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錆と死体

 溶けかけの氷だけが残ったグラスを置いて、青年はカウンター席から立つ。一般より高身長の彼ですら引き摺りそうになるロングコートが、一挙一動に合わせて小さく揺らいだ。

 会計を済ませ、窓際のテーブル席に座っている男女を流し見る。

 女の方、フェイリが視線に気がつき、こちらを見やる。その時には、もう彼の視線は外れていた。

 外に出る。実に、いっそ憂鬱なほどに、いい天気だ。

 ぺしゃんこの帽子を目ぶかに被り、顔に降りかかる陽射しを遮った。

 首に巻いてある繊維の細かい長布に鼻を擦らせ、顔を伏せる。気配を消して、行き交う人の波のなかを縫うようにして歩く。

 服装、話題、歩き方。母国とは、やはりどこか違う。

 舌をぺろりと出して、空気を味見してみた。からっとしている。

 通りを流されてから数十分程度。繁華街を抜け、目的地に到着した。

 広い公園――その中央に建っているのは、国立博物館だ。創立160年。幾度という改装工事により、創られた当時の面影は残っていないらしい。

 公園の門をくぐると、野鳥の甲高い鳴き声が聞こえた。けれど青年は緑豊かな美しい景観にも、遠くで聞こえる子供たちの笑い声にも気をとめることはない。そのまま真っ直ぐ、博物館に向けて足を動かした。

 溢れる緑のなか、真っ直ぐ移動する黒い点が、少し浮いているかもしれない。

 噴水のある広場を抜け、博物館の玄関扉を、右肩で押し開けた。

 受付の人間に「お疲れ様です」と掠れた地声で挨拶してから、関係者立ち入り禁止の札が立ち塞がる通路に悠々と入る。もちろん、彼は関係者でない。堂々と、正面から不法侵入をしただけのことだ。

 何故なら、青年は泥棒だから。依頼さえあればどんなものも盗む、どうしようもない悪党なのだから。

 「……」

 それにしても、湿気った薄暗い廊下だ。窓の外に繁茂する草木が邪魔をして、日光が当たらないようである。壁や床板がカビ臭い。

 用がある部屋は、最上階の廊下の、突き当たった場所にある。ぎしりと鳴く床板は、いかにも年季が入ってる。

 どうやらこの建物の、この階層だけは、ほとんど改装がなされていないらしい。目的の部屋の戸も、なかなか古めかしい造形をしていた。

 戸を叩く。反応なし。

青年は迷わず真鍮のドアノブを回した。だが、予想していた手応えがない。

 「……」

 まさか、誰かいるのだろうか。自然と相貌が鋭くなるのを誤魔化す。ゆっくりと扉を押し開いて、室内を覗いた。

 誰もいない。人の気配はなく、静かなものだ。

 薄暗い。窓に取り付けられた遮光カーテンが閉まっているからだ。誰もいないのだから当然か。

 いつまでも覗いているだけにもいかない。研究室に足を踏み入れ、扉を閉めて中から鍵を掛けた。 掛けてから、泥棒は足元に視線を落とす。

思っていたよりも明るい。床の木目がはっきりわかる。

 まず天井を確認して、次いで窓に目を向けた。

 なるほど、てっきり全てのカーテンを閉めきっているのかと思っていたが、一ヶ所だけ、日の光が射し込んでいる。

 履き込んだ靴を鳴らしながら近寄ってみる。

 それは、目当ての物が飾られたガラスケースだった。

 「……」

 永遠の眠りについた幼子の木乃伊に、埃の雪が優しく舞っている。こういったものは、日に当てて良いものなのだろうか。ただ雇い主に依頼されただけの青年には、こういうものに関する知識がほとんど無い。

