60 収束
間取は施設から発した電波を通して、東京に対しての統一案を提唱した。元々この地下施設は核の脅威が高まった冷戦時に核シェルターの役割を持って建設されたが、内部から外部に大規模な電波を発し、映像や音声を送信する機能も有していた。
統一案の提唱―――そして降伏。間取は臨時政府首相として旭川から統一案の提唱と無条件降伏を宣言した。
放送を終えた間取は、一人満足そうに壇上から降り立った。その陰で、夏苗は無言で視線を向け続ける。
やがて地上から鳴り響いていた砲撃も収まった。地上の戦闘も落ち着き、戦争は本当に終わろうとしてた。
しかし夏苗の表情には陰りが残ったままだった。
まだ終わっていない―――
夏苗は目の前で笑みを浮かべる男に向かって、懐の拳銃を抜いた。
「弾道ミサイルが発射されたことは間違いないのか?」
官邸の地下室内の危機管理室は騒然としていた。アラートが鳴り響いて10分が経過しようとしていた。
やはりあれは単なる敵の謀略だったのか。降伏すると見せかけて、奇襲を仕掛けてきた?
「間違いありません。既に着弾しました」
情報を手にした防衛大臣が説明する。
アラートが鳴り響いて3分も経たない内に着弾したと言う。葛島は顔を強張らせた。
「何処に」
「……ミサイルは、上がって、すぐに地上に落ちました」
「どういうことだ?」
発射は失敗したということなのだろうか。何処から発射されたのかも気になるが、今は発射されたミサイルの行方を知るのが先だった。
「発射されたのは短距離弾道ミサイルだったようで、空爆を行った十勝基地から発射された模様です。おそらく、地下にでも運搬車両と弾道弾を隠していたのかも。発射されたミサイルは北海道内に着弾しました」
ミサイルは本州側の南日本本土ではなく、自国の領域内に落ちたと言う。
「それは失敗したということか?」
「いえ。最初からこちら側に飛翔したものではありませんでした。明らかに、道北、道北東方面に向かって発射されていました」
葛島たちはますます理解の不能に陥った。
防衛大臣自身も信じられないと言うような顔色で説明を続ける。
「我が艦隊のイージス艦が発射された弾道ミサイルを捕捉し、北海道内の各所に着弾したことを確認しています。米軍からも同様の報告がありました」
葛島は、ゆっくりと呟いた。
「誰に向かって、撃ったんだ……?」
その後、謎の弾道ミサイル発射を行った北日本から、旭川臨時政府から先程提唱された統一案と無条件降伏が宣言された。
秘密の地下に通ずる階段を発見した佐山と揚羽は暗い地下通路を歩いていた。
この地下通路が何処に通じているのかはわからない。それを確かめる意味も含めて、二人は奥を目指した。
暗闇の先に何があるのか―――彼女たちは、そこにいるのか。二人は慎重な足取りで、闇の先へ進む。
「こんな遺跡が、この街の地下にあっただなんてね……」
佐山は素直に驚嘆していた。
「別に不思議ではないでしょ?」
対して揚羽はまるで気にしていないように言った。
「ロシアにだって冷戦時代に作られた旧ソ連の地下の秘密基地があったし、北日本にあっても全く不思議じゃないわ。こういう場所はロシアでは単なる博物館でしょうけど、北日本じゃきっと現役よ」
冷戦時に世界各国で作られた核シェルター、もしくは地下の秘密基地の類であることはすぐにわかった。正にそこは、資料で見たような旧ソ連の秘密基地にそっくりだった。きっと中国や朝鮮にも同じようなものがあるだろう。
