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南北の海峡 -The Split Fate-   作者: 伊東椋
第六部 運命の収束点
56/63

54 想いの鈴


 突然開かれた扉に佐倉と松島は驚いて振り返ったが、二人の前に現れたのは幸いにも八雲夏苗と側近の西墻であった。

 「八雲大尉……」

 「同志中尉もご一緒で」

 銃口を向けられても尚平然としている夏苗に佐倉、そして銃口を向けてきた二人に睨む西墻に苦笑いの松島。

 「貴様ら、同志大尉に銃を向けるとは……」

 「も、申し訳ありません! 敵かと思い―――」

 松島はハッと口を手で覆うが、西墻の顔は鬼のように真っ赤に染まっていた。

 「良い」

 そんな状況を抑えるように、夏苗の一言が鎮静剤として機能した。夏苗は口元を緩ませると、二人に向かって言った。

 「貴方達の様子を見に来ただけだった……でも、安心した」

 そう言った夏苗の視線は、二人が持つ武器に向けられている。佐倉と松島は夏苗の意を呑んだ。

 「用心なのは良いことだ。 その調子で、頼むぞ」

 「は!」

 二人は同時に応え、夏苗はこくりと頷いた。西墻はやはり不満そうだったが、崇拝する夏苗の言うこともまたやはり逆らえず、口を閉ざしていた。

 そんな西墻を見た佐倉は、ふともう一人の存在に気付いた。

 「興梠上級兵」

 戦闘服に身を纏った小柄な少女。だが部隊一の殺し屋の異名を持つ彼女こそ部隊最強の兵士だった。

 「同志興梠上級兵は貴様らとこの基地を死守する任を帯びている。 俺は同志大尉の道中を同行し、護衛を務めるつもりだ」

 「それはどういうことですか?」

 佐倉と松島は苦い記憶を掘り起こす。撤退。ロシア軍が国境を突破した時、市民を見捨て、豊原司令部から北海道本島へ逃げ延びた日々。あのような自身の無力さを痛感する経験は二度と御免だった。

 「まさか、撤退……」

 「馬鹿なことを言うなッ!」

 西墻の怒号が、二人を叩く。

 「確かに我々はここまで後退を重ねてきた。だが、これ以上の後退は意味を為さない!これまでに多くの人民が犠牲になった以上、我々だけ逃げ続けることは断じてあり得ないのだから!」

