表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
南北の海峡 -The Split Fate-   作者: 伊東椋
第六部 運命の収束点
59/63

57 最終局面


 旭川臨時政府現首相を務める間取元国防大臣は、顔の半分を覆った火傷から突出した目玉を動かし、樺太南部と千島列島を含む北海道の地図を見詰めていた。

 北海道の首都札幌を始めとした道央、道東、道南の各所の都市は×印が付けられ、南日本と米国の国旗と敵の侵攻ルートを示す矢印が旭川に集中している。

 樺太南部と千島列島もロシアの国旗で埋められ、共和国全土は殆ど無茶苦茶な状態だった。

 防衛線構築の要となった市内の全兵力を統率する東旭川基地にも敵が雪崩れ込み、第803部隊を加えた兵力で何とか持ちこたえているものの陥落は時間の問題だった。

 基地が陥落すれば、基地からこちらへ通ずる地下通路の存在を突き止めた敵が、この地下施設の存在を知ることになるのもそう遠くないだろう。

 地上からは何度も砲弾などが炸裂した音が響き渡っている。

 想像以上に、敵の猛攻は奥深くまで迫っている。

 「この国も、いよいよ終わりね」

 北海道全図を描いた国家地図を見詰めていた間取の背後に立った八雲夏苗が言った。

 脱北を提案した亡き父を思い出す。

 この国は腐っている、と嘆いた父。この国ではお前たちを幸せにすることができない。父は子供たちの将来を憂い、命がけでこの国からの脱北を決断した。そして結果、父と母は死んだ。弟は北日本に戻り、再会した自分の目の前で死んだ。自分だけが生き残った。そしてまたこの国にいる。

 結局、自分はこの国が滅びる時まで居ることになってしまった。この国に最後まで居ることが自分の運命だったのだろう。

 

 ―――お父さん、見てる? この国は、もうすぐ終わるよ……


 生まれ育った国は滅び、また新たな日本として生まれ変わるだろう。

 

 ―――私だけ、か……

 

 家族が逃れようとした国が、家族を殺した国が滅びることを間違いなく願っていたはずなのに。

 自分はまたこの国に来て、この国の軍人になって、何度も裏切って……

 最低だ。

 護りたかった。それだけの想いで、ここまで来たのだ。弟を失った自分が、これ以上失うことは耐えられなかった。

 彼女だけは護りたい……そう言っているけど。

 これ以上自分の心が傷つくのが耐えられなかったから。結局、自分のためなんだ。

 なんて傲慢。なんて醜悪。これが本当の自分なんだ。

 この軍服を着て、無我夢中に多くの人を助けたけど、それもただの自己満足に過ぎないのだ。


 自分は最低な人間であると再認識して、八雲夏苗はそこに立っている。

 もうすぐ滅びる大嫌いな祖国と共に―――という結末も許容しながら。


 「難しい人ですよね、あなた」

 ひんやりとした言葉が首筋に触れて、夏苗は目を見開く。

 視線の先には、ぎょろりと光った間取の不敵な表情があった。

 「さすがに情が移りますか? 自分が生まれ育った国が滅んでいく様を見るのは」

 約半分の皮膚がただれた間取の顔は恐ろしい程に変わり果てていた。クーデター軍の首脳として真駒内基地にいた間取は、米軍の札幌空襲によって顔に大火傷を負う結果となった。クーデター軍の暗殺によって失っていた政府を自ら打ち立て、臨時政府として国家の統率と方針を取り纏めた間取は日米両国との戦いに対応した。

 旭川に臨時政府を構え、軍民一体の反撃を企図したことも、間取の考えだった。

 「弟さんやご家族と過ごした故郷が蹂躙される様を」

 「…………」

 夏苗の鋭い視線が間取を射抜いた。それの何処が可笑しいのか、くっくと嗤い出す間取。

 「失礼。 気分を害されましたかな?」

 「……こうなることは簡単に予期できたこと。 今更この国に対して思う所などないわ」

 夏苗は煮える噴気を抑え、冷静に努める。

 弟の浩を目の前で失い、これ以上死なせないと誓った夏苗は、英雄として北日本軍に身を投じた。

 家族を殺され、弟の人生も変えたその国の英雄になることは夏苗にとっても皮肉な運命だった。

 目の前の男は、守ると決めた大切な人を、人質に取っている。

 あの札幌空襲から、間取は顔の火傷と共に変わり果ててしまった。自国民を苦しめ独裁の道をひた走る祖国を憂い決起した間取の心は爆弾によって粉々に消し飛んだ。クーデターの計画に利用しようとした伏見宮陽和を連れ、旭川に逃げ込んだ間取はまた新たな思惑を抱えている。

