00 日本国
今回で完結となります。
雲の上で寝ているような心地良さに迎えられながら、夏苗は目を覚ました。
視界に飛び込んできたものは天井と、薬の匂い。
夏苗には見覚えがあり、そして懐かしい光景だった。上半身を起き上がらせると、鈍痛が駆け巡った。
病院服に着替えさせられた身体を上から覗き込むと、肩と胸部から横腹にかけて包帯が巻かれていた。
夏苗は既に気付いていた。ここは、伏見宮家の御召艦『尾張』の艦内の医務室であることを。
北海道沖から本州側に南下していた御召艦『尾張』は東京湾を目指していた。
その周囲には他の艦艇が囲い、北海道沖の制海権を手にしていた大艦隊が、北海道の海から離れていく所だった。
御召艦『尾張』が引き連れた艦隊は帝都の海を目指し、北海道沖には主力の連合艦隊と航空艦隊を残し、一足早く先に帰国の途に着いていた。
世界最後の戦艦は、最後の役目を果たすように、列島の沿岸を沿うようにして南西に航行していた。
ベッドから起き上がった夏苗は、旭川の地下での出来事を思い出していた。
間取を殺し、自分も死のうとした時―――夏苗は、背後にいた西墻に撃たれて意識を失った。
命は助かったらしい身体の感触を確かめ、夏苗はふらりと歩く。
足がおぼつかない。どれくらい眠っていたのだろう。
夏苗は自分の身が『尾張』の艦内にあった状況からある程度の事情は察していた。
それより気がかりだったのは、陽和の行方だった。
「……ッぅ、……」
言うことを聞かない足がふらつき、まともに歩けない夏苗は壁に身を寄せる。それでも何とか足をひきずるような形で歩きながら、扉の方に向かった。
彼女の姿を求める。その時、目の前の扉が突然開かれた。
「……………あ、」
「……………かなちゃん」
目の前に現れたのは、捜し求めていた人物そのものだった。
礼服を着た陽和の身なりはどこにも異常らしい部分は見当たらなかった。その端正な顔が、呆然と夏苗の顔を見据えている。
「………殿下」
「―――――ッ!」
目の前にいた陽和が夏苗の飛びつき、そのまま倒れ込む。仰向けに床に倒れた夏苗の身体を、陽和が優しく抱き付いていた。
「………かなちゃん、良かった……ッ」
「殿下……」
涙を浮かべる瞳を見た夏苗は、思わずその手を陽和の頭にそっと触れた。さらりと流れた懐かしい髪の感触は本物で、身体に押し付けられるように触れる温もりが必死にその存在を教えていた。
夏苗の空のように蒼い瞳に涙が溢れ、雨粒のようにぽろりと落ちていった。
「ごめんなさい……私……」
「あなたは何も悪くありません」
耳元に唇をそっと触れるような声で、陽和は言った。二人の顔が、真正面から見詰め合う。
「それでも赦しを乞うのなら……私が赦します。だから、これからも私のそばにいてください……」
「…………殿下ぁ」
嗚咽を漏らす夏苗の唇を、そっと指先で触れる。
「二人の時は、殿下ではなく」
「……ひよりちゃん」
「うん、かなちゃん」
そして、抱き締める。
二人しかいない艦内の医務室で、二人の少女は誰かが来るまで泣き続けた。
旭川市陥落と間取首相と他閣僚の死亡に伴う共和国臨時政府の崩壊後、生前の間取が唱えた無条件降伏の宣言通りに日本人民共和国は日本帝国及びアメリカ合衆国に対して降伏した。日本人民共和国の降伏によって第二次北海道戦争は終結した。
日米同盟軍は旭川市の地下施設で間取首相の死亡を確認後、道北・道北東の各所における臨時政府閣僚の死亡も随時確認し、完全なる臨時政府の崩壊を認めた。
間取以外の臨時政府閣僚は日米同盟軍とロシア軍がまだ侵攻していない地域に匿っていたが、降伏前の人民国防軍のミサイル部隊による攻撃で、他の軍幹部や党幹部の要人たちと共に死亡していた。
日本人民共和国は日本帝国に吸収される形で統一されることになり、日本列島は半世紀の分断の末にようやく統一する流れとなった。
収容所にいた政治犯は全員解放となり、戦中戦前の政府要人や政治総省などの幹部たちは逮捕され裁判に掛けられることになり、更に解放された旧北日本政治家たちによる臨時日本共和国政府が作られ、南北統一選挙に至るまでの帝国政府の交渉相手となり、後に南北統一政府の前身となる。
