キリエ
光はどこまでも続かない。ある部分を境にそこは闇にかわる。
光のもとを歩いているはずが気づいたら闇を彷徨っている。
常に一寸先は闇である。
―シーン28―
「ねぇ」
女が男に甘い声でささやく。
だれもいないダンスホールで二人がゆっくりとステップを踏む。
「どうしたんだい?」
「大事な話があるの」
「・・・・・」
男は沈黙で答える。
「子供ができたわ」
「そうか」
そして再び沈黙。
「嬉しくないの?」
「いや、そうじゃない。嬉しいさ」
そう言って男は女を抱きしめる。
「愛しているよ」
女の顔には笑みが、男の顔には何かを決断した表情が浮かんでいた。
―イタミユウコ―
人工的に生み出された光が四方八方からこちらの世界を輝かせる。
私の白いドレスが赤一色に染められた背景に映える。
そしてその白いドレスとは対照的な黒いスーツを着た優男が目の前で愛をささやく。
そんな二人をヴァイオリンを基調とした静かなバラードが包む。
一見してみれば西洋の豪華絢爛なパーティー会場の一場面であるように見える。
しかし煌びやかなこちらの世界の対面には一面に広がっている闇から1人の男がこちらをジイッと睨んでおり、それがこの場を一転して不気味な空間に仕立てている。
男の隣には1台の大型カメラがそのまんまるいレンズをこちらに構えている。
「カッッット!!!」
闇の中の男が大声で叫ぶ。
その声を皮切りに重々しい空気が崩れ去り、闇と光の区別が無くなる。
「お疲れ様です。次でラストシーンかぁ。もうすぐこの撮影も終わりですね。」
ヒグチはそう言うと私に水の入ったコップを渡してくれた。
彼はこの舞台の主演俳優であり、また私の唯一の共演者である。
そんな彼にありがとうと告げ、のどを潤しつつゆっくりと辺りを見回す。
豪華さのなかにどこか儚げのあるこの式場が今回の撮影の舞台である。
この雰囲気が非常に良い、とカントクは話していた。
彼はこのミュージックビデオを手掛けるにあたって曲と雰囲気のバランスが最も重要なのだと主張している。
そういった「こだわり」というものを私はうまく理解できていないが演技にかける熱意は人一倍であると自負している。
日の目を見ることのなかった私の人生において今回の撮影こそが最後のチャンスであると思っている。
真っ暗な道を歩いてきた今までの自分から華美に輝く自分へ。
そんなことをまじまじと考えていると「再開するぞー」というカントクの声が聞こえた。
よしっと軽く頬を叩き演技モードへと意識を切り替える。
さぁ最後のひと踏ん張りだ。ラストシーンを走り抜けよう。
―ヒグチリョウヘイ―
「カッッット!!!」
カントクの声で休憩に入ると僕たちは作り物の世界の住人から現実へと引き戻される。
照りつける照明でのどが干からびそうだ。
僕は二つのコップに水を注ぎ一つをイタミさんに渡す。
彼女はありがとうと小さくつぶやくと僕から視線をはずし式場をうつろに眺めている。
僕もそれに倣いぼんやりと辺りを見渡しながらこのミュージックビデオの芝居について考えをめぐらした。
僕が演じる男は自分が営んでいる牧場で乗馬を楽しむ貴族の女に惚れこんでしまう。
しかし男は財も地位もなく、自分がしがない牧夫であることをよく理解していた。
彼の良さと言えばただ底抜けにあふれる優しき心のみである。
埋まることのない身分の差に悩み、ただ見つめることしかできない日々が続く。
女はそんな男の視線に気づくことがなく乗馬に興じるため男の牧場に通い続けた。
そんな折ひょんなことで女は落馬し怪我をおってしまう。
女はその怪我を手当てする男の優しさに気づき、二人の距離は縮まっていく。
1年、2年と男は女に尽くし、女は男を献身的に支え、二人は愛を育み合った。
いつしか男は牧夫をやめ、女の資金で事業を始めた。
女の家の手助けもあり事業は成功を収める。
そしてついに男は冴えない牧夫から女と肩を並べるまでに成り上がった。
すると数年前の男には考えられないような欲が表れるようになる。
上流階級の集まりにしばしば顔を出していた男は、とある社交場で美しいと評判の別の貴族の女に目を奪われてしまう。
勢いが衰えることのない男の求愛にその女も答え、男は新たな愛に心を注いでいった。
その頃女の家は衰退していき、女は以前にも増して男に依存するようになった。
男はそんな女のすがるような目線を振り切る度胸もなく、だらだらと関係を続ける。
その一方で燃えるような新たな愛は触れることができないほど熱を帯びていった。
そしてその愛は熱だけでなく新たな命も生み出した。
