11・移動ダンジョン
†前回までのお話†
図書館のダンジョンで黒ウナギに遭遇したタイガは、水野の助けを得て無事に戻ってくる。
モンスターは滅びたのか、精霊とは何なのか。ダンジョンの謎は深まるばかりだった。
町に移動ダンジョンがやってくるという。
移動ダンジョンというのは、その名の通り移動し続けるダンジョンだ。普段は入り口部分しかなく、モグラのように地面を掘ったり、壁を這い進んだりする。
動きを止めると、そこにダンジョンができる。人の家でも、道路の真ん中でも、すでに他のダンジョンがあるところでも、構わず押しのけて居座ってしまうのだ。
町の人々はそれほど盛り上がらない。サーカスやお笑い芸人が来たほうがよっぽど面白いからだ。
「移動ダンジョンはどこに出現するかわかりません。それを見つけるのが今日の仕事です」
掃除ギルドの主任は言った。ダンジョンは気ままに移動しながら、世界中の汚れを巻き込んでいく。定期的に取り除かなければ、巨大なゴミの塊になってしまうのだという。
でも、とタイガは言った。
「誰も使わないなら、そのままでもいいんじゃないですか」
「そういうわけにはいきません」
主任は掃除用具一式をタイガに渡して言った。
「放っておけばゴミがあふれ出して大惨事になります。この町にある間は私たちの管轄ですから、責任を持って掃除すること。いいですね」
道や壁には、すでにダンジョンの移動跡がたくさんついている。さぞ大きな穴ぼこだろうと思っていたが、実際は白いチョークで引っ掻いたような線だった。行ったり来たり交差したり、複雑な動きをしている。たどっていくと、横断歩道の上で何かが動いているのを見つけた。
「あれだ!」
タイガは駆け寄った。コンクリートの上で、口が動いている。ぱくぱくと開いたり閉じたりしながら、滑って移動していく。ダンジョンの入り口に違いない。
「見つけたぞ」
タイガが近づくと、口は逃げ出した。あっという間に横断歩道を渡りきり、ハツカネズミのように人混みをすり抜けていく。白い軌跡をたどり、タイガは追いかけた。
あと少し、というところで、口はぴょこんと跳ねた。そして、そばにいた老人の背中にくっついてしまった。
「ちょっと失礼!」
タイガは背負っていたデッキブラシの先端を外し、ゴム製の吸引カップに付け替えた。老人の背中にカップを当て、思い切り引っ張る。
「な、何だね、きみは」
「どうしよう、取れない!」
このままでは、老人の背中に穴があき、内臓を押しのけてダンジョンができてしまう。体の中が五十階層に分かれ、悪くすれば一生そのままだ。
タイガは片手で老人を捕まえ、もう片方の手で柄を引っ張った。老人は迷惑そうに振り返る。
「きみ、もういいだろう」
「あ、そうだ。上着脱いでもらえませんか?」
ええっ、と老人は声を上げた。
老人は白いシャツの上にチェックのシャツを重ね、さらにその上にジャケットを着ている。この際、一枚ぐらい諦めてもらってもいいだろう。
「冗談じゃない、これ気に入ってるんだよ」
抵抗する老人を押さえつけ、上着を剥ぎ取った。ダンジョンの口も一緒についてくる。落ち着き場所をなくして、餌を探す魚のように慌てふためいている。
「ちょっと借ります!」
「こら、待ちなさい」
暴れる口を上着で包み込み、タイガは走った。口は上着越しに腕を噛み、逃げようとする。老人が文句を言いながら追いかけてくる。
ダンジョンを放すのに良さそうな場所はないか、探して走った。商店街はどこも混みごみとしているし、住宅街にも空き地はない。
口はさらに激しく暴れた。もし布が破れて飛びかかってきたら、タイガがダンジョンになってしまう。
「そしたら誰が掃除するんだよ、まったくもう!」
そうこうしているうちに、住宅街の外れまで来てしまった。古いダンジョンを改装したアパートの一階が、タイガの家だ。
考える暇もなく、片手で鍵を開けて飛び込んだ。腕がしびれ、もう限界だった。
「ほら、お前の仮住まいだ」
タイガは上着をほどき、押し入れに向かって投げた。口は花火のように飛び出し、ふすまの間から中へ入っていった。そのまま奥の壁に貼り付き、黒々と広がる。地下鉄が走り始めるように、部屋が大きく揺れた。
「ここにいたか」
老人が息を切らしながら入ってくる。白髪頭が乱れ、汗が流れ落ちている。タイガは上着を拾って差し出した。
「すみません、お返しします」
老人は上着を引ったくり、丸めて汗を拭いた。今やダンジョンの入り口となった押し入れを興味深そうに覗き、ほう、とうなずいた。
「なに、家が広くなったと思えばいいさ。悪くすれば一生このままかもしれんがな」
老人は笑いながら帰っていった。
タイガは腕の噛みあとをさすった。とりあえず、しばらく放っておこう。自分の家の押し入れを掃除したところで、報酬はもらえないからだ。