 そしてその思惑に、またしても彼女が利用されようとしていた。

 「しかしあの勧告を聞いて、よく貴女もほいほいと向こうに戻らなかったですね」

 降伏勧告。

 市内の大部分を制圧した敵は降伏勧告を発し、強制徴募によって武装された市民は殆ど喜んで投降した。

 一般市民はこれまで政治総省の監視社会を受け狭苦しい生活を強いられ、一言でも政府や党に反する意思が認められれば収容所行きの世界だった。ある農村部では土地や財産は政府に没収され、米ですら納税の対象として収穫の九割は徴収され、冬の豪雪等と重なり飢餓が激しい地域もあった。当時の政府は隠蔽を続けていたが、国民の間では密やかに事実として確実に伝わっていった。故に農村部での北日本国民は反政府思想が根強く、第二次北海道戦争が起こるとやって来た日米同盟軍を正義の解放者として歓迎する所もあった。更にクーデター騒動によって政治総省が消滅しても臨時政府による強制徴募によって家族をバラバラにされた市民が多く、武装を強要する臨時政府に反する意識を持っていた市民が多勢だったのでこれも反政府主義を買っていた。

 そして市民だけでなく、敵の圧倒的な戦力を目の辺りにした多勢の兵士たちも、将官兵卒問わず白旗を掲げ、日の丸と星条旗の下に下った。

 「馬鹿にしないで」

 毅然とした意識を込めた視線で、間取を見詰める夏苗。

 「殿下を残して私だけ逃げることは絶対にあり得ない。 殿下おわす限り、私は此処に……」

 「成程、心はいつまでも彼女の近衛兵というわけですか……」

 ふふ、と口元に笑みを浮かべる間取。

 「ところで貴女は先程この国はいよいよ終わりだと仰いましたが、その言葉を口にするのは少し早過ぎるかと思います。 いえね、現在のこの国が終焉に向かっていることは間違っていませんがね」

 北と東はロシアに奪われ、西からは日米同盟軍に攻め入れられるという四面楚歌の状況下で北日本の行く末は既に決まっている。臨時政府も降伏を声明しない限り死は免れない。

 次期党首後継者や側近の党幹部などは旭川の決戦前に亡命し、他の軍幹部や党幹部なども旭川市から脱出し北海道の最果てまで逃げ続けている。

 この国の運命は、臨時政府……いや、間取に握られているようなものだった。

 「もうすぐ終わります。 その前に、やらなければいけないことがある」

 間取がそばにあったボタンを押した。その瞬間、部屋中の全ての機器が唸りを上げて稼働した。恍惚と光が満ち、地下の空気が充満して薄暗かった室内は一気に換気され、施設全体が本来の目的を思い出したかのように動き始めていた。

 夏苗は間取の方を見た。光に照らされた間取の醜い火傷が浮かび上がり、その口元は笑っていた―――


 



 ヘリのローター音が遠くから近付き、耳に大きく響いた。次の瞬間、ばりばりと奏でる射撃音と硝子が割れる音が連続して響き渡り、基地の施設に直接攻撃されたことを察した。

 基地前の陣地が全て突破され、敵がいよいよ基地内に雪崩れ込んでくるのだろう。

 その音で息遣いは微かに乱れても、目の前の敵に隙を晒す程に緩んではいなかった。

 基地司令の部屋から出た佐倉は銃声が聞こえた方角に向かうと、第803部隊の殺し屋と名高い少女、璃乍が敵に倒された光景を目撃した。

 佐倉は咄嗟に動いていた。気が付けば、指が引き金を引いていた。

 「手を上げろ」

 撃った敵―――よく見ると、女だった―――に被せられていた男が佐倉の方を見た。女の方は息をしており、撃った箇所も肩なので命に別条はないだろう。佐倉が銃を構え、じりじりと近付くと、男は倒れた女を傍にそっと横たえると、手を上げてゆっくりと立ち上がった。