ここが最近使われていたかどうかは知らないが、古くから存在していることは容易く想像が出来た。至る各所に老巧化した部分が目立ち、特に南日本が重視するであろう安全性の保証は薄そうだ。
「ここは雰囲気に合わせて、同志達!前へ進め!って、言った方が良いかな」
「馬鹿」
むしろ別の空気が読めていないような発言をする佐山を戒め、揚羽は嘆息を吐く。しかし相変わらずの佐山の調子が揚羽の緊張を緩和させていることも、揚羽には気付いていた。
「ねぇ、揚羽ちゃん」
「何」
最早指摘もしなくなった呼び方に対し、揚羽は前を見据えたまま応える。すぐそばから、後ろから佐山の珍しくトーンを落とした声が聞こえる。
「もしこの戦争が終わったら、君はどうする気だい?」
「突然どうしたの?」
揚羽の方から、くすっと吹いた笑いを含ませた反応が返ってきた。顔は前を向いたまま。
「旭川に来るまでの君のことは聞いている」
「…………」
「その上で、僕は言うよ」
揚羽の表情は無を貫きながらも、その内の心は震えていた。想いを寄せていた男の口から、改めて自分自身の罪を並べられるかと思うと、震えが止まらなかった。
「僕も最後まで君と一緒に戦うことを約束する。僕は君より先に死にはしないよ」
「―――ッ!」
揚羽は振り返りそうになった衝動を堪えた。その代わりに、足が止まる。立ち止まった揚羽の背後で、佐山も立ち止まる。
作戦が失敗して、大勢の部下を失った。生き残った他の者も大きな傷を負い、自分だけが助かっていた。何時しか自分の周りには誰もいなくなった。
周囲の噂を否定した牧瀬も先に逝った。
きっと佐山もいなくなる。
しかし佐山は、最後まで一緒にいると言ってくれた。
「……本当に、私より先に死なないと約束できるの?」
「勿論。僕はタフだからね」
何故か威張るように言う佐山に、揚羽は思わず吹いてしまう。
「誇る所じゃないわよ、それ」
「北の特殊部隊に襲われても生き残った僕だよ? さっきだって撃たれそうになって助かったしね」
「そこは誰のおかげだと思ってるの?」
「冗談だ。そう怒らないでよ」
佐山は笑う。よく笑っていられると思う。そして呆れる。でも―――嬉しい。
「本当に、馬鹿」
撃たれた傷の痛みが、誇りに思えてくる。彼を守った証。この傷を代償に護った彼が捧げてくれた言葉だけで、十分だった。
「戦争が終わったら―――そうね、あんたに何か奢ってもらうわ。ご馳走、楽しみにしてるから」
「……仕方ない。さっきの借りもあるし、喜んで奢らせて頂くよ」
「良し」
揚羽は、笑う。
そして強い意志を持って、歩を更に前へ刻む。
必ず生きて帰る――――
その想いが、揚羽の新たな動力源となった。
夏苗は間取に拳銃の矛先を向けていた。その場には誰も止める者はおらず、二人しかいなかった。
別の部屋で眠っている陽和と待機している西墻も、今の状況を知る術はない。
その時だけ、二人だけの時間が流れていた。
「これはこれは」
銃口を目の前にしても、全く動じない風に言う間取。
「私を殺すのですか?」
「…………」
夏苗は答えない。無言のまま、銃の矛先を間取に向けている。
鋭利な視線を放った夏苗の蒼い双眸と、火傷に覆われた間取の瞳が対峙し合う。間取の口元は嗤っていた。
