プロローグに代わり、幼女の腹の中
ちょっと前に書いたものを加筆修正したりしなかったりしたものです。修正が終わり次第完結します。
彼女は子どもだ。だけど、何も知らないわけでなく、誰も知らないことだって知っている。それが子ども。
子どもが、大人よりものを知らないというのは、永い時を使って刷り込まれた思い込みでしかない。そこで彼女は、それを証明するために、彼の話をする。
例えば、彼はなんだって知ることが出来た。
比喩では無い。誇張の余地すらない事実である。
あらゆる物体の構造、概念の事象。それらを彼は知ることが出来た。多くを知るとは、つまり彼は、ありとあらゆるものに対して、選ぶ権利を持っていたのだ。
何もかもを知る。それは、全知であり、全能で然る。
全知の神は存在しないかもしれない。が、全知の彼は存在していた。
賽子は彼の掌の上、今にも溢れ落ちそうなほど。それを皿に乗せるのも、箱に片付けてしまうのも、一息に転がすのも、彼の勝手である。そのあと、全ての出目を揃えてしまっても良い。まさに世界の再構築だ。
選ばれし者でなく、選ぶべき者。それが彼。
少なくとも、彼女はそう認識していたし、間違えていなかったと思う。しかし、間違えてはいないが、誤っていた。
彼女が彼を、そういった存在として認識するためには、彼女は彼のことを、彼が母胎に居た頃から知っていなくてはならない。
故に、彼女は知る由も無かったのだ。
まさか、彼が賽子を掌ごと焼こうとするなど。彼女が知っている、彼の掌と賽子は、不完全燃焼の産物なのだと。誕生する前に、彼がそれを選んだのだと。
そして、たとえ全能であろうと、選べる選択は一つだけなのだと。
彼女も、彼自身すらも、知らなかったのだ。