20・砂時計のダンジョン
†前回までのお話†
モンスターのいる生活は思いのほか退屈なものだった。子供たちは水野の作った着ぐるみを着て、モンスターごっこに明け暮れる。タイガとブタは呆れながらも、着ぐるみの出来には感心せざるを得なかった。
時計広場は、小さなダンジョンの集合地だ。置き時計のダンジョン、柱時計のダンジョン、日時計のダンジョン、水時計のダンジョン、砂時計のダンジョンの五つがある。
中心にあるのは砂時計のダンジョンで、地下一階から二階へ砂が滑り落ちると正午、ひっくり返ってもう一度滑り落ちると一日が終わる。
この砂が、半分ほど落ちたところで止まってしまった。すると残りの四つのダンジョンもたちまち狂い、置き時計と柱時計は十二時手前で止まり、日時計はおかしなところに影を落とし、水時計はゼリー状に固まったまま動かなくなった。
ゴミか何かが詰まっているのだろう、ということで、掃除ギルドが砂時計の点検をすることになった。
タイガとマアトは時計広場の中心にやってきた。丸い入り口から螺旋階段が地下へ伸び、ピンクの砂煙がもうもうと漂っている。
タイガは階段を覗き込んだ。視界が悪く、中の様子は一切わからない。気をつけて、とマアトは言った。
「時の砂は貴重なんだから。一粒でもなくしたら大変よ」
中に入ると、足場は全て砂で埋め尽くされていた。一歩進むごとに砂煙が舞い上がり、ボン、ボンと鈍い音が聞こえてくる。二人は顔を見合わせ、何の音だろう、と言った。
T字型のスクイジーで砂を押し分けていくと、ようやく音の正体がわかった。
「見て、あそこ」
マアトが指さした場所には、わずかな窪みがあった。そこに砂が流れ込んでは、ボンと噴き出し、また流れ込み、それを延々と繰り返している。
「あそこが階段か!」
砂時計の砂は、地下一階から二階へ階段づたいに落ちる。異物があるとすれば、きっとその途中だ。タイガはスクイジーを逆さまに持ち、窪みをつつこうとした。
「だめ! そんな乱暴にしたら」
「じゃあどうすればいいんだよ」
マアトは黙って窪みに近づいた。両手で口を覆い、目を閉じる。そのまま砂の中にかがみ込もうとしたので、タイガは慌てて止めた。
「俺がやるよ」
タイガはゴーグルで目を覆い、洗濯ばさみで鼻をつまんだ。そんなんで大丈夫なの、とマアトが言う。考えても仕方がない。砂が流れる中心に、頭から勢いよく潜った。
視界がピンクに染まり、全ての音が消える。砂が顔をざらざらとこすり、口の隙間から苦い味が入り込む。
両手で砂をかき分けていくと、何か柔らかいものに触った。砂の中でもがき、動き回っている。思い切ってつかむと、人肌に近い温度と感触だ。抵抗して暴れるのを、力いっぱい引き上げた。
「ぷは!」
タイガは窪みから顔を出した。つかえていたものが取れたせいで、砂の流れが速くなる。マアトに手を貸してもらい、どうにか這い上がった。
もう片方の手でつかんでいたのは、ピンクのクマのぬいぐるみだった。
「違う! ピンクでもないしクマでもないしぬいぐるみでもない!」
それはタイガの手を振り払い、床に飛び下りた。地団駄を踏んで体を揺らすと、こびりついていた砂が落ちた。出てきたのは、毒々しい赤い色をしたカバのような生き物だ。大きな口と鼻の穴からは、砂混じりの煙を吐き出し続けている。
「人間どもが、余計なことをしやがって」
体は小さいが、中年男のような声だ。ここに住んでるの、とマアトが聞いた。カバは馬鹿にしたように目を細めた。
「こんなところに住めるわけないだろう。カバじゃあるまいし」
「どう見てもカバだけど」
「失礼な奴らだな。俺はモンスターだ。名は“赤の神獣”」