 若い男だった。撃った女もそれなりに若そうだ。もしかしたら自分と歳が近いのかもしれない。

 静寂の間に割り込むように、頭上からヘリのローター音が聞こえる。施設のすぐそばを旋回飛行していることが容易に想像できた。

 ここで敵を仕留めようが何をした所で、後で圧倒的物量で基地に雪崩れ込む敵を目の前にする運命は変わらないだろう。

 どうせ、自分は遅かれ早かれ死ぬ。

 今の個人的な状況で言えば敵側が劣勢だが、客観的に観測すればこちら側が明らかに劣勢。むしろ絶対絶命だ。

 目の前の敵はおそらく地上部隊の先兵として潜り込んできた特殊部隊か何かだろう。まともにやり合えば敵わなかった―――実際、あの部隊最強の殺し屋と呼ばれた璃乍が倒れている。その敵を前にして、自分が生き残れるのはこの時だけだろう。

 佐倉はチラリと璃乍の方に視線を向ける。死んではいないようだった。

 「彼女のことなら心配ない。 命に別条がないことは保証するよ」

 「!」

 佐倉の意志を汲み取ったように、手を上げた佐山が口を開く。

 銃を構えた身体が強張った。

 「最初で最後の質問になるかもしれないけど、良いかい?」

 「……なんだ」

 まるで恐れていないかのような、平然とした声色で佐山は言った。佐倉は警戒心を抱きながらも、許可を与えた。

 「君は、どうして銃を持って戦うんだい?」

 「……さっきの降伏勧告の再現か?」

 嘲笑うように、佐倉はふっと口元から笑いを零す。

 銃を持ち、戦う。

 それは母なる党のため?

 偉大なる祖国のため?

 いいえ、愛する者や家族のためです。

 私達はそれを理解しています。

 「―――とでも、また言いたいのか?」

 「いやいや、そういうことではないですよ。 しかしまぁ、そこの辺りは人それぞれでしょう」

 そばには撃たれた仲間がいて、自分自身にも銃を向けられているのに、緊張感の欠片もない口調で言う佐山の姿に、佐倉は呆れを抱き、その次には好意すら感じるようになっている自分がいることに気付いた。

 この感覚はどこかで感じた。誰かに似ている。

 ああ、そうだ―――

 まるで同僚の松島と話しているような感覚だ。

 「ふ……」

 鼻で笑う。懐かしく感じる感情だった。

 持っていた銃の感触を改めて感じ取る。固い感触。これもまた久しぶりの感覚であることに今更ながら気付いた。

 理由。

 懐にある、預かったモノ。

 そして思い浮かぶ、その人。

 「今の俺が戦う理由は、英雄様に恋をしたからかもしれない」

 共に戦うと決めた。その人の言葉を信じ、預かった物を手に戦い続ける。

 「でも、本当の理由は多分―――」

 思い浮かぶ彼女の姿、松島、第803部隊の面々―――

 佐倉ははっきりと告げた。

 「戦友たちのために、俺は英雄様のために戦っている!」

 直後。

 降りかかったヘリのローター音がその場の音を掻き消し、続いて周囲の壁や天井が爆発と震動の連続に包まれた。

 



