六等星の邂逅
「おはようミイラちゃーん!」
「……んぅ?」
寝起きの幼女に娼婦が迫っているという光景。なんというか、春画めいているな、と。
ベッドの上。ミイラの傍らで、娼婦が運んできた食料を口に運んでいたアクシオ。彼は、ただでさえ常に乾いている視線を、さらに乾上がらせて送った。
ちなみに献立は他の客に出された食事の残飯である。客によって偏食があるので、気分は日替わり定食だ。
「んっと、ここはだれ?」
「うぅん、頑張って思い出してみよっかあ」
「…………んぅ」
「それよりぃ!」
チェストに置かれていた大きな麻袋を、ベッドの上でひっくり返す。ぼとぼとと落ちる布塊。
「かわいい服、探してきたよお。どうかなどうかな?」
と、服の山から淡い青色のワンピースを引き抜き、幼女の体に合わせてみる。しかし大きすぎたらしく、袖が余ってしまっていた。
娼婦は次々に、黄色や薄紅色や紫色、色々な服を試す。中には大きさがぴったりなものもあったが、納得がいかないらしくまた別の服を取る。
「んぅー……」
「……」
ミイラがアクシオの腕にしがみつく。触るな。
アクシオは、ざわつく触覚神経を我慢して、娼婦が最初に見せたワンピースを幼女の頭に乗せた。
「これ着てなよ」
「ええぇ?」
「なに。似合ってたんだからから、文句は無いでしょ」
「似合ってるけどお、大きすぎないぃ?」
たしかに襟ぐりは心配だが、これなら黒い手足を隠せる。
服の山を漁って、詰襟のボタンシャツを幼女に放った。ワンピースの中に着れば問題は解決するはずだ。
「かーわーいーいー」
娼婦は喜び勇んで、ミイラを浴室に連れ込む。ここで着替えさせれば良いのでは、と伝えると、娼婦に睨まれた。
なるほど、幼児虐待の疑いが完全に消えた訳では無かったらしい。まあ、事実だが。
カーテンで仕切られた向こうで、衣擦れの音がする。そういえば、あの幼女。今は下着を着けているのだろうか。
そうこう考えている内に、仕切りが取り払われた。
「…………へえ」
ふわり、とか、ひらりとか。
そんな形容が相応しい幼女が、ふわり、ひらりと、駆け寄ってくる。
地味な作りのワンピースだったのに、ミイラが着ると、それはまるで、海水を纏っているようだった。
そう、海月。長い髪も相まって、まるで海月のようだ。
「なんだ、やっぱり似合って……」
「おはようございまーす!」
「うわ」
床を蹴って、アクシオに向かって飛び込んできた幼女。その幼女の勢いを、受け流す。壁や床は危険なので、マットレスに顔を沈めてやった。
挨拶は勝手だ。だが、何故に飛びつく必要があるんだ。
「……生きてる?」
「いきてるー」
ミイラは、うふふと笑って楽しそうだった。
黒い手足をばたばた動かし、人馴れした小動物のように、アクシオの腰にじゃれついてくる。
「もっかい! もっかいぽいってしてー」
「嫌だよ」
「もっかいーねえもっかいー」
喧しい幼女を垂直に投げてやった。幼女の体はマットレスに墜落した。
「きゃふふふ!」
「楽しい?」
「たのしー!」
「ふぅん……」
もう一度投げてみる。落下する幼女。振動するベッド。
学習したらしく、今度はくるりと受け身を取って見せた。
「いまのすごい!」
「うん」
「みてた?」
「見てた」
そう言ってやると、ミイラは薄桃色の甘そうな頬を緩ませて笑った。アクシオは、自分の草臥れた頬を引っ張ってみる。硬い。
それを見て、ミイラが「変な顔だ」と笑う。
「ねぇアク」
「約束したでしょ」
