28・コットン大魔王
†前回までのお話†
ガラス工場跡のダンジョンにたどり着いたタイガは、一気に階段を転げ落ちてしまう。気がつくとそこは地下水のほこらだった。先に来ていた赤カバは、今まさに地下水から力を得ようとしているところだった。水野の姿は見当たらないが……。
赤カバは、タイガとは別のルートを通ってほこらへ来たという。
手芸屋からの地下通路、ガラス工場からの階段、そしてもう一つ、誰も知らない秘密の入り口があるというのだ。
「ふーん。どこにあるの?」
「教えたら秘密じゃなくなるだろうが」
赤カバは渋るそぶりを見せたが、本当は話したくて仕方なかったようで、得意そうに鼻を膨らませた。
「水時計だ。時計広場のはずれ、見たことあるだろ」
「水時計? でもあそこは……」
水時計のダンジョンには、誰も入ることができない。時を刻む水が常に流れているため、巻き込まれると大変なことになる。過去へ飛ばされたり、終わらない時の中に閉じこめられたり、さっき寝たと思ったらもう朝になっていたり、世にも恐ろしいことが起きるのだ。
わかってないな、と赤カバはあざ笑った。
「入るのなんて簡単だ。精霊の兄ちゃんに流れを止めてもらったからな」
そうか、とタイガはようやく気がついた。赤カバが水野を連れて行ったのは人質目的ではなく、水時計を操作するためだったのだ。
赤カバは上機嫌で話を続ける。
地下水のほこらへ行きたいと言うと、水野はすぐに力を貸してくれたという。水時計に向かって冷気を放ち、一瞬で凍らせ、粉々に砕いてしまった。後にはワカサギ釣りの穴のような通路が残り、簡単に入れるようになった。
「ちょっと待て。砕いたってどういうことだよ」
まあまあ、と赤カバは言った。
「大したことじゃない。この俺が地下水に触れれば、時計百個ぶん以上の力がみなぎってくるはずだ」
そう言いながら、赤カバは水に足をつけようともしない。淡く光る水面をちらりと見ては、あっち側の色がいい、いやこっちのほうがいい香りだ、などと言っていつまでも動かずにいる。
試しに背中を押してやると、悲鳴を上げて足場にしがみついた。
「お、お、俺はな! 水に入るのは五十年ぶりで」
「水野さんはどこ?」
「知らん! そのへんにいるだろ」
タイガは足場を離れ、細い流れをまたいで歩き始めた。じわじわと、胸に怒りが沸いてくる。何だっていつも、自分が収拾をつけなければならないのだろう。
地下水は淡い光を放っていて、風もないのに波打ったり揺らめいたりしている。映る景色が逆さまに見えたり、色が反転して見えたりする。思わず吸い寄せられそうになり、その度に立ち止まった。水面に映る自分の顔が、驚くほど頼りなく見える。
「うう……何か、やな感じだな」
見なかったふりをして、歩き続ける。この場所は、これまでに見たどのダンジョンとも違う。空気が薄いような濃すぎるような、落ち着かない感じがする。布やガラスだけではなく、何か大きな力が眠っているようだ。
ふいに、後ろで叫び声が上がった。
「放せ! おい、放せ!」
振り向くと、水の中から白い腕が伸び、赤カバの背中の皮をむんずとつかんでいた。
「俺はしゃぶしゃぶの肉じゃないぞ!」
赤カバは短い足をばたつかせ、必死に離れようとしている。伸びてくる腕は筋骨隆々で、指の一本一本が荒縄のように太い。ずるずると水に引き込まれ、赤カバは悲鳴を上げる。
タイガは駆け寄り、赤カバの前足をつかんで引き戻そうとした。すると、盛大なしぶきを上げて相手が全貌をあらわした。
「あ、あれは……」
恐ろしくて言葉が出ない。
というほどではなかったが、何と呼んでいいのかわからない生き物がそこにいる。タイガは指さした格好のまま、次の行動が起こせなかった。
白い肌をした、ぱっと見は巨人のようだ。顔はなく、鼻があるはずのところに大きな裂け目がある。太い両腕と分厚い胸板、がっしりした足腰を持っているが、妙に頼りない。生き物というよりは、大量の綿を固めて作ったオブジェのようだ。
タイガは赤カバを引っ張り返したが、自分も一緒に引きずられてしまう。食われる、と本能的に思った。この怪物は飢えている。命乞いも話し合いもできない、欲望の塊だ。
「も、もう無理……」
足の力が抜け、一気に引きずられていく。これまでだ、と思った瞬間、銀色の光が怪物の体を貫いた。綿雲のような欠片が飛び散り、怪物はうずくまる。
数メートル離れた岩の上に、水野が立っていた。薄暗いほこらの中で、そこだけが鮮やかで明るい。両手に持った縫い針が、地下水のわずかな光を反射しているのだ。光線を放ったように見えたのは、針を一本投げただけだったらしい。
「良かった、間に合って」
水野は岩場を蹴って飛び、泡のような姿になった後、タイガのすぐ横に現れた。
タイガは大きく息をつき、その場に座り込んだ。文句を言うべきか礼を言うべきか、今はまだ頭が働かない。
「大変だったね。何でこんなところに来たの?」
前言撤回。やはり文句を言うことにした。
タイガはこれまでのいきさつを話した。元はと言えばお前のせいだと力説するつもりが、プラネタリウムや博物館のダンジョンのことを思い出すと、つい事細かに話してしまい、そのうち怒りがうやむやになってしまった。
ガラスのヒトデに出会ったところまで話した時、ちょっと待って、と水野が言った。
「コットン大魔王が起きてきた」
「えっ」
振り返ると、白い怪物がゆっくりと頭をもたげるところだった。頭部の裂け目が広がり、笑っているように見える。そんな名前だとは知らなかったが、不気味なことに変わりはない。
「えーと……水野さんの知り合い?」
「違うよ、残念ながら」
赤カバが再び悲鳴を上げた。見ると、コットン大魔王が赤カバを両手で捕まえ、裂け目の近くまで持ち上げていた。ただでさえ小柄な赤カバだが、巨大な怪物を前にすると本当に小さく見える。
「大魔王っていうからには、やっぱり強いの?」
「さあ。僕も今初めて見たから」
「じゃあ何で知ってるの?」
「就職情報誌に書いてあった。コットン大魔王の産毛を採取して綿棒を作る仕事があるんだって」
そんなことを話している間に、赤カバは裂け目に放り込まれてしまった。
裂け目の奥でゴクンと音がして、それきり何も聞こえなくなった。タイガと水野は顔を見合わせ、この状況にふさわしい言葉を探したが、一向に見つからなかった。