 だから、よくわからない。

 普通、木乃伊は、こんな、

 「……着せ替え、人形?」

 のような格好をさせるものなのだろうか。

 この木乃伊は、リボンをふんだんにあしらった白いドレスを着せられていた。汚れ一つない布は、明らかに最近のものだと判断できる。

 頭には、同じモチーフのヘッドドレスが乗っていて、同色の白髪――死んでしまった毛髪が痛々しかった。

 まあ、よくわからなかった。けれど、わからないなりに、「気持ちが悪いな」という感想を持つことができた。

 干からびた体の木乃伊にではなく、この木乃伊をわざわざ自分好みに飾った人間へ対しての、純粋で偏見の無い嫌悪感だ。

 真っ当な生き方をしていない自分がそう思えるのだから、相当だろう。ほんの少しだけ、興味が湧く。

 木乃伊の一番近くに設置された机の上に、無造作に放置された小さめのノートがあったので、手に取ってみた。

 表紙には、〈幼女の腹の中〉と手書きで書いてある。なんとなく開いてみたが、どうやらこの木乃伊の観察記録のようだ。

 もう長い時間を経て朽ちるだけのコレに、毎日毎日なにを見出だしているというのか。

 読み進んでみた。が、すぐに挫折した。中身は、彼には、とてもじゃないが理解の及ばない、意味が不明な言葉の羅列でしかなかった。もしや暗号かもしれないが、ただ奇人が思い付くままに書き込んだ妄想の類いという可能性もある。

 まあ、これを持ち帰れば、依頼主が特別手当てを出してくれるかもしれない。という、そんな万が一に備えて、この日誌は頂戴することにした。

 コートの懐に日誌を仕込んで、彼なりに喜びを表現しようと頬を吊り上げた。本人は満面の笑みを浮かべたつもりだが、実際はひきつった苦笑いになっている。窓ガラスに写った自身の表情を確認し、青年は呆れて元の無表情に戻した。

 しかし、たまに顔の筋肉を動かさないと、ストレスは溜まる一方なのだ。だから、別に嬉しくもないのに笑顔を作り、なんとなく気分だけ浸ったりする、そんな日もある。

 くるりと振り返る。豪奢なのか質素なのか判断し難い、この国だけでなく他国でも類を見ない装飾を施された棺桶。泥棒はガラスケースの蓋を持ち上げた。

 そんな時だった。

 突如響く轟音。ぴりぴりと伝わる衝撃。地響き。

 今のは、ケースのガラスが擦れた音では断じてない。青年は慌てて窓に駆け寄った。

 青い空。白い太陽。

 当たり前に存在していたそれを、彼の視界から隠そうとしているかのように、この国のものではない戦闘機が、編隊を組んで上空を飛んでいる。

 「……おい、早すぎるだろ」

 そんな情報、聞いていない。

 渋面を浮かべ、大袈裟なくらい舌を打つ。

 空襲。おそらくだが、彼の故郷を侵略したのと同じ国による襲撃だ。

 窓から離れて、木乃伊が入った棺桶を抱え、ガラスケースから取り出した。

 緊急事態だ。この混乱に乗じて、このまま運んでしまうことにする。

 一旦、棺桶を床に置いた。

 「――ッ」

 窓の外、空から落下してきた大きな樽。

 窓ガラスに当たりそうなほど近かったので、はっきりと確認することができた。

 彼は、それに見覚えがあった。昔、軍事施設でこき使われていた時代に、散々運ばされたものだ。

 「ッ!!」

 地面に転がった大樽に巻きついた導線は、ばちばち火花を散らしながら、あっさりと限界を迎えた。

 爆発音。……は、大きくはあるが思ったよりも呆気ない。

 それよりも、窓が一斉に割れるほどの衝撃と、床が崩れるような音のほうが、よっぽど酷かった。

 視界の隅に白いドレスの裾があって、『このミイラが壊れたら、日誌の持ち主に殺されそうだな』なんて、考えてみる。



 だれかいるの

 はやくあいたいな

 きて

 きて

 だれでもいいから

 ううん

 ちがう

 やっぱりあなたがいい

 あなたがわたしの

 わたしの



 熱い。あまりの暑さで目が覚めた。どうやら、自分は気絶していたようで。彼は背中に乗っている木の板や諸々を退かして身を起こした。

 まだ少しだけ、頭がぼうとしている。喉も痛い。パチパチと燃える部屋。漂う煙は、割れた窓ガラスに吸い込まれている。あそこから外に出られるようだ。

 爆発の影響を諸に受けた一階が吹き飛び、上の階は部屋ごと落下したといったところだろうか。それならば、二階三階はぺちゃんこだろう。ここが最上階で助かった。が、屋根はひしゃげていて、もう長くは持つまい。むしろ、よく持った方だ。さすが国立。

 爆弾が屋根に落ちなくて本当によかった。いつもの癖で頭に手をやって、馴染みの感触がないことに気がつく。

 「…………、帽子」

 キョロキョロと辺りを見渡す。すぐに発見できた。ついでに、古い帽子のそばには、棺桶から転がり落ちたらしい木乃伊もあった。都合の良いことに、まだ火の手が回っていない安全地帯。本当に運がいい。