 西墻は拳を握り、興奮するような口調で言い立てる。震える西墻の肩をぽんと叩いた夏苗が、もう良いと促した。

 「中尉の言う通り、私は逃げない。 少しここを離れなければいけない用件が出来ただけだ」

 「用件?」

 佐倉は怪訝な表情を浮かべる。夏苗は佐倉の疑問に答えるように口を開いた。

 「そう、私は必ずここに戻ってくる」

 「し、しかし敵が既に目の前まで迫ってきている状況で、どうやって基地ここから離れるおつもりですか?」

 松島が戸惑いがちに夏苗に訊ねる。しかし夏苗は平然と答えてみせた。

 「ここから通じる地下通路がある。 目的地はそれ程離れていないから、そこを通れば無事に辿り着けるはずだ」

 「そんな所が?」

 この基地にあるのか。まだこの基地に着任して間もない二人には初めて知る情報だった。

 佐倉は思い悩んだ。

 こんな状況下で、基地を離れるなんて尋常ではない。本当に逃げるためではないのなら、その用件の中身が如何に特殊なのかがわかる。信じろと言う方がおかしいのだから。

 しかし彼女の瞳は―――まるで嘘を言っていないかのような、真摯な程に美しい蒼い瞳だった。

 この瞳に魅せられた自分だからこそ理解できた。彼女は嘘を言っていない。

 「……わかりました」

 「佐倉……ッ?」

 松島の顔はまだ半信半疑であった。それは当然だろう。松島の心情も佐倉は理解できた。しかし佐倉は夏苗を信じることにしたのだ。

 「……あの、非常におこがましいお願いなのですが、私も同行願えませんでしょうか?」

 「!」

 佐倉の言葉に、周囲が一瞬ざわついた。松島は驚きを隠せない視線を向け、西墻は鬼の形相で佐倉を睨むが、佐倉は夏苗の瞳に視線を向けたまま微動だにしない。

 「……すまないが、少尉には基地に残ってもらう。 気持ちは有難いが、ここで私の帰りを待ってくれたら嬉しい」

 夏苗の答えに、佐倉は束の間の沈黙を表したが、緊張が解かれたように小さな息を吐いた。

 「……わかりました。不躾な発言をお許しください、大尉」

 「いや、構わない」

 頭を下げる佐倉に、首を振る夏苗。

 「ありがとう」

 驚いた佐倉は顔を上げ、夏苗を見た。その表情は、見惚れる程に美しい微笑みであった。

 「少尉。 貴方にこれを渡しておこう」

 「これは?」

 佐倉の手に手渡されたのは、リボンが付いた小さな鈴だった。手のひらに転がると、ちりんと鳴った。

 「私の大切な物だ。 これを貴方に預かる」

 「そ、そんな大事なものを本当に私なんかが御預かりして宜しいのでしょうか……ッ!?」

 「良い。 だから、これを返してもらうためにも私は必ずここに戻ってくる」

 鈴を渡された佐倉の手に、覆いかぶさるように触れた夏苗の手に、佐倉はどきりとなる。

 「すぐ戻ってくる。それまで基地を頼む」

 「……はッ! 了解しました!」

 佐倉の答えに頷いた夏苗は、強く頷いて見せた。

 意外と冷たい手の感触。その感触が離れ、佐倉の内に一瞬の名残り惜しさが過ぎった。

 札幌から共に同行している西墻を従え立ち去る夏苗に敬礼する佐倉と松島。部屋に残ったのは、小柄な一人の少女を含めた三人だけだった。

 「……八雲大尉のためにも、俺たちは大尉が帰ってくるまでこの基地を絶対に守り通すぞ!」

 佐倉は手の内にある小さな鈴を、しっかりと握り締めた。


 



 基地前の敵陣地を突破した日米同盟軍は怒涛の勢いで東旭川基地に迫った。東旭川基地の目前に到達するや、北日本軍の激しい抵抗が起こり、両軍は最後の決戦を始めた。

 最初の陣地では随分と手古摺らせてしまったが、その程度の犠牲は想定内だった。敵が軍民問わず待ち構え、これまでにない苦しい戦いになるだろうということは作戦を始める前から予想できたことだった。

 その頃、彼らは一足早く東旭川基地の基地内に潜入を終えていた。各軍の特殊部隊員から構成された彼らの手に掛かれば、崩れかかっている砦の穴を見つけることは造作もないことだった。たとえ穴が無かったとしても、穴を作ってしまうだけだった。

 数人の敵兵を沈黙させ、基地内に潜入した彼らはまず基地内の電力供給を遮断させた。光を失った基地内の僅かな動揺も敵の隙となる。第一特殊旅団の失敗と開戦によって急遽として新たに構成された特殊部隊は、限られた短い時間の内に行われた訓練の成果を遺憾なく発揮できていた。

 「まったく。海軍さんがよくここまで付いてこれたものですね」

 屈託のない表情で、佐山の横に付いてくる牧瀬が、感心するような声色で言う。

 佐山の手元には帝国海軍の警備隊等にも採用されている89式小銃がある。

 それを問題無く扱い慣れている佐山の腕は、帝国陸軍の元第一空挺団に属していた牧瀬でさえ感服する程であった。

 「伊達に殿下の教育係を任されていたわけではないからね」

 帝国の四大宮家の一つ、伏見宮家の陽和第一皇女の教育係に抜擢された佐山は、当時から陸軍の第一特殊旅団に出向し特殊な訓練を積んだ数少ない海軍軍人だった。士官候補生時代からの艦内生活より陸上で銃を担いでいた時間の方が長い程だ。