「良いでしょう、私の役目もようやく終わった所です。愚かにも私が用意した場所に逃げ込んだ卑怯者共は一層できたことですし、遅かれ早かれ私も貴方も死ぬのですから、ここで幕引きをしても特に問題はないでしょう」
「うるさい」
夏苗は憎々しげに言い放つ。
間取は無条件降伏を宣言する前に、十勝に生き残った第5砲兵団の部隊に最後の指示を飛ばしていた。
それは、日米同盟軍が攻め込まんとした旭川から先手を打つように逃げ出したこの国の指導者層たちの抹殺だった。
敵が雪崩れ込むのも時間の問題だった旭川から、大勢の軍幹部や党幹部が、亡命した指導者たちの後に続くように旭川市からの脱出を臨時政府に申請していた。間取はあえて彼らの逃亡を許し、あまつさえその逃げ先を彼らに用意して見せた。愚鈍な彼らは何も知らずに喜んで間取の用意した籠の中へ逃げ込み、やがて間取の指示によって、逃げ込んだ彼らがひしめくその場所に先程ミサイルの雨が降り注いだ。
統一した日本の禍根になるだろう彼らを始末することは当然の行いだった。
愚かな上層階級は、国を滅ぼす。
引き継いだ国に彼らが生き残ってしまえば、その繰り返しだ。
だが、そんなことも夏苗にはどうでも良かった。
睨んだ夏苗の瞳を見詰め、間取は面白そうに笑った。
「ふふ、さすがに怒りましたか? 先程の無条件降伏で、この戦争は我が国の敗北で終わり、南日本に吸収統一されることでしょう。 その先の戦後裁判で私は戦犯として、貴方も裏切り者として死を以て裁かれることは―――」
「そんなことはどうでも良いッ!」
大きく室内に響き渡った夏苗の声が、間取の言葉を途切れさせた。夏苗の鋭い視線が間取を射抜く。
「お前は……私の大切な人たちを巻き込んで、死なせて、…………」
「弟さんのことは誠に残念です。彼は本当に優秀な人材でした」
殺気が沸く。いつ指が引き金を引いてもおかしくなかった。
「しかし彼も彼なりにこの国のことを考え、一生懸命に働いてくれました。だからこそ私の下に兵士として動いてくれたのです。私は同志として弟さんのことを誇りに思っています」
「お前……」
ぐっと踏みとどまる。銃口が若干震えたが、尚もその先は十分に間取を捉えていた。
「ご存じですか?貴方達と共にあの海を渡ろうとして、国境警備隊に見つかり、貴方と共に海へ落ちた後。貴方は南に流され、彼は不幸なことに国境警備隊に捕まってしまいました。彼は一人生き残り、この国に戻ってきたのです。そして辛い拷問の末に、捨て駒のように扱われ兵士となった。しかし彼がどうしてそれ程までに過酷な日々を生き抜くことが出来たのかわかりますか?」
あの後の弟がどんな人生を歩んできたのか、南日本に保護された夏苗には知る由がなかった。
弟が北の特殊部隊兵士として自分の前に現れ、札幌で姉弟として再会した時。
夏苗は弟のことを知ることが出来なかった。そのような時間すら与えることを許されなかったから。
「彼はね……どこかで生きているだろうお姉さんのことを一時も忘れず、生きてきたのです。彼はずっと、家族の写真を肌身離さず持っていたのですよ」
「―――!」
「家族を殺したこの国に復讐するために死ぬ瞬間まで、大好きなお姉さんのことを想い生きてきた。これは彼の願いでもあるのです」
「………………」
沈黙する夏苗を見据えて、間取は口端を歪ませる。
どうしてそこまで、この男は弟のことを知ったような口で語っているのだろう。
―――コウは本当にそんな想いで、今まで生きてきたと言うの?
