26・ガラスのヒトデ
†前回までのお話†
赤カバと水野を追って、タイガたちは移動ダンジョンでガラス工場跡を目指す。その奥に地下水のほこらがあるというが、赤カバの目的は一体……?
移動ダンジョンでらくらく移動してきたはいいが、どうやって脱出したらいいのかわからない。こんな時こそ、黒ウナギのドリル光線が役に立つ。
「まったく、人を便利屋みたいに」
黒ウナギは口を開け、大きな口腔に光を溜める。この光線は強力で、ちょっとした障害物なら簡単に貫いてしまう。
「俺も貫かれそうになったっけ。まるでついこの間のことみたいに思えるよ」
「ついこの間だしね、実際」
タイガとブタが話している間に、黒ウナギはさっさと壁に光線を放った。ところが壁はびくともしない。勢いをつけてもかけ声をつけても、歌をつけてみてもだめだった。
「驚いたな。こんなに固い壁は初めてだ」
「きっとダイヤでできてるんだわ!」
マアトは目を輝かせたが、どう見ても違う。
「何か方法があるんだよ。暗号とか、鍵とか」
タイガは考えた。金庫破りのダンジョンというのを見たことがある。文字通り、破るための金庫なのだ。数字を合わせたり、ダイナマイトを仕掛けたり、あらゆる手段を使って入り込み、中にある古紙を回収してきてトイレットペーパーに変える、エコな施設だ。
「そうだ!」
思いついたのは、それとは全く関係のないことだった。
タイガは帽子の両端を握り、頭に意識を集中させる。壁を掘れ、壁を掘れ、壁を掘れ、と何度も強く念じた。
「だめだ。水野さんがいないと……」
タイガはふと思い出す。布でできたアイテムは、作った人の影響を強く受ける。この帽子は水野が作ったものだが、その後マアトが手直しを入れている。手芸屋の言ったことが本当なら、マアトの力でも動くはずだ。
「マアト、ちょっと帽子さわってみて」
「えっ。こう?」
マアトが後ろから触れると、体の奥に小さな火がともったような気がした。これはいける、と直感的に思う。
「もっと強く!」
マアトはうなずき、タイガの頭を締め付けた。
「ち、違う。心で強く……」
マアトは聞かず、渾身の力で頭をわしづかむ。あまりの痛みにタイガは気を失いかけた。
「私たちも手伝うわ」
「これでいいのか?」
ブタと黒ウナギも帽子に飛びつき、次の瞬間、タイガの頭がぐにゃりと壁にめり込んだ。そのまま肩が、腕が、胴体が、やがて全身が壁に入り込んでしまった。
「ふう。思ったより楽だった」
壁の中はひんやりとして、肌ざわりが良い。目を開けて顔を動かし、息をすることもできる。
辺りは透明で、見渡しがきく。まるで灰色のゼリーの中を泳いでいるようだ。珍しい形の石や、見たことのない生き物の骨とすれ違い、タイガは掘り進んだ。
やがて景色が変わる。スポンジを突き破るような感覚とともに、タイガは壁から顔を出す。
「ここがガラス工場跡か」
透き通った壁と天井に、深緑や真紅の光が灯っている。タイガは彫像のような体勢から、肩をよじったり伸ばしたりしながら這い出した。
振り向くと、壁の穴はもう塞がっている。
「おーい。マアト」
自分の声だけが響く。
「おーい。ここは最高だぞ。温泉のダンジョンとホールケーキのダンジョンと足つぼマッサージのダンジョン、三つもある!」
返事がない。マアトたちは向こう側に取り残されてしまったようだ。
タイガは迷った末、一人で先へ進むことにした。
長い間手入れがされていないようで、床にはガラスの粉が積もっている。壊れた人形やアクセサリーがあちこちに落ちていて、まるで生き物のように見えた。
「よくできてるなあ」
星形のペンダントトップを拾い、頭上にかざした。複雑な色の光を放ち、ほのかに温かい。投げ上げると、しばらく空中に留まり、ゆっくりと手の中に収まった。
「もしかして……これもモンスター?」
ブタが動き出した時のことを思い出す。ぬいぐるみが動くなら、ガラス細工が動いてもおかしくはない。こんな生活をしていると、無機物が動くことに対してとても寛容になってしまうのだ。
「モンスターではありません」
「わ!」
突然声がして、タイガはガラスの星を放り出してしまった。割れる、と思ったが、地面すれすれで止まった。
「私はただのガラスです。ちょっとヒトデの形をしているというだけで」
「あ、ヒトデなんだ」
そんなアクセサリーは誰も欲しがらないだろうと思ったが、ヒトデは気にしていない様子だ。ふわふわと浮かんでタイガの手のひらに戻ってくる。
「私は地下水から生まれました。ミネラルと鉄分が豊富です」
ヒトデの話によると、このガラス工場は元から無人だったらしい。地下水からひとりでに商品が生まれ、売場まで歩いていって整列し、接客も販売も自分たちでしていたという。
「その地下水って、今は布を作ってる?」
「よくご存知ですね。ガラスより布のほうが売れるみたいで、ずいぶん前に転職しましたよ」
何とも夢のない話だ。売り上げで仕事を選ぶなんて、地下水のすることとは思えない。
「近くに湧いてるの?」
「すぐそこですよ。ヒトデの足で一ヶ月くらいです」
近いのか遠いのかわからない。
「案内してよ」
「いいですよ!」
ヒトデはオレンジ色の光を放ち、一直線に飛んでいった。タイガは慌てて追いかける。速すぎて、光の残像がなければ見失うところだ。
「この速さで一ヶ月なんて……あっ」
走っていくと、下へ向かう階段が見えた。一段目のところにヒトデが突き刺さっている。
「すいません。勢い余って」
タイガはヒトデを引っ張ったが、どうしても抜けない。
「大丈夫です。このまま潜って進めます」
ヒトデは懸命に足を動かし、床を掘り進もうとする。なるほどこれで一ヶ月か、とタイガは納得する。
「あの、俺は一人で大丈夫だから。マアトたちが来たら、また案内してやってくれる?」
「もちろんです!」
ヒトデはくぐもった声で言った。タイガは階段を下りる前に周りの床を掃除した。せめてものお礼、と思ったが、ゴミがなくてもヒトデが動きにくいのに変わりはないようだった。