「あっ! そうだった……んと、あなた?」
「……」
「んぅ……おにーさん?」
「何」
「ちゅーする?」
「え、なんで、無理」
悪寒が走った。
博物館の出来事は、なるべく思い出したくないのに。心臓に悪い幼女である。
「たのしそぉ。なにしてるのぉ」
浴室から出てきた娼婦は、装いが変化していた。
先ほどまでは、彼女の特殊な髪質に合わせた派手な綺羅綺羅しいドレスだったのが、今は動きやすさを重視した質素な服装になっている。それでも変わらない色気は、さすがであると言わざるを得ない。
「あのねーミイラねーおにーさんとあそんでたー」
「お兄さんと遊んであげたのぉ、良かったわねぇミイラちゃん」
「んぅ!」
一緒に遊んでいたわけでも、ましてや遊んで貰っていたわけでもない。しいて言うならば遊んでやっていた、が正しい筈だ。
幼女が現れてから、どうもこの娼婦は客を舐めている。
「ちょっと、お兄さん」
「おにーさん!」
幼女を抱き上げた娼婦と、それに同調した幼女がアクシオを呼ぶ。
対応しないアクシオに、それでも娼婦は表情を変えない。変えずに、勝手に話し始める。
「先に謝っとくわあ、ごめんねえ。あのねえ、今夜はお客さん入ってるのよお。でね、相手はお得意様でえ、今は空き部屋も無いらしいのよお。……ほら、うちの仕事ってちっちゃい子にはアレでしょお……だからさあ、今夜はミイラちゃんと一緒に町に出てくれないかしらあ?」
「かしらー!」
「……」
「お願いぃ」
「おねがいー!」
「……あのクローゼットに隠れてちゃ駄目なの?」
「駄目に決まってんでしょ。ほんとバカじゃないの」
「ほんとばかじゃないの!」
「……」
なるほど確かに、この娼婦は子どもに悪影響を及ぼすらしい。
さて、此度のアクシオは不法入国以外の犯罪は犯していない。空襲のせいで警戒体制に入った検問が面倒で身を隠しているにすぎなく、別に指名手配をされている訳じゃあない。
故に、一晩だけ外に居る程度、たいした問題ではない。ないのだが。
娼婦と戯れている、自称ミイラの幼女と目があった。
「んぅ?」
「お前、木乃伊なんだよね?」
「んぅ、ミイラ!」
「博物館の、木乃伊?」
「はくぶつかん?」
「俺たちが初めて会った場所」
「んぅ、ミイラあそこにいた!」
「あ、そう」
――まあ、いいか。
深く考えないことが、悪いことをするコツである。 そして、深夜。青年と幼女は色街を離れて、閑静な住宅街を歩いていた。空襲の被害を受けたのは、本当に国の中心部だけのようだ。
ミイラの手を握り直す。ふらふらと何処かに行ってしまわれると敵わない。それでも、アクシオは手袋を嵌めていて、直接ミイラに触れないようにしている。
「アクシオー」
「ん」
「あれなにー」
「……ん」
ミイラが左手を上空に向ける。人差し指を立てているのだろうが、指先は袖にすっぽりと隠れていた。
はて、ミイラは何を見ているのか。視線を追いかける。
「……月だね」
「おつきさまー?」
「なんだ、知ってるじゃないか」
「なんかー……とけいみたい?」
「月だからね」
夜空に貼りついた金色の大きな時計盤。針が数字を指し示して、空に時間を刻んでいる。
幼女は月に魅入ってしまったようで、軽く手を引いても動かない。アクシオはミイラを肩車することにした。
「ねえアクシオーおつきさまってとけいなの?」
「時計なの」
「じゃあじゃあー、おほしさまはー?」
「虫」
「むしさん?」
「死ぬと、海魚の餌になってるよ。流れ星って現象」
