12・職安のダンジョン
†前回までのお話†
タイガの住む町に、移動ダンジョンがやってきた。あちこち逃げ回った挙げ句、タイガの家の押し入れと一体化してしまう。
タイガの家の押し入れから、身なりの悪い男が出てきた。男はよれよれになった履歴書を見せて、これなんですけど、と言った。
それが何か、とタイガは言った。
「履歴書です」
「わかりますけど」
「雇ってくれるんですよね?」
「えっ。なんで俺が」
ここは企業ではない。タイガは社長ではなくただの清掃人だ。ついでに履歴書の文字が汚すぎる。そう説明すると、男はがっかりして帰っていった。
きっと、就職活動中に移動ダンジョンに巻き込まれ、連れてこられてしまったのだろう。タイガは押し入れを覗いた。奥には、どんよりとしたダンジョンが口を開けている。何となく後回しにしていたが、そろそろ中を調べたほうが良さそうだ。
ところが、次の朝も押し入れから人が出てきた。痩せて眼鏡をかけた、学生風の男だ。
「バイト探してるんです! エクセルできます! 接客はできません!」
さらに続いて、大勢の足音と声が聞こえてきた。
「あった、ここだ!」
「ここが新しい職場ね」
「狭いなあ」
「贅沢言ってらんねえ、やっと見つけたんだ」
次々と出てくる、人、人、人。男も女も、若者も中高年もいる。みんな疲れ切った顔をして、ある者は全身ずぶ濡れ、ある者は蜘蛛の巣だらけだ。タイガは押しのけられ、部屋の隅まで追いやられてしまった。
「何なんだよ。不法侵入で訴えるぞ」
出てきた人たちは土足で部屋を歩き回り、洗面所を使ったり、冷蔵庫を勝手に開けたりしている。こんなことをして許されるのは、ゲームの主人公だけだ。
「職安から来たんだよ」
小太りの中年男が言った。
「適性診断を受けていたらここに着いたんだ。てっきり働かせてもらえるものだと……」
「何かの間違いですよ。とにかくもう、帰ってください」
人々は文句を言いながら、玄関から出ていった。世知辛いね、また無職に逆戻りだよ、と嘆く様子は気の毒だが、居着かれてはたまらない。タイガは部屋を片付け、汚れた床を拭いた。
いったいどこの職安が、タイガの家に人を送り込んだのだろう。
「調べてみる価値はあるわね」
急に声がして、タイガは部屋を見回した。ぬいぐるみのブタが、いつの間にかテーブルに座っていた。薔薇の飾りのついたしっぽを動かし、じっとりとした目でタイガを見た。
「もう動かないと思って油断してた?」
「うん、少し」
このブタはただのぬいぐるみではない。ひとりでに動いて口をきき、一応戦ったりもできる。百年前に生きていたモンスターの子孫だというが、タイガはまだ半信半疑だった。
「ここは私が見張っておくから、行ってくれば」
「どこに?」
「職安のダンジョンよ。駅のそばに新しくできたでしょ。絶対あそこが怪しいわ」
押し入れの中を先に調べたい気もしたが、職安は夕方になると閉まってしまうので、まずは出かけてみることにした。
駅前通りに着くと、カラオケ屋のダンジョンやホームセンターのダンジョンに向かう人たちで混み合っていた。一周してみたが、職安らしきものは見当たらない。噴水の前に腰かけようとして、ふと思いついた。
「もしもーし。水野さん、いますか」
誰もいない場所に呼びかけた。その途端、噴水のしぶきが空中で止まり、集まって人型になった。透明なガラスの像のようだったのが、どこからともなく色を吸収し、紺のローブに三角帽をかぶった水野の姿になる。
「す、すごい。本当に出てきた」
タイガは腰を抜かしそうになりながら、水野の腕や足をつついて本物であることを確かめた。
「まあいいや。水野さん、職安って知ってる?」
「あそこにあるよ」
水野は指さした。カラフルな建物に挟まれたところに、小さなドアがあった。よく見ると看板が立てかけてあり、職安と書いてある。
「ごめん、なんか見落としてた」
「僕も行く。仕事探してるんだ」
「えっ……」
水野のせいでめちゃくちゃになったダンジョンの数々を思い出し、不安になった。今まで死者が出なかったのが奇跡なのだ。今度も無事とは限らない。
「えーと、水野さんは働かなくてもいいんじゃないかな。セイレイなんだし」
「今、馬鹿にした?」
「してないしてない」
入り口までやってくると、水野はドアを押し開けた。タイガは後に続きながら、妙な息苦しさを感じた。
空間がねじれているような、重なり合っているような、変な違和感がある。図書館のダンジョンから黒ウナギのいる場所へ飛んだ時のことを思い出す。
「水野さん、ここって」
言葉が続けられなかった。
足下に大きな亀裂ができて、水野を飲み込んでしまったのだ。タイガも片足を引っ張られた。もう片方の足で踏ん張るが、抵抗しきれずに巻き込まれていく。
はたらこう、あんしんあんぜん、あかるいダンジョン。
ポップな字体で書かれた垂れ幕が目に入り、すぐに視界の外へ流れた。蛇のような、影のような裂け目が体を包み、タイガは暗闇の中を落ちていった。