でも、これだけはわかる。
「コウは、コウだもの……」
再会して、短い間だったけど、話してわかった。
夏苗は自分が安心したことを、今も思い出せた。
弟は変わっていない、と―――
「……黙りなさい。三下が」
微かに下がっていた銃口を、改めて強く構え直す。
「あなたに弟の何がわかる。何を知っている。お前が語るものが、弟の真実だと思うなッ!」
弟の願いが、この男と同じだったなんて違う。
断言できる。
何故なら私は―――
「私は、コウのお姉ちゃんなんだからっ!」
無愛想だった。素直じゃなかった。でも、優しくて可愛い子だった。
再び出会った弟は、やっぱり素直じゃなかったけど、どこも変わってはいなかった。
むしろ、弟は私の言葉を忘れていなかった。
「そう、だ……」
敵機に撃たれる直前、自分の方に顔を向けていた弟の口元が動いていたことを思い出す。
砂柱に呑まれる寸前、弟は何かを自分に向かって言っていた……
その口元は―――
「ごめんな……」
敵機の機関砲から放たれた爆音が弟の声を消し去った。
だけど、弟の口は、そう言っていた。
謝罪の言葉。
夏苗は、浩と一緒に寝た幼き日のあの夜に言った言葉を思い出す。
―――いつか大きくなったら、大切な人を守るんだよ―――
浩はその言葉をずっと信じていた。ずっと心に抱えていた。
大切な人。
浩は、大切な姉を、夏苗を守ろうとしたのだ。
「……ありがとう、コウ。私の方こそ、ごめんね……」
夏苗は一筋の涙を拭うと、毅然とした瞳に間取を映した。間取の表情がひきつく。
「あなたは私の大切な人たちを巻き込んだ。これが真実」
弟だけではない。
殿下を、彼女も危険な目に遭わせた。
「彼女に関しては、誤算でした。まさかあちら側が本当に彼女ごと我々を消し去ろうとは思わなかったからです。我々の計画を快く思わなかった米国が、ここまで大胆な行動を仕掛けてくるとは……」
米軍が独断で札幌を空襲した日。陽和と間取がいた真駒内基地を、米軍機が即座に攻撃を始めた。
結果的に真駒内基地は潰滅し、クーデター軍の首脳部が間取を残して殆どが死亡した。奇跡的に助かった陽和を連れ、間取は旭川まで米軍の手から逃げ延びた。
しかし陽和はそれ以来眠ったままで、意識が戻らない状態だった。
何故、米軍はあの日、同盟国の南日本軍を差し置いてまで札幌への攻撃に踏み切ったのか。
それは―――統一日本に対する思惑に過ぎなかった。
日本の統一を良く思わない国はあった。
中国や朝鮮は日本が再び統一国家となることで、大日本帝国の再来を危惧した。
南日本の同盟国だった米国は北日本に理性的な新政権が発足されることを望んでいなかった。札幌クーデターを察知した米国はリスクを承知で独断専行による札幌の空襲を実行した。その後の南日本政府への圧力もその一環だった。
日本が平和的に統一することは米国にとって好ましいものではない。
武力衝突によって互いに傷つき、統一後に旧南北の間で溝が生じる形でなければ、米国の都合に即さない統一日本の台頭が実現してしまうかもしれなかったから。米国は如何なる対日戦略を考慮し、小さな可能性も見逃さず、躊躇なく確実に実施する。それが世界の覇権を握らんとする南日本の同盟国の姿だった。
「しかし……提案は南に提示できましたし、降伏宣言も成し遂げ、我々の計画は達成されました。これまでに数々の障害はありましたが、遂に我々は新たな日本への礎を築くことが出来たのです」
「うるさい! 私は大切な人たちを巻き込んだあなたを許せないだけだッ!」
引き金に指が触れる。
夏苗は息を吸い込み、意を決したような表情になった。
それを見た間取は、更に口元を歪ませた。
「あなたも、私も、ここで終わりよ」
「……あなたという女は、どうしてそんな―――」
間取が言い終わらない内に、室内に銃声が木霊した。
室内に木霊した銃声。漂う硝煙の匂い。
そして―――身体に帯びる熱を感じた夏苗は、手元から拳銃を落とした。
引き金を引くこともなく、手元から滑り落ちた拳銃が、足元に落ちる。
