16・掃除機と訪問者
†前回までのお話†
ごみ捨て場を脱出したタイガは、移動ダンジョンが去っていくのを目撃する。
水野にもらった帽子は焼け焦げてしまったが、通りかかったマアトが得意の(?)裁縫でキャスケット型にリメイクしてくれる。
そしてまた、ダンジョン掃除の毎日が始まる……。
掃除機のダンジョンは、町の片隅に転がっている。見た目は巨大な掃除機そのもので、落ち葉や紙くずを吸い込んでくれる。電源ボタンはなく、年がら年中吸い込みっぱなしだ。そして、溜まったゴミを捨てる機能がない。
そういうわけで、掃除ギルドが掃除機の掃除を請け負っている。
吸い込み口から管をつたって入ると、地下一階のダストボックスに到着する。ゴミを手作業で集めた後、地下二階のフィルターを磨き、三階ではファンやモーターを掃除する。
「ごみ捨て場から帰ってきたばっかりなのに、またこんな場所か」
タイガはぼやいた。マスクとゴーグルをしていても、ダストボックスの中は息苦しい。砂埃の中からペットボトルや瓶を選り分け、袋に入れていく。
効率が悪いわね、とマアトが言った。
「移動ダンジョンを掃除機として使ったほうがまだ優秀だわ」
それでもマアトは機嫌が良かった。自分の繕った帽子を、タイガが嫌がらずにかぶっているからだ。
積もった埃を掃き集めながら、タイガは帽子に触れた。大きなちりとりを思い浮かべてみたが、何も起こらない。空気清浄機も、目薬もうがい薬も不発だった。
「それって、本当に帽子の力だったのかしら」
マアトはマスクを外し、汗を拭って言った。
「霧もドリルも、水野さんの自演だったんじゃない?」
「でも、何のために」
「何かあった時、タイガのせいにできるでしょ」
タイガはぎょっとして、結びかけたゴミ袋の口を離した。
そんなはずはない。いくら何でも、水野がそんなことを考えているとは思えなかった。
「なんてね。あたしが縫ったんだから悪いことは起きないわよ。ブタさんみたいに喋るようになるかも」
「それは勘弁。あんなのは一人で十分だ」
仕事を終えて家に帰ると、ブタが待っていた。一人ではなかった。
黒くてらてらとした巨体を見て、タイガは一瞬、家を間違えたかと思った。
「お疲れ」
黒ウナギが言った。片方のヒレで器用にカップを持ち、コーヒーを飲んでいる。ブタはテーブルの上に座り、雑誌を読んでいた。
「お帰り。早かったわね」
「それ……そいつ、どこから」
「戸棚から、使ってなさそうなの借りたわよ」
「カップじゃないよ、そっち」
タイガは黒ウナギを指差して言った。ブタは雑誌を閉じ、フンと笑った。
「押し入れ覗いたら、この人がいたの。狭いって言うからこっちに移ってもらったわ」
「数日前からいたけどな」
黒ウナギはゆったりした調子で言った。前に会った時のように攻撃的ではない。タイガは空いている椅子に座った。
「どこから入ってきたんだよ」
「移動ダンジョン。帰ろうとしたらなくなってた」
そういえば昨日の夜、布団を出し入れする時に、見慣れない黒い毛布が隅のほうに丸まっていると思った。どうして気づかなかったのだろう。
「お前の池と移動ダンジョンが繋がってたのか?」
「そうらしい。ここ天井低いな」
黒ウナギは難儀そうに体勢を変えた。角の先に灯る光が、近くで見るとなかなか美しい。提灯が二つ浮かんでいるようで、おでんが食べたくなる。
「もしかして、移動ダンジョンがないと帰れない、とか……」
「うん」
「ええっ!」
タイガは立ち上がった。移動ダンジョンは行ってしまった。次に来るのは一年後か、十年後か、誰にもわからない。来たとしても、都合よくこの家に貼り付いてくれるとは限らないのだ。
ふざけるのはやめなさい、とブタが黒ウナギを叩いた。巨人とドワーフほどの体格差があるので、叩いたといってもヒレの下をくすぐったようなものだ。
「悪い悪い。普通に帰れるよ、図書館から」
「図書館? そんな無茶な」
黒ウナギの住む池は、図書館の保存庫とも繋がっている。しかし、こんなに大きくて目立つ生き物が道を這って帰る姿は、あまり想像したくなかった。
「で、本題だが」
「本題あるのかよ」
タイガはもう一度椅子に座った。いつの間にかブタが傍らにコーヒーを置いていた。
「そろそろ復活しようと思う」
「もうしてるじゃん」
「俺だけじゃない、全員だ」
コーヒーを飲みかけ、ぐっと喉を詰まらせた。
「全部のモンスターが……?」
「そうだ」
「いつ? どこに? どうやって?」
「いつでも、どこでも。そこらのダンジョンに」
タイガはカップを置き、ブタのほうを見た。そして、このブタもモンスターだということを思い出す。自分の部屋が自分のものではないような、変な心地だ。
「最初は却下しようと思ったのよ」
ブタは薔薇のついたしっぽを動かし、探るような目でタイガを見た。
「でもひょっとして、タイガはモンスターに会いたいんじゃないかと思って」
「俺が……?」
モンスターに会いたい。確かにそう思ったことはある。しかしこの町の店や公共施設が、明日から急にモンスターの巣窟になってしまっても困る。
「俺が復活するなって言ったら、しないの?」
「いや、ただ、人類代表の意見が聞きたくてさ」
「人類代表って……俺はただの清掃員だよ」
黒ウナギはブタと目を合わせ、にやっと笑った。角の光を反射して、部屋が複雑な色合いに見える。
他のモンスターは、一体どんな姿をしているのだろう。巨大な水蜘蛛やタコのような軟体動物を想像した。それらが一斉に目覚め、けばけばしい色の触手を伸ばして襲いかかってきたら、自分に勝ち目はあるだろうか。
「まあ慌てるな」
タイガの心を読んだように、黒ウナギが言った。
「さっきも言っただろ、いつでもいいんだ。いつでもいいから、協力してほしい」
黒ウナギの目に打算的な光が灯ったのを、タイガは確かに見た。
わかりやすくてダメね、とブタがつぶやいた。