こんな話を僕はイタミさんと二人きりで演じてきた。
イタミさんの演技はすごい。
僕のちんけな語彙ではこう表現するしかない。
一人二役という難しい役柄だというのに彼女は見事に演じきっている。
まるで彼女が本当に二重人格のようだ。
その迫力に押されて自然と僕も成り上がりの愚かな男へスイッチが入る。
普段はひ弱でなよなよした僕が、自信満々に彼女を口説く様子を見て暗がりからカントクがくすりと笑う。
そしてカントクの不気味な笑みを気にもせずにイタミさんは内に秘めた熱いものを僕にぶつける。
そんな不思議な空間を僕は気に入っている。
もうすぐ撮影も終わり、みんなとはお別れとなる。
少しさびしい気がするがまずはこの作品を無事に完成させねば。
「再開するぞー」
カントクがにやにやしながら僕らに声をかける。
この人はラストシーンに向かうにつれて怪しげな笑みを浮かべる頻度が増している。
何を考えているのかわからないが相当な自信作になるのだろう。
僕もラストシーンを終えればあんな風に笑えるのだろうか。
台本を見る限りではそんなことはなさそうだ。
やはり少しさびしく、そしてなぜか今さらになって、悲しい。
舞台を式場内の小部屋に移し撮影が再開される。
曲調は激しさを増し、やがて光は闇へと変わる。
―シーン29・ラストシーン1―
「話って何なの?」
「・・・・」
「黙ってばかりじゃわからないわ」
しかし男は言葉を紡ぐことができない。
そんな男に女は詰め寄る。
「ねぇ、一体なんだっていうのよ」
「・・・終わりにしよう」
「えっ?」
男がひねり出した言葉はありきたりな別れのセリフだった。
だからなおさらそれが意味するものを彼女は理解しがたかった。
「終わりって・・・正気なの?」
「あぁ正気だ。今日をもって僕たちの関係は終わりだ」
「何を言っているか理解できないわ」
「話はそれだけだ。すまない」
「すまない?こんなに私はあなたを愛しているのよ。あなたも私のことを同じくらい愛しているはずよ」
「すまない」
「すまないなんて聞きたくないわ。ねぇあの牧場での出会いを思い出してよ」
「すまない」
その後も女は様々な愛の言葉を手当たり次第男に投げつける。
そして次第にその様子は狂気を帯びてくる。
「誰があなたを貧しい牧夫からここまで引き上げたと思っているの。いい加減にして。私はあなたを愛しているのよ。どうして私だけ置いてきぼりにされるの。これまでの私たちの時間はなんだったの。今ならまだ間に合うから早く前言を撤回して。あなたは私しか愛してはいけないの。あなたに見捨てられたら私はどうしたらいいの。一人じゃ生きていけないわ。あなたが必要なの。私を見殺しにする気?私が死んでもいいっていうの?ねぇ何とか言ってよ」
男はただひたすら沈黙を守り通した。
もう彼女にかける言葉なんてないのだ。
彼女の光はすでに失せ、瞳が鼻が口が耳が胸が闇に堕ちていく。
-マツダコウタロウ-
美しい。
俺は壊れゆく彼女を見てそう思った。
本当の自分と演じている役が混ざり合いその狂気は艶美な色に染まっていく。
狙い通りだ。
あることがきっかけで俺たち3人は知り合った。
初めて彼女を見たときは何も感じるものはなかった。
しかし彼女の身の上話を聞いていると、だんだんと頭の中でストーリーが仕上がってくる。
ハイな気分に襲われプロットが思うがままに組み立てられていく。
隣にいるヒグチという男もその一部となり最高に美しい悲劇の台本が完成した。
そしてずっと頭の中に流れていた曲をそこに添えた。
映像界に関わって15年、自らが撮った作品が評価を受けたことなど皆無だ。
二人は俺のことをカントク、カントクと呼ぶが、俺を知っている人間がこの光景を見たらきっと苦笑するだろう。
しかし今回の作品は違う。
映像史に残る大傑作になるはずだ。
生産と破壊。光と闇。
さぁフィナーレを迎えようじゃないか。
―シーン29・ラストシーン2―
「もういいだろ。さよならだ」
男は女の罵詈雑言に沈黙で答えた後そう言った。
そうして部屋を出ようと腰をあげる。
「嫌よ。あなたがいなくなったら私は死んでしまうわ」
女は男の服をつかむ。
「離せ。死にたいのなら死んでしまえ」
男はそんな言葉を吐きつけた後に、しまったと思ったがすでに遅かった。
彼女の全身はすでにどす黒い何かで包まれている。
昔の可憐な姿は見る影も無い。
「そうね。死んでやるわ。ずっと一緒よ」
そう叫ぶやいなやどこからか取り出した刃物を男の腹部に突き刺した。
ガクッと男の体がよろめくのも気にも留めず、その刃物を抜いては刺し、抜いては刺し。