 突然起こった爆発と震動の連続で、佐山は咄嗟に身を庇っていた。爆発音で耳がキーンと鳴っており、聴力が一時的に急激な低下を表していた。

 視界も濃い土煙などに覆われ、目の前で銃口を向けていた男の姿は見えなかった。

 冷たい風が吹きこんできた大穴から、遠ざかっていくヘリのローター音が聞こえた。基地に到達したヘリ部隊が攻撃を開始したのだろう。 

 「勘弁してくれよ、味方が居るっていうのに……」

 「……ッ」

 今の攻撃のせいか、不機嫌そうな呟きを漏らした佐山の声に呼び戻されたのか、揚羽が意識を取り戻した。

 「佐山……」

 「揚羽ちゃん、大丈夫かい?」

 「その呼び方はやめろと……ぐッ」

 咎める言葉を中断し、撃たれた右肩を手で抑えて竦む揚羽。

 「無理はしない方が良い。撃たれてるんだから」

 「そんなこと、知っているわ……」

 苦痛を堪える表情で、揚羽は立ち上がった。破壊された周囲を見渡していた揚羽は、佐山の申し訳なさそうな表情に気付く。

 「なによ」

 「……すまない、僕のせいで」

 佐山は自分を庇って撃たれた揚羽に謝罪した。しかし揚羽は細めた目で佐山に視線を返した。

 「別に。 敵に気付けなかったのは私も同罪だから、気にしないで。 気付くのが私の方が少しだけ早かっただけの問題よ」

 「いや、でも―――」

 納得が出来ないと言わんばかりの佐山の言葉を、揚羽は人差し指を佐山の口元に寄せて無理矢理留めさせる。佐山はまだ何か言いたそうだったが、揚羽の有無を言わさない視線が佐山の口を閉ざした。

 「敵はどうなったの?」

 「……あそこ」

 視界が晴れ、佐山は敵が立っていた方を指す。揚羽が視線を向けた先には、銃を手放し倒れた佐倉の姿があった。

 「死んでいるの?」

 「さぁ……多分、生きていると思うよ。 今ので、ちょっと吹き飛ばされたみたいだけど」

 目の前に落ちていたAKS-74Uは今の攻撃のせいか、その銃身は完全に大破していた。あれでは使い物にならないだろう。

 そして倒れた佐倉の方はほとんど動いていなかったが、死んでいるようには見えなかった。

 その時、佐山は佐倉の方を眺めていた時に、先程には無かった違和感に気付く。

 「あれ、なんだろう?」

 「あ。ちょ、ちょっと待って……!」

 佐山は引き寄せられるように倒れた佐倉の方へ向かう。破いた布で傷元を縛り付けていた揚羽が慌てて後を追う。

 目覚めない佐倉のそばを通り過ぎて、そこへ至る。二人並んだ佐山と揚羽は息を呑んだ。

 「これ、階段……だね」

 「地下に通じてるわね、明らかに」

 怪しい匂いがぷんぷんと臭う、破壊された壁の向こうにあった階段の存在を目の前にして、佐山と揚羽は顔を見合わせた。

 爆発の衝撃で崩壊した壁の下に現れた階段。階段の果ては薄暗い空間に通じていた。

 潜入する際に拝見した基地の構図の中には無かった道だった。

 階段の先は果てしない未知。

 しかしその先に、もしかしたら二人が捜している彼女たちが居るのかもしれない。

 その時、遠くから聞こえ始めた銃声と怒号。再び迫るヘリのローター音。地上部隊が基地に押し寄せる瞬間だ。

 「……どうする? 多少は危険だけど、二人で先に捜索してみるかい?」

 階段の先は完全なる未知の空間で、潜んでいる敵の情勢も未知数だ。自分たち以外の潜入部隊が全滅した今、二人だけで突入するのは危険以外の何物でもない。

 それとも、地上部隊が訪れるのを待ってから共に突入するか。

 しかし一刻の猶予がないのも事実だ。

 佐山と揚羽の目的は、伏見宮陽和と八雲夏苗の捜索。

 この戦争が終わる前に見つけ出さなければならない。臨時政府が潜む旭川が攻略目前の今、残された時間は少ない。

 伏見宮陽和皇女殿下が北日本の特殊部隊に拉致された時、南日本の帝国政府は国民の反発を恐れ隠蔽を行った。宮内省が公式ホームページで虚偽の情報まで流し、隠蔽工作はますます強固なものとなった。

 開戦以降も隠蔽は続けられ、最初の第一特殊旅団による救出作戦が失敗している以上、これ以上の失敗は許されない。

 何時までも隠し通せるはずがない。最期の瞬間を目の前にした臨時政府が何をするのかもわからない。

 悩んでいる暇は、ほとんど残されていない。

 「―――行くわ。 もたもたしている時間も無いものね」

 揚羽は腰の装備からザウエル&ゾーン社製の特殊拳銃を取り出し、左手に構えた。佐山の前に踏み出し、先に階段へと降りていく。

 「これが、私のここへ来た理由なのだから」

 何かを決したような表情を浮かべた揚羽は、躊躇なく階段を下りていった。佐山も後に続き、二人は闇の先へ足を踏み入れた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