日米とは別に北日本の領土内に侵攻したロシアに関しては、日米両国との間に交渉の席が設けられた。
樺太南部と千島列島に侵攻したロシアと日米両国の間で互いの主張が斥候し合うことになるが、この問題は統一後にまで引きずることになる。
ちなみにロシアとの交渉後の政府関係者が発言した「今はロシアに占拠されている日本のかつての領土を取り戻せない限り、真の統一とは言えない」という言葉が統一後の領土返還運動の度に取り上げられることになる。
結果的に樺太南部と千島を除く北海道が吸収され、南北に分断されていた日本は統一された。
その後、統一後の政策が政府から発表された。
先ずは戦場となった北海道内各地の復興。
そして、統一後の日本の在り方。
この政策によって、戦場となって荒廃した北海道各地の復興に伴う統一日本の改革は憲法と国体にも及んだ。
帝国君主を象徴制とした日本国案を提示した旧南日本国内では葛島内閣が総辞職し、南北統一選挙が実施された。
日本国。
南北統一選挙後、2015年夏。ドイツに遅れること25年。南北日本の統一により、日本国が成立した。
民族の悲願だった統一を果たした日本だったが、かつての南北両国が資本主義と社会主義という違った経済体制を敷いていた過去から、旧南日本と旧北日本の間では経済格差や旧北日本からの難民流出が生じるなど、多少の混乱が発生した。東側諸国の中では最も経済が発展した旧北日本だったが、それでも世界屈指の経済大国である旧南日本との差は大きく、その影響は20年に渡って日本国の国内問題として残り続けることになる。
しかし新たに日本の都道府県となって戻ってきた北海道を迎え入れた政府と国民は荒れ果てた北の大地に足を踏み入れ、旧北日本国民と手を結び復興に力を注いだ。
再び北海道の地を開拓させよう。
今度こそ日本人同士で手を取り合い、復興を成し遂げよう。
旧南北の日本国民が絆を深め合ったことで、主戦場として荒廃していた北海道は二年の内に復興を遂げることになる。
2017年。
日本統一から、二年が経っていた。
荒れ果てた北海道の地も復興し、活気に満ちていた。確かに経済格差などの問題はあったが、それでも北海道は旧南日本国民から観光地として注目され、その豊かな自然と名産物に魅了され、多くの観光客が北海道の地に殺到した。
そんな北海道が活気に満ち溢れていた2017年は終わり、翌年の2月には北海道の目玉が盛り上がろうとしていた。
札幌雪まつりである―――
旧北日本では日本共産党と政府の威厳を誇示する目的で開かれていた一大イベントだったが、統一後においても北海道を代表する一大イベントとして催されていた。
イベントには旧南日本からも様々な団体や企業、個人が参加し、その規模は旧北日本時代より遥かに大きなものに成長していた。
札幌の日本国軍が雪像製作を取り仕切り、旧南日本のみならず諸外国からの観光客も溢れていた。
旭川の地下施設で西墻に撃たれ意識を失っていた夏苗は、その後にやって来た佐山と揚羽に見つかり、別室で眠っていた陽和と共に保護された。間取と西墻は死亡し、夏苗は御召艦『尾張』に運ばれるまで意識を失ったままだった。
陽和は宮内省御用達の医師の処置により回復し、夏苗より一歩先に目覚める形となった。
近衛兵の夏苗が旧北日本軍の英雄として旧北日本国内で騒がれていたことは旧南日本にも情報が知られていたが、確たる証拠は無く、当時の旧北日本による得意のプロパガンダの一種だったのではないかとも推測され、結局夏苗は裁判を掛けられることもなく、旧北日本軍に捕虜として捕らわれていたとして旧南日本への帰国を許された。
その裏で陽和や佐山たちの配慮があったのかもしれないが、夏苗は問い質すことはしなかった。
帰国後、入院した夏苗は近衛兵団からの辞職を申告し、旧北日本に戻ることを希望した。夏苗なりのケジメだった。
反対もなくむしろ応援してくれた陽和の後押しを受けた夏苗は退院後、復興事業に乗り出す北海道の地に降り立った。