何度も何度も何度も何度も、腹部に、胸部に、腕に、足に。
すでに息が途絶え床に寝転ぶ男の傍らに寄り添い、丁寧に、一回一回愛情をこめて、ズブリ、ズブリ。
何度も何度も何度も何度も、飽きることなくかつて彼だったものを切り刻んでいく。
白いワンピースに紅が広がっていく。
そうしてゆうに100以上はその行為を繰り返し最後に一言、
「ありがとう」
と口を動かし、彼の血に染まった刃物を自らの首筋に当てがい、一気に、引き抜いた。
そこには光も闇もない。あるのはただ赤く染まった部屋と二つの屍だけである。
-マツダコウタロウ-
終わった。ついに作品が完成した。
「お疲れ様。良い演技だったよ」
と二人に声をかける。
撮影当初は口数もそれなりにあったのだが今となっては無言の返事が返ってくる。
当然俺も疲労の色を隠すことはできない。
台本こそ完成していたものの、急なスケジュールで撮影を始め、バタバタと慌ただしい日々を過ごした。
ただその労力に見合う素晴らしいものが撮れた。
唯一気に食わなかったのはヒグチが刺されるシーンで笑みを浮かべていたことだ。
やっと解放されると思って気が緩んだか。
やはり彼に演技力を求めるのは無謀だったのかもしれない。
とはいっても彼に撮り直しを依頼するわけにもいかない。
彼はすでにこの世を去ってしまったのだから。
俺たちはネット上で共に自殺する仲間を探す―いわゆる自殺サイトで出会った。
ネットでやり取りした結果練炭を使いますかとなり、いよいよ決行当日となった。
「死ぬ前に少し自己紹介でもしませんか?」
と一人の男が言った。
彼は名前をヒグチと言い、生きていても良いことなんてないですから、と見た目通り貧弱な理由で死ぬのだという。
気が進まなかったが俺も借金をして映画を撮っているが鳴かず飛ばずでいよいよ首が回らなくなったのだと話した。
どうせ俺が死んでも泣いてくれる友人や借金を肩代わりする親族なんていない。
彼女―イタミも俺たち似たような理由である。
十代で子を孕み、ろくでもない男と結婚した彼女は夫のDVに苦しんでいた。
ずっとそんな暗い生活が続いたが、ある日ふと気が付いたら夫と子供が死んでいた。
その血まみれの二人に正対して包丁を片手に正座している自分がいた。
そして得も知れぬ解放感にあふれた。それはまるで真っ暗な井戸の中にさす一筋の光のようだった彼女は話していた。
しかし解放感に満ちているはずなのに何もする気が起きなかった。
初めは死ぬことも考えたらしいのだがそれすら億劫だったようだ。
数日間四肢を投げ出し日々をボーっと過ごした。
二人の元家族を眺めていると空腹が彼女を襲い、結局はそれが死んでしまおうを思い直させたのだという。
前述のように俺は二人の話をヒントに思いついたアイディアを抱え「死ぬ前に一つミュージックビデオを作らないか」と提案した。
「君たちは作品中で実際に死ぬことができる。こんなリアルな死を演出するなんて素晴らしいことだと思わないかい?」
嫌がる彼らを無理やり説得し撮影準備を手早く整えた。
各社のブラックリストに名を連ねている俺のような人間にも金を貸し付けてくれる奴らは案外いるものであった。
奴らも俺が数日中に死ぬ予定だとは思っていないだろう。
いざカメラを回してしまえば彼らも演技に没頭し、撮影は順調に進んだ。
撮影中に気づいたのだがイタミは本当に2重人格を患っているようだった。
彼女の家族を殺したのは表の性格だろうか、それとも・・・
などと考えているうちにあっという間に日が過ぎて行った。
俺は満足だ。すでに現世に未練は何もない。
生まれたときは間違いなく祝福の光を受けていたはずである。
気づけば先の見えない闇の中を歩いてた。
しかし最後に本当の意味で命がけの作品も作ることができた。
光のもとへと帰還できたのだ。
ジャケットのポケットから拳銃をとりだしこめかみに突きつける。
「こんな幸せに死ぬことができるなんて」
そう思うとなんのためらいもなく引き金を引くことができた。
パンッという破裂音が部屋にこだまする。
そのあとすぐにドサッと何か大きなものが崩れ落ちる音がした。
そうして全てはずっとこの悲劇に付き添ってきた曲に包まれていった。
モーツァルトの葬送曲第2曲「キリエ」 邦名・憐みの歌
罪人が神に憐みを乞う曲である。
闇はどこまでも続かない。ある部分を境にそこは光にかわる。
闇の中を歩いているはずが気づいたら光が差してくる。
闇と光は表裏一体である。
初投稿です。
お目汚しですがよろしくお願いします。