身体に伝わる熱の発祥を辿り、手を触れてみる。やがて網膜に飛び込んできたものは、手のひらにべったりと付着した赤い血の色。
軍服を染め上げるように、みるみるうちに血の染みが広がっていく夏苗の身体は、見るも無残であった。
喉奥からこみ上げる血の味が口内に広がり、溢れ出る。
ゆっくりと視線を向けた先には、見慣れた男の姿があった。
「……中、尉」
札幌の脱出から自分の下に何処までも従ってきた男。
英雄として尊敬し、信頼を寄せてくれた、中尉。
硝煙を漂わせた銃口をこちらに向けた西墻の冷淡な表情が、そこにあった。
「………………」
西墻の冷たい視線が見守る中、夏苗は崩れるように倒れた。
動かなくなった夏苗を間に、沈黙が世界を支配する。
やがて、倒れた夏苗を見詰めていた西墻の耳に、卑小な笑い声が聞こえてきた。
「馬鹿な女ですね。どうしてそんな……救われた自らの命を粗末にできるのか」
クツクツ、と歪めた口元から笑みを漏らした間取が、動かない夏苗のそばに歩み寄る。
床に伏せた夏苗の顔は見えず、その身体はぴくりとも動かなかった。
「同志西墻中尉、ご苦労でした。彼女の行動への警戒を貴方に任せたのは正解でした」
「…………」
西墻は沈黙を崩さない。
国防大出身のエリート軍人として札幌の国防軍司令部で働き、札幌クーデターで捕らわれた経緯がある通り、西墻は元より国家と党に忠誠を誓う生粋の北日本軍人であった。
捕らわれた命が救われたのも間取の計らいであった。間取は西墻を見定め、取り込むことに決め、西墻を説得した。
忠誠を誓う国家に仇名した張本人に対し当初は反発した西墻だった。叛乱者に下るのなら自決する覚悟もあった。しかし日米同盟軍の侵攻が西墻の運命を変えた。
日米同盟軍が石狩湾に上陸した時、間取は捕らわれの身だった西墻を現場に放した。間取の真意は判別し切れなかったが、祖国に押し寄せる憎き敵を目の前にした西墻は戦場に再び立つ決意を固めた。
そして西墻は夏苗と出会い、彼女に命を救われた―――西墻は、彼女を英雄として崇拝するようになった。
夏苗に従うことを決めた西墻は、自動的に夏苗の存在に付いていた間取の下に下るようになった。
西墻は命の恩人である夏苗を敬っていた。彼女がこの国の救世主になると、信じて疑わなかった。
彼女は決して裏切らない。だから、間取から彼女の監視を言い渡された時も、憤慨こそしたが拒絶はしなかった。何故なら彼女が裏切らないことを証明できるから。西墻は純真に彼女のことを信じ切っていた。
しかし―――結果はこの通りだ。
本当に信じていた。それが裏切られた。西墻の内側に膨張した絶望は果てしなかった。
だから、撃った。
「西墻中尉、貴方はどう思いますか?」
「……何をだ」
「貴方は、私がこれまでやってきた行為が正しかったと思いますか? 何もかもを巻き込み、多くの犠牲を払って、ここまで辿り着いた私の行いを」
「……………」
「私は本当に日本のために行動しただけなのです。確かにこの国は無くなる……いえ、無くなるのではない。新たな日本の礎として貢献されるだけ。この国を元に、また新たな日本という国が生まれる。私はそう信じています」
既にこの南北間の争いは日本人民共和国の無条件降伏によって終結し、日本帝国の吸収によって、南北に分断されていた二つの日本は統一国家としての道を歩み始めるだろう。
統一は南北共通の日本人の悲願だった。
それは間違いなかった。
犠牲無くして半世紀の悲願が成されるとは思っていなかった。何時かは南北の間で決着を着けなければならない日が必ず訪れると考えていた。そして、それは実際に訪れた。
結果、統一の勝利者として輝いたのは祖国ではなかった。それだけのことと言えば、それだけだった。
民族の悲願が達成される瞬間を作ったことは、間違いではないと断言できるだろうか。
目の前の男が行ったことは、正しいことだったのか。
結果的に日本は統一する。
確かに、彼が望んだ日本の新生は叶うだろう。
しかし―――それはあくまで、この男の願いである。
西墻は問う。自分はこの結果を願ったか―――?