「本日、かつては軍事境界線として南北を政治的に分断していた津軽海峡の洋上において、帆船の『大和丸』が、第二次北海道戦争での津軽海戦で現場となった下北半島の沖合で、犠牲となった海上保安隊員、海軍艦『金剛』の犠牲者らを追悼し海に献花する式典を行いました」
テレビ画面に映る女性ニュースキャスターが、第二次北海道戦争の発端となった北日本軍によるミサイル攻撃と並列して行われた津軽海峡での艦艇同士の戦闘(津軽海戦と呼ばれる)で犠牲となった当時の南日本海軍、海上保安隊の乗組員たちに対する追悼の模様を報じていた。
軍事境界線として旧南北日本の海軍や警備隊が睨み合っていた津軽海峡で起こった武力衝突。この戦いでは旧南日本側の巡洋艦『金剛』と海上保安隊の三隻の巡視船が海峡の底へ没した。
映像には、南北日本が統一した折に軍事境界線から国際海峡となった津軽海峡で、日本国が保有する世界最大の練習帆船『大和丸』が津軽海峡を通過する際に、津軽海戦で戦死した彼らに対し黙とう、献花を行った経緯が報道されている。
更に献花を行った実習生代表がインタビューに対し「あの戦いで亡くなった人たちのためにも、将来の日本を支える若者として今後とも訓練に励んでいきたい」と決意染みた表情で答えた映像が映った。
そして最後に『大和丸』船長のインタビューを締めとして、映像がキャスターの方に変わる。
「今月九日に福岡港を出航した『大和丸』はこの後、国際海峡となった津軽海峡を通過し、そのまま北太平洋のコースを通ってハワイ・ホノルルに向かう予定です。それでは次のニュース……復興事業が今尚盛んに行われている北海道から、希望の見える明るいニュースです。道内一の大都市、札幌市での復興は順調に進んでおり、その復興ぶりを強調するように本州のみならず海外からも大勢の観光客が訪れ、北海道復興協会と観光協会は共同記者会見で―――」
携帯のワンセグから視線を上げた夏苗は、目の前を通り過ぎる行き交う人々の行列を眺めた。
誰もが冷たい空気から身を守るように厚い防寒着を身につけ、口元から白い吐息を燻らせ、瞳は人々の目の前に堂々と顕現する雪像たちに向かってその視線を注いでいる。
夏苗は携帯を閉じると、自分もその輪に入りこむように、ベンチから立ち上がった。
賑わう大通公園。かつては共産党の初代党首の銅像が建っていた広場だったが、統一と共に銅像は旧北日本国民の手によって取り壊され、今や銅像があった場所は市民が親しむ公園の遊具が並んでいる。
広場から公園と名称を変え、旧南日本の介入に伴う規模の成長により、雪像が多く並ぶよう改装された大通公園。
都市を分断するように東西に伸びた大通公園は、数多の雪像が並び、道を埋め尽くすような多くの観光客で溢れていた。
その中を、夏苗は一人歩き、様々な雪像を眺めていた。
「……随分と、盛り上がるようになったなぁ」
白い息を燻り、夏苗は昔の雪祭りとは比べ物にならない祭りの規模を目の前にして呟いた。
観光客がぞろぞろと歩く人の波の中を歩いていた夏苗は、ふと道端にあったものに目が止まった。
―――雪のうさぎ。
道端にちょこんと雪で出来た小さなうらぎがあった。こんもりと作られた小さな山に、枯れた葉っぱが乗せられ、見事な雪うさぎを生み出していた。
一緒に雪祭りを観に行こう。
父から脱北を聞かされる前の帰宅中、掲示板に貼られた雪祭りのポスターを前にして弟と約束した時のことを思い出す。
そして脱北の前夜に、二人だけの小さな雪祭りを行った。その時、雪でうさぎなどを作った記憶が脳裏に浮かぶ。
雪でうさぎを作ったことをからかうと、恥ずかしそうに顔を赤らめた弟。
人の波から抜け出し、夏苗は道端に作られた雪うさぎのそばに駆け寄る。そして、雪うさぎが道に沿って何匹も並んでいることに気付く。雪うさぎの列を辿ると、その一番端で男の子と女の子がせっせと雪うさぎを作っている光景があった。
両親はどこにいるのだろう。子供二人が道端に並ぶように雪うさぎを大量生産している光景は微笑ましくもあり異様でもある。道を歩く人々の視線も買っているその行為を続けている二人の子供に、夏苗は声を掛けた。
「何をしているの?」
「雪でうさぎさんをつくってる」
女の子が答えた。よく見れば、女の子の方が年上に見える。姉弟だろうか?
