プロローグ
呆然と立ち尽くす僕の視界が、真っ赤に染まる。
焼けつく赤色はどうしようもなく鮮やかで、思わず心奪われてしまう。
周りを見渡せば、そこかしこに紅蓮の花が咲いていて、まるで花畑の中にいるみたいだと、呑気に思った。
美しく、儚く、鮮烈な。
赤だけが支配する花畑。
「君は、私のことが好きなの?」
花畑の中心。
濃密で、むせ返るようなな赤が百花繚乱咲き乱れる一角。
一際綺麗な花を胸に咲かせた彼女は鈴の鳴るような声を響かせる。
微かに震えた声は今まで聞いたことない程に弱弱しくて、感じたことない程、鋭い。
「――――――」
甘い香りが鼻腔を擽る。
熱気と、煙が、呼吸のたびに僕の内側へ忍び込む。
ちりちりと、喉が痛んだ。
真正面から突きつけられたソレに、答えられない。
はいか、いいえ。その二択でしか答えようのない単純明快にして至極簡単な問い。
だと言うのに、薄く開いた唇からは壊れたスピーカーのように意味の無い音を発することしか出来なかった。
何度ぱくぱくと口を動かしてみても、酸素を吸って吐き出すだけの機能しか今は使えないらしい。
陽炎の如く揺らめく地面が一際ぐにゃりと歪んだ。
「じゃあ、嫌い?」
返答を待たずして、またしても突き付けられる刃。
そんなワケがない。それだけは絶対に有り得ない。
「…………ッ」
意思とは裏腹に一ミリも動いてくれない唇。
無理なものは無理だと諦めつつ、チラリと眼前に視線を移す。
辺り一面に咲き誇る紅蓮の炎。街の風景を全て深紅に染め上げ、強烈な存在感を誇示するソレに包まれて尚、彼女は圧倒的だった。
黒く、黒く、際限なく黒を重ねた果てに辿り着いた濃密で艶やかな黒髪は、どのような手入れをしているのか絹のように滑らかで風に舞ってふわりと揺れている。腰まで伸びたソレはきっと触れば極上の手触りを伝えてくるのだろう。同じく黒色で構成された瞳は宝石と比喩することすらおこがましく、視線を重ねるだけで吸い込まれるような錯覚を感じさせる。
対照的に、透き通るような淡く、何処か儚さすら感じさせる素肌はたおやかな指先や触れれば折れてしまいそうな小柄な体躯を余すところなく包み込み、無垢なる魅力を閉じ込めるどころかより一層引き立てていた。
彼女が身に纏うのは、指先がちょこんだけ見えるセーターにホットパンツとなんの変哲もない衣服。だと言うのに、体躯よりワンサイズは大きいセーターの中で自己主張する二つの果実は生地を持ち上げて苦しげに身を縮めており、スラリと伸びた二本の足は目に眩しい程白く一度視線を向ければ離すことが出来ない妖しい魅力を備えている。
儚く、それでいて凛とした彼女を嫌う人がいるとは到底思えなかった。
無論、僕もその例に漏れる筈がない。
「ふむん? ……じゃあ、やっぱり好きなの?」
頷きたかった。
貴女のことが好きだと、叫びだしたかった。
なのに、なのに、
「僕は、貴女のことなんて好きじゃありません」
零れ落ちるのは、気持ちを真逆に裏返した言葉。
「あは、ひっどいなぁ。私のことは嫌いじゃないけど、好きでもないって?」
「……そういうことになりますね」
「それって、すっごい残酷な答えだよね。結局君は何も応えてないじゃない」
「否定はしません」
「好きでも、嫌いですらない――それってつまり、君の中に私は一欠片も存在してない、ってことだよね」
「…………………………」
「でも私は、君のことが好きだよ? ……好き、大好き」
呆れ果てるほど愚かな言葉を耳にして尚、彼女はそう言った。
何一つ答えられず、何一つ応えられない愚かな僕のことを、好きだと。
甘く、優しい声音で紡がれる言葉の一つ一つが紛れもなく彼女の本心であると、僕を責め立てる。
「――――――――ッ」
ゆらり、と視線の先に居る彼女の輪郭が揺らいだ。
不自然にぼやける視界の所為で、彼女の姿を満足に捉えることができない。
きっと、これが蜃気楼なんだと場違いにも考える。
雨が降ってきたのだろうか、足元に水滴がぽたぽたと零れ落ちる。
熱を持った地面で蒸発するソレが、自分自身と重なって仕方がない。
「あーあ、最初で最後の告白が撃沈かぁ」
なんでもないように呟かれる言葉に心を締め付けられる。
何もかも忘れて、自分の想いを吐き出せたらどれほど良かったろう。
一欠片たりとも感情を伝えられない役立たずな口腔の役目を奪い取って、本能のまま口付けを交わせたらどれほど幸せだったろう。
ただ一言、好きだと言えたら、僕は――
「それじゃあ、そろそろ、……さよならだね」
――でもソレは、叶わなかった夢物語。
滑り落ちる彼女の言葉と同時、通り雨が止んだ。
その後に僕の視界が捉えたのは、紅蓮の花に包まれて眠る彼女の姿。
灼熱の炎に包まれようと、壊れた玩具のように倒れ伏すその寝顔の表情が変わることは無い。
そのシルエットを見つめながら、やっぱり貴女は綺麗だなんて溢しつつ僕はゆっくりと彼女に背を向ける。
これ以上この場所にいては危険だと、本能が警鐘を鳴らしていた。
「さよなら、先輩」
自分以外に動く姿がないことを確認してから口を開いた。
喉が痛むのを無視して、大きく深呼吸。
そのまま、いつも以上に飾り気無い言葉を落として、僕は歩き出す。
もう背後は振り返らない。
これが僕に残された最後の生き方で、最良の生き方なんだから。
「――――――――――――――」
だから、もう何も、聞こえない。