六等星の邂逅
『無能』。
それが、国からフェイリに与えられた評価だ。
この国では、14歳になった国民には『能力開発検査』を受ける義務がある。それによって、個人の持つ人間性を、人間性能を調べるのだ。
フェイリよりも一足先に検査を受けた、年上の幼なじみたち。みんな個性的な結果で、羨ましくて、自分も早く検査をしたいと願っていた。
大体の子どもは、その検査に導き出された結果を便りに、自身の人物像を確立させる。検査を受ける以前から己の性能に気がつく例もある。が、それはあまりに稀有で、フェイリが知っているなかでもそんなのはエリオくらいだった。
エリオが人物像を確立したのは、フェイリが物心つくよりずっと前のこと。エリオは、同世代の誰よりも早く大人になっていた。
フェイリも、早く大人になりたかった。早く、早く。
思えば、あの頃の自身は、なんて愚かだったのだろう。
知らなかったのだ、フェイリは。大人になれない大人が存在するなんて。
検査結果。突きつけられた『無能』。
それまで抱いていた、妄想じみた『将来の夢』も、『理想の大人像』も、国家的に破壊された。
当時フェイリは、何でも器用にこなせる子どもだった。だから、こんな結果、最初は信じていなかったのだ。
けれど、大人たちは口々に言う。国が欲しいのは将来性であり、将来を期待できる性能なのだと。 フェイリには期待できる性能が無かった。どれもこれも、中途半端なレベルでしか極められない。そう、懇切丁寧に教えてくれた。
この国は、個人の保有する人間性で将来が決まる。それがとても『有能』な性能ならば、良質であればあるほど、将来の選択肢は増える。
だが、それが『無能』だったなら。誰もが持っている筈の将来性が皆無の、社会不適合者ならば――?
国から『無価値』と評された人間に、選択の自由などあるはずもなく。
そして、フェイリは14歳にして、娼館に売られることになった。それが、『無能』な女が最終的に行き着く果てだ。 フェイリがその幼女を見つけたのは、娼館の裏口だった。
初見、何事かと思ったものだ。けれど、幼女の格好を確認して、なるほど新入りかと納得する。
幼女は座り込んで、じぃと扉を見つめている。妙な髪色と瞳をしているから、おそらく国外から輸入されたのだと思う。
可哀想に。と感想を抱きつつ、フェイリは幼女を無視して、裏口の戸を開けた。途端、むわりと襲ってくる香の匂いに頭が痛くなる。
館内に踏み入って、足を止める。
「入らないのなら、閉めますが」
「え?」
「……」
「は、はいる!」
ばさりとスカートをはためかせて、幼女は走り込む。靴音がしないから、裸足なのだろう。慌てなくとも、すぐに閉じたりなどしない。
「ありがと。えっと、おみせのひと?」
「まあ、一応は」
実際に客を取ったことは無いが。
いや、違う。一人だけ。
エリオ。世界で、一番優しい人。
娼館に売られたフェイリを、今までずっと買い続けてくれている、お得意様。
今日は、その契約の更新日なのだ。
「では」
扉を閉めたフェイリは、足早にその場を後にする。
さっさと更新手続きを済ませ、エリオの元に馳せたかった。
「んう、フェイリばいばーい」
今度こそ、本当に無視をしようとして、けれどすぐさま慌てて振り返った。しかし、そこに幼女の姿は無い。
あの子供は、何故、私の名前を知っているのだろう。
場所と時間を戻す。
真夜中、娼館の一室。規則的に寝息を立てる幼女の頭を、娼婦が愛しげに撫でている。その様子は本当の母親のようで、アクシオからしてみれば少し滑稽であった。
一生首輪の外れない生活を強いられる娼婦にとって、こういった状況、親子関係のようなものには憧れがあるのかもしれない。
「子供服、用意しなくっちゃあ。どんなのが似合うかしらねえ」
「知らないよ」
「このドレス、ちょっと大人っぽいかもねえ。もっと年相応の、かわいい服を着せてあげたいわあ」
「年相応、ね……」
「うふ……ミイラちゃんかあ」
アクシオの指先が、ひくっと軽く痙攣する。それはいわゆる、動揺という反応。
「変わった名前ねえ」
「……」
「ねえ、この子って」
「どうだったの、検問」
「は? え……、あ、うん」
無駄話を続けそうだったので、本題に入らせる。
アクシオの逃走経路の確保、その手伝い。同郷のよしみと言えど、よくここまでやってくれるものだ。
娼婦はドレスの前を広げる。豊満な胸の谷間に挟み込んでいた、ここ周辺から国境までの地図を、天板がガラスで出来た机に広げる。机の脚は低く、娼婦はベッドから降りて床に腰を据えた。
地図にはこの国の地名や道路、重要な建造物などが簡易的に描かれており、その所々には赤い印が書き込まれていた。
娼婦はその印を指で差し示し、説明を始める。アクシオは目で追い耳を傾けた。
「……」
幼女、ミイラの寝息が聴こえる。それは規則正しく、正常。
アクシオは、椅子の背もたれに体重をかけ、ベッドを確認する。血色は良好だし、たまに身動ぎもしている。
もしや、死んでしまったのではないかと、少し心配だったのだ。
「ねえ、ちゃんと聞いてるのお?」
「……聞いてるよ」
「そぉ。で、この関所がねえ――」
娼婦の調査は徹底していた。これなら、近いうちに逃亡できそうだ。
またも、青年は幼女に意識を向ける。
幼女は、自前の黒い腕をこめかみの下に敷いていた。枕が柔らかすぎたのかもしれない。
その感覚は、アクシオにも覚えがあった。柔らかい寝床に恵まれない生活を送っているせいか、こういった手の、鳥類の羽や綿毛を詰めた寝具は、どうも落ち着けない。
仮にこのミイラが、あの木乃伊なのだとして――あの棺桶は、寝心地の悪かったことだろう。劣遇に慣れてしまうと、ありふれた満足感を享受出来ないものなのだ。
それは、よくわかる。
「って感じかな。どうするのお、身一つで良いならいつでも出国出来そうよお」
「……ふぅん」
「どうしたのよお。お兄さんったら」
「いや、まだ準備が必要みたいだ。もうしばらく世話になるよ」
「あらぁ、別にいいけど……お土産でも買ってくのお? 言っとくけど、この国の名産なんてたかが知れてるわよお」
「……身二つとなるとさあ」
「んん?」
「いや、依頼の品も持っていかないとならないから」
「…………ふぅん?」
しゃらりと鏡髪を光らせる程に首を傾げつつ、しかし何も問わない娼婦。うん、いい女だ。
アクシオは椅子から立ち上がり、少し歩いて、幼女の眠るベッドに座る。
この泥棒が依頼された品。この国の、国立博物館で保管されている、幼子の木乃伊。
「ダメ元だけどね」と呟いて、被っていた帽子を顔に乗せた泥棒青年は、愛くるしい寝顔を浮かべる幼女の隣に寝転んだ。
一緒に寝るなんて、本当はすごく嫌だけれど。商品の品質管理は、プロとして当然のことなのである。