「お父さんとお母さんは?」
「お父さんとお母さんはいない。 戦争で死んじゃった」
夏苗は喉に異物が詰まるような感覚を覚えた。
第二次北海道戦争で親を失った旧北日本の孤児たちも統一した日本の社会問題になっている。
そんな孤児たちを救済する団体や政府の支援が積極的に進められている。
おそらく、一緒に祭りに訪れていた施設の人か養親と離れてしまったのだろう。
「……お姉ちゃんは誰?」
男の子が夏苗に話しかける。夏苗は男の子の方を見て、思わず身体を強張らせてしまった。
幼い頃の弟の面影が重なった男の子に対し、夏苗は優しげに口を開く。
「私は……ただの通りすがりの、雪のうさぎさんが大好きなお姉さんよ」
夏苗は微笑む。その笑顔を見た幼い姉弟は顔を見合わせた。
そして、いきなり声を上げる。
「お姉ちゃんも遊ぼう!」
「一緒に、ゆきまつり、しましょう!」
「……いいの?」
夏苗の言葉に、幼い姉弟は満面な笑顔で何度も頷いた。
「だって、うさぎさん好きなんでしょ? わたしたちもだいすきだもん!」
そう言って、女の子が夏苗の手を引いた。男の子も一方の手を引く。
「………しょうがない、なぁ」
笑顔になった夏苗の瞳には一粒の光るものがあったが、それはすぐに取り払われた。
やがて、夏苗は二人の幼い姉弟と一緒になって小さな雪像を夢中になって作り出し、通行人の報告によってやって来た警備員に注意されるまでやり通すのだった。
道端にずらりと並ぶように作られた小さな雪像を前に、警備員に説教を受け始める夏苗。
呆れた弟が、浩が、この光景を見たらきっとこう言うだろう。
―――変な所で、不器用だよな。夏苗姉ちゃんは。
うるさいよ。
やがて、半ば呆れ果てた警備員から説教を受け、更に騒ぎを聞き付けた幼い姉弟の養親が到着した時。
道端に並んだ小さな雪祭りを見た観光客たちの歓声と拍手が沸き、夏苗と幼い姉弟は顔を見合わせ、笑った。
その足元には、二匹の雪うさぎが、鼻をくっつくようにして寄り添っていた―――
終
遂に本作品は完結となりました。
まさかここまで時間が掛かるとは思わなかったのですが、何はともあれ無事に完結することが出来て良かったです。
私自身、北海道で生まれ育った人間なのですが、北海道を訪れたことがある他県の人からよく聞いた言葉があります。
「日本だけど、日本のようではない地域」
このような意見を何度も聞いたことがあるのですが、これが本作品を執筆するに至った理由だったりします。
北海道はでっかいどう。道民の私が言うのもアレですが、実際大きいのが北海道。仮想の中で独立国家にしても充分にイケそうな広さ。
日本だけど日本ではない。正に分断国家にはぴったりな言葉。
いや、現実には日本の立派な一部だけど。
そんな発想から生まれた本作品ですが、色々と勉強不足な点のせいでツッコミ所満載だと思います。反省する部分が多々あると思いますが、それでもここまで読んでくれた方がいるのなら感謝するばかりです。
では、本作品を応援、読了してくださった方々、本当にありがとうございました。