「へー」
今わの際にぶるりと震え、海へと落ちる、星という名の虫けら。アクシオの故郷の集落は、今でこそ軍事施設になっているが、昔は空気も澄んでいて星がたくさん生息していた。
生憎、内陸国だったので星の最期は見れなかったが、流星は日常的に観察出来たものだ。
アクシオは上を向いた。国境付近ならともかく、この辺りは栄えているので、あまり星は住んでいないようである。
「ながれぼし、みたいねー」
「そのうちね」
「ミイラ、みれる?」
「明日明後日なら」
「ほんと?」
「頑張るよ」
「アクシオだいすき!」
頭部に掛かる弱い圧力。うふふと笑いながら、幼女がアクシオの頭を帽子越しに頬擦りしている。
アクシオが言いたかったのは、明日か明後日にはこの国を出られる。出荷したその間ならば、人気の無い場所を通るので沢山の星が好きなだけ眺められるだろう。ということである。
けれど、説明しても理解できないだろうから、アクシオは黙することにした。
「アクシオ?」
ミイラが、黙ったアクシオの顔を上から覗き込む。その表情は愛らしく、好意に溢れている。
街灯に照らされて、白い方の髪と肌が橙色を帯びていた。
「んむ!?」
アクシオは右手でミイラの頭を押し退け、その隙に左手で目深に被っていた帽子を取った。そして、それをミイラの頭に乗せる。
人気は無いが、無いからこそ、この容姿は目立ってしまう。人売り好きする見た目なのだ、この幼女は。
橙色の街灯なら、アクシオの錆びた髪は目立たない。帽子が被れないのは落ち着かないが、商品の管理を優先した。
「うふふーアクシオのぼうしー」
「……頬擦りはもう止してね」
「ほおずり?」
「顔を頭に近寄らせないでってこと」
「んう、なんでー?」
「なんでも」
「なんでも、なんでー?」
「……」
アクシオの髪は錆びている。奴隷時代に負った栄養失調と心傷で、すっかり傷んでいる。
だから、アクシオは臭い。鉄臭い。血生臭い。
それを少しだけ気にしているのだ。
「アクシオ、ミイラがきらいなんだ……」
「…………は?」
「きらいなんだあ!」
「え、なんで泣くの?」
突如、ぼろぼろと涙を流しながら、ミイラはしゃっくりをあげる。
こんな風に騒がないように、自分は細心の注意を払っていたはずだ。なのに、どうしてこうなったのか。
「きらいくなんないでって、いったのぉ、いったのにぃ!」
「あー……よしよし」
ひとまず肩から降ろそうとしたのだが、ミイラはイヤイヤと取り合わない。どうすれば良いのだろう。
殴るか。いや、それでは更に泣きわめくと昨晩に実証したばかりだ。めんどくさい。
「別に嫌いじゃないけど」
「うそだもん!」
「……」
どうして欲しいんだ、こいつ。
「えーと、嘘じゃないけど」
「……」
「嫌いじゃないって。うん、本当」
「……ほんと?」
「うん」
「じゃあ、あたまさわってもいい?」
「…………うん」
しゃっくりは止まないが、大人しくなったミイラはアクシオの旋毛に頬を寄せた。
まったく、そんなに顔を埋めたら気分が悪くなるだろうに。
「大丈夫?」
「だいじょーぶ」
「……あ、そう」
離れまいと、アクシオの頭に巻きつくように、ぎゅっと抱きつくミイラ。覚えのある感覚だと思えば、そうこれは、博物館で木乃伊に襲われた際と同じ感触なのだ。
違うのは、アクシオ自身の気分だろうか。あの時は酷い鬱状態に陥ったが、今は心地好さすら覚える。
やはり、あの木乃伊とこのミイラは、同一人物なのであろう。
……心地好さ?
