19・あと五分
†前回までのお話†
百年の眠りについていたモンスターたちが、ついに動き始めた。掃除ギルドが除去することになったが、ふつうの動物と見分けがつかず苦戦する。モンスターは栄養不足で弱っているため、当座は平和な日常が続くのだった。
モンスターがいる生活にも、町の人たちはだんだんに慣れてきた。
スーパーの中をゴブリンが走っていたり、レストランのメニューの文字が急に飛び出して這い回ったり、自分の家の前で小さなガイコツが寝ていたりしても、誰も騒いだりしなくなった。
そんな中、水野が新しい仕事を見つけたというので、タイガとブタは見に行くことにした。
「ダンジョン・レミュエラって、何の店だろう」
「駅の裏側のほうね。人が入ってるの見たことないけど」
手土産に串団子を買い、その場所へ行ってみると、なんとダンジョン・レミュエラはSMクラブだった。何かの間違いではないか、もらったメモを何度も見返したが、やはり合っている。
「人が何の仕事をしようと自由だわ」
「それはそうだけど、SMっていったらやっぱりSM……」
通る人がちらちらと見ていく。とりあえず入ろう、とタイガは言い、ブタは頭の上に飛び乗った。
中は真っ暗だ。入ってすぐ階段があったが、危うく見落として転げ落ちるところだった。地下一階へ降りてもまだ暗い。天井から垂れ下がっている布のようなものや、足下に横たわる鎖、大きな椅子やソファーにぶつかりながら、どうにか進んでいく。
「夜にならないとやってないんじゃない?」
その時、何かがタイガの足をつかんだ。慌てて立ち止まったが、バランスを崩して膝をついてしまう。ずしりと背中に重みを感じ、起き上がることができない。誰かが後ろからのしかかり、背中を踏みにじっているのだ。
「おい、やめろ、俺は客じゃない!」
振り払うと、今度は爪を立てられた。まだくっついてるわ、とブタが言った。タイガは体を揺すり、どうにか振り落とした。ふかふかの毛に覆われたものが床に転がり、不気味な声を上げる。
こっちにもいる、とブタが叫んだ。
「いた、いたた、尻尾を引っ張るんじゃないわ」
正体不明の生き物は、どうやら一匹ではない。吠える声も複数聞こえる。タイガとブタは身を寄せ合った。
「あれ、来てくれたの?」
ぱっと明かりがついた。
すぐそばに水野がいて、タイガは仰天した。いつものローブの上にエプロンをつけ、腕にはなぜかピンクッションのブレスレットをしている。
「いい場所でしょ、明るくて賑やかで」
「いや真逆だろ。最悪だろ」
ふと足下を見ると、銀色のマリモのような生き物がにんまりと笑っている。ブタにのしかかっているのは、継ぎ接ぎだらけのゾンビだ。カラフルなクマやライオン、足の生えたキノコ、おかしな生物が勢揃いだ。
モンスターだ、とタイガは言った。
「違うわね。中に人が入ってる、お約束のパターンだわ」
「あー、言っちゃだめ!」
マリモの頭がぱかっと開いて、小さな女の子の顔が覗いた。よく見ると、開いたところはファスナーになっている。
ゾンビの中からは、痩せた男の子が顔を出す。よくできた衣装で、本当にゾンビの皮を突き破って出てきたように見える。
「モンスターはモンスターなのよ」
「そーだそーだ。ハゲててもアフロでもニートでも社畜でもモンスターなんだぞ」
二人は水野に駆け寄り、ファスナーを上げてもらうと、ばらばらに駆け出していった。
「何でSMクラブに子供がいるんだよ」
「子供に罵られるのが好きな人もいるわよ」
「お前は黙ってろ」
タイガはブタを小脇に抱え、水野をじろりと見た。僕の趣味、と水野は言った。
「えっ」
「僕の趣味」
「待て」
「僕の趣味で、新しいダンジョンを作ろうと思って。昼間だけここを貸してもらうことにしたんだ」
「今、わざと区切った?」
水野は笑う。
鬼や悪魔の着ぐるみを着た子供たちが走り回り、呪文のような言葉を唱え合っている。勇者の姿でおもちゃの剣を振り回したり、狼の姿で遠吠えをしたり、冒険ごっこを楽しんでいるらしい。
「ブタはいないようだけど、あなたの趣味じゃないのかしら?」
「食料としては嫌いじゃないよ」
タイガは呆れたが、同時に少し感心した。町でモンスターを見かけるようになって、子供たちの期待は膨らんだ。でも蓋を開けてみれば、モンスターはへろへろに弱っているし、ダンジョンは相変わらず店や施設として使われているし、面白いことは一つもなかった。
退屈した子供たちには、こんな遊び場が必要だったのかもしれない。
「破れちゃった。直して」
脇腹を押さえたトロルが来て、可愛らしい声で言った。水野は腕のピンクッションから針を一本抜き、さっと縫い止めた。タイガが口を開けて見ていると、今度は化け猫とミイラ男が来て、耳がちぎれた、包帯がほどけたと騒ぐ。
水野の手つきは慣れていた。自分のローブを直した時と同じように、縫い目さえ見えない。
「すごいな。全部手作り?」
「良ければそのブタも縫い直してあげるよ」
ブタは素早く身をかわし、タイガの頭に乗った。
「おあいにく様。私はマアトの個性的な縫い方が好きなの」
気づけば子供たちは好き勝手に駆け回り、階段を上り下りし、業務用の棚から手錠や猿ぐつわを出してきて遊んでいる。転んで泣く子がいても、火のついたろうそくを押しつけられて喜ぶ子がいても、水野は放ったらかしだ。
「子供なんて、お腹が空けば戻ってくるよ」
「そのうち親から訴えられるぞ」
タイガは串団子を持ってきたことを思い出し、包みを取り出した。みんなで、と言うより先に、着ぐるみたちが集まってきた。
「おやつ」
「おやつくれ」
「おやつ食わせろ」
ものすごい勢いで押し寄せたので、タイガは包みを高々と上げ、頭の上のブタに持ってもらわなければならなかった。
水野は子供たちに微笑みかける。
「全員分はないからね。勝った人だけだよ」
じゃんけん大会でも始めるのか、とタイガは思ったが、そんな秩序立ったことをするわけもなかった。子供たちは近くにいる相手を引っ掻いたり組み敷いたり、思い思いに戦った。その間にも、下のフロアから新しく参加者がやってくる。
「本物のモンスターが紛れてても、誰も気づかないわね」
ブタがぽつりと言った。
ドラゴンの着ぐるみが炎を吐いているように見えるのは、きっと気のせいだろう。キリンの着ぐるみが宇宙と交信しているように見えるのは、もっと気のせいだろう。
みんな急いで、と水野が言った。
「あと五分でSMクラブが始まっちゃう」