17・照り焼きと蒲焼き
†前回までのお話†
タイガの家に黒ウナギが現れた。移動ダンジョンを通って入り込み、押し入れに潜んでいたという。モンスターたちがこぞって復活しようとしているという話を聞き、驚きつつも興味深く感じるタイガだった。
栄養不足でさ、と黒ウナギは言った。
タイガは冷蔵庫から魚肉ソーセージを出してきてテーブルに置いた。
「いらん。微妙に共食いだし」
黒ウナギはヒレを動かし、ソーセージをタイガのほうに押し返した。タイガはビニールをはがして食べた。
黒ウナギの話によると、モンスターたちは図書館から通じる池の、水底に貼り付いて眠っているのだが、すっかり弱ってしまい、自力で起きてこられないのだという。
「じゃあ、そこに食べ物を投げ込めばいいのか。図書館は飲食禁止なんだけど」
「食い物は足りてる。問題は水だ。昔はあそこ一帯が海みたいに大きな水場だったんだが、ここ百年の間にすっかり枯れ果ててしまった」
タイガは黒ウナギのいた池を思い浮かべた。水はなみなみとして、十分足りているように見えた。
「いやいや、あんなもんじゃないんだな。なあブタ」
「さあ。私は池なんてどうでもいいわ」
すっぱりと言われ、黒ウナギは不服そうに目を細めた。コーヒーを一口飲み、角の先を点滅させる。
「この町にダンジョンが多いのは、地下水が豊富だからだ。ダンジョンもモンスターも水から生まれた。ダンジョンが毎日姿を変えたり移動したりするのも、そう考えれば納得だろ?」
「うん」
「で、今は肝心の水が足りてないんだが、補充するには精霊どもの力が必要だ」
タイガはブタに目をやった。助け船を出すつもりはないらしく、すまし顔をしている。
精霊といったら、例のあの精霊だ。この町で出会った「自称」精霊は一人しかいない。
「水野さんに頼めばいいの?」
「まどろっこしいことはしなくていい。奴を池に放り込んで養分にする」
「そっか、それなら簡単……っておい」
黒ウナギは笑っている。タイガはぞっとして、それから一瞬、水野なら池に引きずり込まれても平気なのではと思い、いやいややっぱり、と首を振る。
「無理。そんなことできない」
「いや、やってもらう」
タイガは立ち上がり、出て行け、と言おうとした。しかしその前に、ブタが腰を上げた。
「見なさい」
ブタの目線を追うと、部屋の隅に、淡い光を放っている場所がある。黒ウナギの角の光とは違う、透明感のある冷たい光だ。
「水野さん!」
クローゼットの上に水野が座っている。いつの間に入ってきたのだろう。そして、ぼろぼろになったはずの服と帽子が綺麗に直っていることにも驚いた。
「当事者同士で話すのが一番よ」
胸を張るブタに、黒ウナギは舌打ちをした。水野のいないところで、こっそり協力者を増やしたかったらしい。
水野は雨粒のような光を散らし、下りてきた。帽子は一回り小さくなり、ローブの裾と袖が短くなっているが、縫い目も継ぎ跡も見当たらない。どうやって直したのか、マアトの手縫いとは比べものにならないほど綺麗だ。
「ホントむかつくよな。無駄に人間受けのいいルックスしてやがって」
黒ウナギはテーブルを離れ、水野に這い寄った。角の光が燃えるように明るくなる。水野は憐れむように笑った。
「人間受けなら君のほうがいいでしょう。食糧的な意味で」
「黙れゆとり」
「そっちこそ黙ったら。照り焼き? 蒲焼き? どっちだか知らないけど」
蒲焼きは照り焼きの一種だから、結局は同じものではないか。そんなことを考えていると、ブタに腕をつつかれた。
「伏せて」
「えっ」
咄嗟にテーブルの下にしゃがむと、今までいた場所が爆発した。頭を砕くような轟音と光に、タイガは顔を伏せた。
黒ウナギのドリル光線と水野の竜巻が、部屋の中央でぶつかったのだ。
「ワンパターンだな、ゆとり」
「そっちこそ芸がないね、ひつまぶし」
「ひつまぶし言うな!」
カップが落ちて割れ、超新星のような光で部屋が小刻みに震えた。黒ウナギは天井を突き破る勢いで伸び上がり、水野はパソコン机の上に飛び乗った。その場所から、さらに互いを攻撃する。
「待て、待て、お前ら」
タイガはどうにか立ち上がったが、眩しくて目を開けていられない。何かが散らばる音がする。梅ジャムの瓶が足下を転がっていった。
このままでは部屋が壊れてしまう。何とかしなければ、明日から寝る場所がない。
手探りでクローゼットを開け、帽子を探した。マアトの大きな縫い目が手に触れ、すぐにわかった。帽子をかぶり、後は何も考えなかった。ただ真っすぐ、突風と光が渦巻く中心へ走り出ていった。
「タイガ!」
ブタが叫んだ。
タイガは目を閉じ、両手を広げた。頭の中で炎が弾け、熱さと痛みが同時に押し寄せる。
水野と黒ウナギの声が響き、タイガはその場に倒れ込んだ。
目を開けると、部屋は壊れていなかった。
壊れかけているだけだった。
ドリル光線が貫いたのでもなく、竜巻でばらばらになったのでもなかった。水野と黒ウナギが左右に飛ばされ、それぞれ壁にめり込み、部屋を歪ませていたのだ。タイガが伸ばした両手の、ちょうど延長線上だ。
帽子が熱い。どうだ、いい仕事をしただろう、とでも言いたげに熱かった。
「勝ったわね」
足下でブタが言った。割れたカップ、本や服やタオルがあちこちに散らばり、ゴミ箱も倒れているが、問題は壁、とにかく壁だ。
「い……生きてる?」
タイガが呼びかけると、水野は壁に頭を突っ込んだまま片手を上げ、黒ウナギは小さく唸った。ひびの入った壁から、ぱらぱらと破片が落ちる。
壁を崩さないように注意を払いつつ、二人を引っ張り出してくるのに五時間以上かかった。砂山崩しの砂の中に住んでいたら、きっとこんな気分だろう。終わった時には動く気力も残っていなかった。
「栄養不足だ……」
黒ウナギが床に伸びてしまうと、足の踏み場がなくなった。ブタを本棚に乗せ、水野を風呂場に放り込み、タイガは押し入れで寝ることにした。
夢の中で、水底からおびただしい数の目が見上げていた。こっちへ来い、こっちへ来いと言うので覗き込むと、高級魚肉ソーセージがもらえた。いい夢だ、と思っているうちに朝になってしまった。