 「私語は出来るだけ慎め、二人とも。 次に突入するわよ」

 第一特殊旅団唯一の生き残りにして佐山たちの隊長を務める揚羽は咎める口調で二人に言い放つと、目の前の扉に向かって指し示した。彼らは広い基地内で目的のものを捜すために三つの班に分かれ、各々の区画に突入し制圧を開始していった。

 『三班、D3制圧。 射殺、三。 死傷共に〇』

 『二班、F2制圧。 射殺、五。 死亡、一。 重傷、二』

 一度制圧すれば無線機からは班ごとの戦果報告が為される。制圧は着々と進みつつある。正規部隊が来る頃には全て制圧できていれば万々歳だが、第803部隊がいる以上簡単にはいかないだろう。それに至急で作られた部隊であるために、それ程までの武勲を成し遂げられるかは正直疑問があった。

 元々彼らの目的は単なる基地制圧などではない。人物の捜索である。その人物たちを発見、保護することが主なのだ。

 扉を開くと、そこは広い部屋だった。戸棚が囲み、敷き詰められるようにある数多の本。重要書類があるのかはわからないが、それを探すことは任務に含まれていない。

 「ここは事務室か……?」

 牧瀬は本だらけの部屋を見渡すが、特に変わった所は無さそうだった。部屋に誰もいないことを確認した揚羽は次の部屋に向かおうとしたが、佐山の異変に気付いて足を止めた。

 「どうしたの? 佐山」

 「いや……」

 部屋に踏み込んだ佐山が何かに引き寄せられるように奥にふらふらと進んでいく。まるで犬のように鼻を嗅いでいた。

 「ははっ。懐かしい匂いがするねぇ」

 「何を言っているのよ、お前は……」

 呆れた表情を浮かべる揚羽だったが、佐山の顔は本当に懐かしそうに笑っていた。

 銃を手に鼻をくんくんさせる男というものも異様な光景だった。

 「居る。彼女は、ここに」

 「何……?」

 佐山の言葉に、揚羽は驚く。

 「夏苗ちゃん……」

 彼らが捜し求めている人物の一人。その名前を確信めいたように呟く佐山。彼はこの基地に彼女がいることを確信していた。

 「八雲夏苗に関する手掛かりが見つかったの?」

 「いや、物的なものはまだ見つけていないけど……でも、確かにわかるよ」

 「何故?」

 揚羽の質問に対し、鼻を動かすことで示す佐山。

 「変態か、お前は」

 「大切な女の子の匂いを忘れるはずがないだろう?」

 色々と言いたいことがある発言と行動だったが、今だけは自重することにする揚羽。こいつは昔からこうだったな、と改めて感じさせられていた。

 「本当に彼女がここにいたのなら、何か手掛かりがあるのかもしれないわね。探してみる?」

 「この基地に居るということが確認できただけでも良しと思う。 彼女はきっとこの基地のどこかにいるはずだ」

 「少佐、本当に大尉の言うことを?」

 扉付近で外の見張りをしていた牧瀬が不安げな声色で揚羽に訊ねてきた。揚羽は強く首肯した。

 「彼がそう言うのだから間違いないでしょうね。 よし、他の班に報告して次に行きましょう」

 北日本軍内に居ると言う八雲夏苗の所在は東旭川基地にあるという部分は確信のものがなかった。しかし佐山の言う通りならば、やはり彼女はこの基地内の何処かにいる。そして彼女と共に北日本にその身を連行されたと言う皇女の存在も付いているはずだ。

 揚羽は無線で別の二班に報告を試みるが、応答が無かった。おかしいと思いながらも何度か呼びかけたが、やはり無線機から反応は皆無だった。

 「まさか……」

 最悪の事態を想定する。しかし前の報告を聞いてからそれ程の時間は経っていない。

 まさかこの短時間の内に?

 信じられなかった。しかしどちらとも応答がないことは事実だった。

 「どうしたの? 揚羽ちゃ―――」

 佐山が顔を青くする揚羽を呼び掛けかけたその時、牧瀬がいた方から銃声が鳴り響いた。



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