否。
国家の統一は民族の悲願。
しかし、その過程をこのような形として望んだことはなかった。
何故なら見てみろ。祖国は――――やはり、消えているではないか。
この男に、殺されたのだ。
統一を成し遂げられても、それは祖国による統一ではない。
理想的な社会主義を建設した日本ではない。
西墻は代々に渡って国家と党に忠誠を捧げてきた家の訓示を思い出す。
分断以来、我が家は母なる党と偉大なる国家のために軍人として帝国主義者の横暴から守ってきた誇りがあった。
北海道戦争で命を散らした祖父と親戚たちは、共和国の勇士として崇められた。
何時の日か、我が西墻の者が祖国の尖兵として南を解放する。
祖国による統一。解放。そう、それが家と、自分の願いだった。
その夢を叶う間もなく朽ち果てようとした自分を救った夏苗の存在は正に救世主だった。
しかし彼女はこの国に対して反する意思を持っていた。
だから裏切り、自分が引き金を引く羽目になってしまった。
西墻の周りは、何時しか西墻に反する環境ばかりだった。
今、それに気付いた。西墻は確信する。
「……俺はお前の行為に関して正否を問われる立場では決して無い」
「……西墻中尉?」
間取の顔が怪訝な色を表す。西墻は続ける。
「―――俺は、共和国軍人としての使命を全うする。ただ、それだけだ」
次の瞬間、一発の銃声が再び室内に木霊した。
倒れている夏苗のそばの床に血が滴る。胸に手を当てた間取が、この世のものではないものを見たような恐ろしい顔で西墻を見詰めていた。
「にし……」
「お前は―――祖国の敵だ」
銃口の先が、胸から血を滴らせる間取の頭に向けられた。
「西墻ぃぃ……ッッ!!」
銃声と共に、火傷に覆われた顔を強張らせた間取の額に、一つの穴が開いた。
西墻が放った凶弾に倒れた間取は、二度と動くことはなかった。
硝煙の匂いが室内に充満する。
その中で、西墻は一人立っていた。自分が撃った二人が床に倒れているのを見詰めていた西墻は、廊下の奥から聞こえてきた足音に振り返った。
目の前に現れたのは、二人の南日本軍の兵士だった。
西墻は二人に向かって銃口を向けたが、指が引き金に触れる前に、西墻は雨のように降り注いだ銃弾を身体中に浴びて絶命した。
意識が遠のく。
誰かに呼ばれた気がして視線を向ける。ぼやけた視界が徐々に輪郭を表し、一瞬だけはっきりと視覚が
機能する。
「おじさん……」
視界に現れたのはここに居るはずがない佐山の顔。その顔は普段の佐山には見られない珍しい表情だった。
必死に自分に向かって何かを言っているようだが、その声は全く聞こえない。耳鳴りのような音が聞こえるが、それが佐山の声なのかどうかも判別できない。
そして視界は再び世界の全てを曖昧なものとして、意識は闇の底へどっぷりと浸かっていく―――
今度は、何もない黒い世界に、弟が目の前に立っていた。
「コウ……」
冷たい海で離れ離れになってしまった、最愛の弟。
その冷たい瞳は、相変わらずだ。
いいや、彼の瞳は決して冷たくない。鋭いけど、毅然として、真っ直ぐな意志がこもった瞳。
夏苗自身の蒼い瞳と、浩の瞳。その視線が交叉する。
しかし、幾ら呼びかけても弟は返事も無く、ただ見詰めているだけだった。
「コウ!」
手を伸ばす。
しかし、荒い波が二人を引き離すように押し寄せた。
まただ。
また―――離れてしまう。
「コウ!!」
夏苗は何度も弟の名を叫ぶ。しかし押し寄せる波はあの時のように、再び姉弟を引き離していく。
冷たい海の波によって引き離される弟は、いつまでも姉である夏苗を見ていた。
「――――ッ!」
波が包みこむ。
押し寄せた波に呑みこまれた夏苗は、もがくように闇の中に溺れていった。
そして―――
再会した弟が、成長した浩の姿が、波に呑まれた夏苗の目の前に現れる。
まるで水の中にいるように、開いた口からは、言葉は一切出てこない。
しかし、夏苗は目の前の浩に向かって何度も呼びかけた。
浩は返事を返さない。
だけど―――その顔が、笑った。
「(コウ……ッ)」
まるで海の中にいるような感覚の中で身を泳がせながら、夏苗は浩の言葉を確かに聞いた。
―――さよなら、夏苗姉さん。ありがとう―――
被さった闇が、浩を、夏苗を、覆い尽くした。