「アクシオー」
ミイラが声を発すると、頭皮に彼女の吐息がかかる。頭蓋骨が直接響く。
「なんかね、ミイラね、アクシオのかみのけ、なつかしいの」
「……」
「アクシオだいすき」
月の盤面が白んできたので、アクシオはミイラの手を引いて色街に戻ってきた。
道に捨てられたゴミを目当てにした野鳥が、キーキーと鳴きながら集まってきている。それ以外の物音は無い。夜の喧騒が嘘のようだ。
ミイラが地面に寝転がる酔っぱらいに気を取られているので、アクシオはミイラの両手首を握って、人間ブランコのような体勢で引っ張りあげた。下ろしては、引っ張り上げ、下ろして、引っ張り上げ。幼女は、きゃっきゃと喜んだ。
「楽しいの?」
「たのしいのー」
なら、良かった。
品質を考慮すると、やはりストレスは与えない方がいいから。
「アクシオだっこー」
「……名前、呼ばないで。今は」
「はーい。おにーさんだっこー」
「はいはい」
ミイラの腰を抱き、臀部に片腕を回す。どこもかしこも、柔らかくて今にも折れそうだ。
腕が自由になって、ミイラは間髪入れずにアクシオの首に抱きついた。
「だっこーだっこーだっこっこー」
「うん」
「アクシオ……じゃなかった。おにーさんね、ミイラだっこしてくれるから、ミイラもおにーさんだっこしてあげるの!」
「……へえ」
こんなの、しがみついているだけじゃないか。とは、言わない。
機嫌を損ねられると困る。帽子を被ったミイラの頭を、慣れない手つきだが、撫でてやった。
隠れ家にしている娼館が見えてきた。煉瓦造りの、大きめの長屋だ。窓には、鉄格子が嵌まっている。
二人は路地裏に入った。正規の客では無いので、正面入り口は使えない。関係者用の裏口から入るしかないのだ。
「あの」
背後から声が掛かる。若い女の声だ。
「……」
アクシオの経験則が警笛を鳴らす。このタイミングで、声を掛けられるということの意味を、ろくでもないことだと彼は知っていた。
知っていたから、彼は真っ直ぐ走り出した。
本当なら、その場で相手を撃退するのが正しい判断である。が、今の彼は大切な商品を抱えていた。手も足も出ないのなら、逃げるしかない。
すぐ近くに娼館の裏口がある。アクシオは、迷わずドアを開け、店の中に飛び込んだ。
「あう」
飛び込んだ拍子に床を転がった。それが苦しかったのか、ミイラが呻き声を挙げる。
「……アクシオ?」
耳元でミイラが囁く。アクシオはただ、「なんでもない」と答えた。
事実、なんでもなかった。扉の向こうに気配は無いし、走り出した時点で追い掛けようとする様子は無かった。
「あらぁ、ミイラちゃんとお兄さん。おかえりぃ」
間延びした語り口。床に倒れている二人の頭上に、鏡髪の娼婦が立っていた。戸惑っているのか、不安げに顔を覗き込んでいる。
いきなり転がり込んできたのだ、戸惑うのも当然か。
「仕事は」
「えぇ? あー、うん……?」
「まだ終わってないの?」
「ううん、ちゃんと仕事したわよぉ。ただ、お得意様って聞いていたからぁ色々期待してたんだけどぉ拍子抜けっていうかぁ」
「じゃあ部屋に戻るから」
多分、幼女に聞かせるような話題ではないと思われた。
ミイラを担ぎ、記憶している部屋に向かう。
「もぅ!」
地団駄を踏む娼婦の画が、容易に想像できた。
「アクシオ、アクシオ」
アクシオの肩に干された幼女が、小声で男の名を呼ぶ。たしなめるべきなのか迷った。
「あのね、ミイラね、しってるよ」
「何を」
「フェイリなの」
「何が」
「エリオとね、仲良しのフェイリなの」
「……何それ」
内緒話が楽しいのか、ミイラは顔がにやけている。
気色悪い。アクシオは顔をしかめる。
「アクシオにはなしかけた、さっきのおねーさんが、フェイリ」
「さっきの……」
なるほど、抱き合っていたのだから、ミイラは相手の顔を見ることが出来たのか。
そして、それは相手もミイラの顔を確認出来るということだ。
「知り合い?」
「んぅ、いちばんすきなのはアクシオ」
「……じゃあ、そうだな。フェイリは友達?」
「んぅー、ミイラともだちいないよ」
「ふぅん、俺もいないけどさ。フェイリってどんなお姉さんなの?」
「んぅとねー、フェイリはねーエリオとなかよしなの」
また出た。エリオというのは、あの研究室の一員のことだろう。
盗みに入る前に、一通り調べたのだ。
「フェイリね、きのうはじめてみたの。きれーだねー」
「昨日?」
「このおみせにいれてくれたの、フェイリやさしーの」
「……」
どうやら、長居はしていられないようである。