鼻を鳴らし、怒った調子で言う。憎々しいながらも、どこか愛嬌がある。襲ってくる様子もない。
「ごめんなさい、赤の珍獣さん」
「神獣だ、神だ! 俺はたまたまここを通りかかったんだよ。そしてたまたま運悪く転がり落ちて、階段の途中に引っかかったんだ」
赤カバ、もとい赤の神獣は大きな頭を振って言った。こんなぬいぐるみのような体型では、転がり落ちるのも無理はない。
マアトは赤カバの体を見て、あっと声を上げた。
「カバさん、服着てるのね!」
「カバじゃないと言うておろうに」
「なかなかいい服ね。でも破れちゃってるわ」
赤カバはサスペンダー付きのズボンを履いていたらしく、チェック柄の紐と布地の一部が体にくっついている。残りは千切れてどこかに行ってしまったようだ。うわ、とタイガは額を押さえた。
「俺が引っ張ったせいだ。どうしよう」
「大丈夫よ。あたしが直してあげる」
マアトが腕まくりをし、砂まみれのリュックから裁縫セットを出した。赤カバは顔をしかめ、断る、と言った。
「お前の裁縫の腕、モンスターの間でも有名だ」
「えっ。本当?」
「ああ。あまりにもひどいと有名だ」
マアトは巾着から針箱を出しかけ、凍りついたように手を止めた。赤カバは構わず続ける。
「俺の服はな、精霊の兄ちゃんに作ってもらったんだ。速く美しくシンプル、いやあ見事だね。お前とは比べものにならん」
「何……ですって?」
タイガは黙り込んだ。赤カバの言うことは本当だ。好みや芸術性は別として、水野はマアトの数倍速く丁寧に縫うことができる。
「そういうことだから近寄るな。センスの無さがうつる」
「黙って聞いてれば……このハゲのチビのおっさんカバ!」
マアトが裁ちばさみを振り上げたその時、雪崩のような音がして、大量の砂が押し寄せてきた。まずい、とタイガは直感で気づいた。詰まりが取れて、ダンジョンが急速に動き出したのだ。今までの遅れを取り戻そうとしているに違いない。
「急げ!」
タイガはマアトの腕と赤カバの耳をつかんで走った。二人は文句を言ったが、それどころではない。砂が落ちきると、一階と二階が逆転する。そうなるとまた上から砂が落ちてきて、行く手を阻まれ、また逆転し、いつまでたっても出られなくなってしまう。
砂を蹴散らし、出口へ続く階段を全速力で上った。時の砂が貴重だということも、この際忘れた。靴の裏に砂が付いていようが、口に砂を含んでいようが構わない。タイガはマアトと赤カバを引き連れて、ようやく出口から飛び出した。
「ふう、間に合ったあ……」
タイガは芝生に仰向けになり、喉をさすった。手のひらがピンクに染まり、胃の中までざらざらする。
程なくして、ダンジョンの奥から岩のぶつかり合う音が響いてくる。逆転が始まったのだ。マアトと赤カバは息を切らしながら、ダンジョンの出入り口を見ていた。
「ふん。人間どもと関わるとろくなことがない」
「おい、待てよ」
赤カバはタイガの脇をすり抜け、走っていった。そして案の定、となりのダンジョンの前でつまづいた。そこは柱時計のダンジョンで、同じように長い階段が地下へ伸びている。
「うわ……ああああああっ!」
赤カバはあっという間に階段を転がり落ちていった。振り子の揺れる音に合わせて、助けてくれー、という声が聞こえてくる。サスペンダーの切れ端か何かが引っかかったのだろう。
「あーあ。だから言ったのに」
柱時計のダンジョンは頑丈なようで、赤カバが落ちてきても変わらず動き続けている。二人は仕事を切り上げ、帰ることにした。
「それじゃあカバさん、頑張ってね」
カバじゃない、カバじゃない、と時を刻むように声が響き続けていた。