 この木乃伊を某国に持ち帰れば、相当な額の報酬が手に入る。立ち上がった青年は、ひとまず帽子を被り直し、白いドレスの木乃伊を抱き上げた。見た目はあれだが、大きめの人形を持ち上げたような感じだ。

 「あ?」

 そこで突然、泥棒は思い出した。

 ぶらりと投げ出された、木の枝のような貧相な足。木目のような顔面。それを支える軸としての役目を放棄した首。

 「……?」

 泥棒青年にこの仕事を持ち込んだ依頼人曰く――この木乃伊は、観察しやくするために、発見されてすぐ輪切りにされていたはずだ。

 とりあえず確認してみよう。傷物になっているかいないかで、商品価値は変わる。

 青年がスカートの裾を捲った、その瞬間だ。

 乾ききった細腕が、藤の蔓のように、ぎゅるりと、彼の首に巻きついた。

 「なっ」

 とりあえず恐怖して、間を置かずに驚愕した。

 そして、目の前いっぱいに写った乾燥死体の顔面が青年に迫る。

 食われる。殺される。

 木乃伊が顎を開く。パキパキと音が弾けさせながら――彼の口に食らいついた。

 「っぃ!?」

 顔面の神経が一時的に麻痺した。

 ああ、もう無理だ。気色悪い。普通に、嫌だ。

 けれど、そう思ったのも一瞬だった。何故なら、木乃伊は唇からすぐに離れたから。

 そして、ふわりと、まるで深海を漂う海月のような髪が、青年の鼻先を擽ったから。

 なにより、あの木乃伊がなくなっていたから。

 「あ――あ――」

 いなくなった木乃伊の代わりに、青年に抱かれ、青年を抱き締める幼女が、柔らかそうな唇を開く。

 「ああ――あああ――――ああああああああンんきぃいやああああっ!!」

 反響する金切り声。

 まるで産声のように。まるで断末魔の叫びのように。

 親しい人を犯したような、行きずりで人を殺したような、そんな「やってはいけないこと」をした気分。

 ただただ、「ごめんなさい」と言わなければいけないような。生きていることを責められているような。

 そんな叫びだった。

 「…………ふう」

 なのにこの幼女は、一息吐いて、やり遂げた顔で笑って、本当に素敵な笑顔で、彼を優しく抱擁する。

 愛しげな頬擦りは気持ちよく、状況を把握出来ない自分ですら、好意的な感情を抱きかけた。

 さっきまで木乃伊を抱いていて、なのに、その筈なのに。

 青年は、ふわふわとした白いドレスを身に纏った幼女を、腕に乗せている。

 「はあ……」

 耳に幼女の吐息がかかる。生ぬるく、なんとも生き物らしかった。

 「やっと…………やっとあえた……えへ……えへへ…………わたしの……………あはっ…………………………はあ……………あはははっ…………………わたしの、――――わたしの、おうじさま」

 あ、これはもう駄目だ。青年は我慢の限界だった。

 ドレスを掴み、自身から幼女を引き剥がす。

 そして間髪入れずに、燃え盛る炎の中に投げ入れた。

 「え……」と、不思議そうに呟きながら、幼女は火の腹に落っこちた。白無垢のドレスも、長い髪も、あらゆる部位が橙色の炎に抱かれて、くるくると焼かれていく。

 燃え尽きるまで見届ける余裕なんて、今の青年にはない。すぐさま窓から身を投げる。煙の隙間に見える、青い空の解放感のなんたることか。しかし、慌てて跳んだので、着地時にうまく受け身が取れず体を強かに打ってしまった。

 迷う暇もない。青年は芝生を蹴って駆け出す。都市部のほうでは、もくもくと煙が立っている。戦闘機は遠くで追いかけっこを始めていて、ひとまず空襲は終わったようだ。

 だから、青年は逃げた。自身の背後で燃え狂う炎から。自身へ伸びているだろう細腕から。逃れたくて逃げる。涙目で、みっともなく。

 だって、すごく、怖かったのだ。死を実感したことなど、何度もある。死を覚悟したことなら数え切れない。でも、さっきのような、生きていることを自覚させられたのは初めてだ。

 生きているという、誰もが目を背けずにはいられない、絶対の恐怖を。

 背後で、建物の崩壊する音がした。まるで泣き声のようだったけれど、無視をした。

 もう二度と関わりあいになりたくないと、切に願った。

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