞとばかりにかぶりつくと、弾力のある歯ざわりに、血の滴るような旨みが口の中に広がった。
と思ったのは錯覚で、実際には砂を詰めた袋のような食感だった。大魔王の体内に思い切り噛みついてしまったのだ。
唸るような悲鳴が聞こえ、タイガは赤い体内をあっちへこっちへ揺られた後、ぺっと吐き出された。
地下水を跳び越え、岩場に転がり出る。尖った鍾乳石に激突しそうになったが、危うく寸前で止まった。水野が片足でタイガの腰を踏みとどめたのだ。踏みにじったと言ってもよかった。
「あのさ、他に方法ないの?」
「だって両手塞がってるし」
塞がっているといっても、水野が持っているのは小さな巾着袋だけだ。タイガは頭をさすり、起き上がった。焼肉を食べ損なったせいで、どうも力がわいてこない。
大魔王はというと、タイガに噛まれた内臓が痛むらしく、腹を押さえて悶絶している。顔も体も痩せ、一回りスリムなカバになってしまった。
「二人とも元気ないね。お昼にする?」
水野は袋のひもをほどいて言った。それどころじゃないと思いつつ、焼き肉のことが頭から離れなかった。
大魔王は顔を上げ、ふざけるな、と言った。
「この鮮血の冥王が、お前たちと同じ食事で満足すると思うか」
「わがまま言わないでよ、これしかないんだから」
「うるさい! 私の麗しい食事風景を見て、恐れおののくがいい!」
大魔王は水野を怒鳴りつけ、その場に腹ばいになった。倒れたのかと思いきや、全身を不気味に脈動させ、地下水を吸い上げている。なみなみと広がっていた流れはあっという間に小さくなり、干上がってしまった。
「そ、そんな……まさか、全部!」
むき出しになった地面に、タイガは目を見開いた。
まずいことになった。地下水なしでは、タイガの帽子は力不足だ。水野に至っては、水がなければ何もできない。
「これでお前たちは全くの役立たずだ。夏になっても出しっぱなしのこたつや、急須の注ぎ口に付いているプラスチックカバーと同じくらい無力だ」
そこまで言われる筋合いはないと思ったが、水を吸って相撲取りのように大きくなったコットン大魔王を見ると、反論する気が失せてしまう。
そんなことないよ、と水野は言った。
「僕はいつも人の役に立ってるよ。ね、タイガ?」
「う……それは」
水野は自信たっぷりに袋を開けた。どんなにすごい弁当が出てくるのかと思えば、おにぎりが二つ入っているだけだ。
「おにぎり? まさか……」
「そのまさかニギーッ!」
高らかな声を上げ、おにぎりが袋を飛び出す。豆粒のような目と牙を光らせ、海苔の代わりに、水野の手製のマントをなびかせている。
「お前たち、おにぎりモンスター……コンビニで売りさばかれたんじゃなかったのか」
「ニギたちはそんなはした金では従わないニギ」
「そうそう、仕事は選ぶニギよ」
おにぎりたちはマントを翻し、大魔王に向かって飛んでいった。水野が手を振ると、マントが風を含んで加速する。まるで、服が意志を持っているようだった。