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南北の海峡 -The Split Fate-   作者: 伊東椋
第六部 運命の収束点
55/63

53 散りゆく雪花

 聞こえてきた銃撃音。更に爆発と思われる轟音が窓を揺らした。

 豊原ではこのような状況になる前に退散したので、敵を目の前にするのは正にこの時が初体験だった。

 石狩湾から北海道本島に上陸した日米同盟軍は首都札幌を占領すると、敗走した人民赤軍・国防軍を追って瞬く間に北海道の半分を制圧した。連日の爆撃で軍事施設の大半は破壊され、都市が空襲と巡航ミサイルの攻撃を受け、大勢の北日本国民が犠牲となった。

 旭川に逃げ込んだ臨時政府は市民の武装化を進め、侵攻する日米同盟軍に対し軍民一体の反撃作戦を企図するも、市内で遂に衝突しゲリラ戦で一時的に日米同盟軍を苦しめたが、圧倒的物量を前に徐々に戦局は悪化の一途を辿った。

 更に党首後継者の亡命等を書いた記事が散布され、市民と軍の士気は急激に下がってしまい、降伏勧告に対し投降する市民や兵士が相次いだ。

 それによって、今や限られた僅かな戦力しか持たない東旭川基地は窮地に立たされていた。

 


 旭川市は朝から大量の雪が降っていたが、この頃は何も落とさない厚い雲が空を覆うだけであった。

 市内は攻撃ヘリや戦車、榴弾砲などの砲撃で破壊された建造物が続き、道端には雪を被った遺体が何体も転がっている惨状だった。

 致命傷を逃れても傷で身動きが取れない者が凍死する程の寒さが旭川を襲っていた。

 昼頃の気温はそれでも零度に届かず、戦場に立つ者は敵と寒さを相手に戦っている状況だった。

 基地の中も暖房が止まり、冷たい空気が張り詰めるようになっていた。電気も点かず、昼なのに室内も薄暗い。

 銃撃が聞こえ始めた15分ほど前に突然基地内の電気が消えた。発電機をやられたのか、補助発電機に切り替えたがそれも数分前に潰された。

 来るな。そう感じたのは佐倉だけではなかった。

 倉庫から武器や弾薬を持ってきた松島から、AKS-74の銃身を短縮させたAKS-74Uを受け取る。その瞬間、ずしりと掛かった重さが現実を思い知らせるように更に重く感じさせた。

 佐倉に渡した松島の表情には、何時ものふざけた様子は一切ない。似合わない引き締めた表情だった。

 「整備がちゃんと通っている物だろうな?」

 「さぁね、あそこの担当は俺じゃないからな。 されてるんじゃないのか?」

 「いい加減にも程があるな」

 銃身を掲げ、眺める佐倉。佐倉の視線が、松島と合った。

 「西と北から板挟みにされて、国内が食糧不足と燃料不足に悩まされようと戦闘準備だけは進めてきたんだから、そこはしっかりしてるはずだぜ?」

 祖国の現実を皮肉るように言う松島の口は、ニヤリと笑っていた。やっぱり、こういう顔の方が似合っている。

 「そうだな」

 久方ぶりに触る銃身の感触を確かめる。問題は無さそうだ。戦闘開始後、詰まりなどさえ無ければ。

 「この暗さは明らかに敵のせいだ。 来るぜ、必ず」

 皆が思っていることを口にする松島。だから佐倉も否定せず、はっきりと肯定する。

 「ああ。 突入されるな」

 基地の前には基地の第一防衛線として陣地が作られているが、いくら陣地の兵の一部に第803部隊の兵士が居ようと破られるのは時間の問題だろう。その前に敵の特殊部隊が裏方から潜入してくることもあり得る。

 どちらにせよ、基地内での戦闘は必至。佐倉たちも覚悟していた。

 「……なぁ、豊原はどうなったんだろうな。 樺太は」

 「千島もな。 露助共に奪われちまってから、確かめる術もない」

 かつてはソビエト連邦の頃は祖国解放戦争において義勇軍を派遣し、冷戦時代は多大な援助をしてくれた盟邦。そんなかつての盟邦だったロシア軍に突如として銃を向けられたのは、余りに現実離れし過ぎていた。南の傀儡軍や米帝に攻められようとも、ロシアだけはそんなことは無いと考えていた。しかし彼らが思う以上に、ロシアは彼らを盟邦などとは思っていなかった。

 むしろ北日本が、日本人民共和国が誕生した時からロシア人は彼らを対等なパートナーとして認めていなかった。ロシア人にとって北日本は日本赤化の最前線であり、日米との緩衝地域であり、こき使うには優秀な猿だった。

 ロシアの裏切りは北日本にとっては大きなショックだったが、事実上彼らにとっての一番の敵は現在進行形で攻め込んでくる日米同盟軍だった。海を挟んだ樺太や千島列島のことより、北日本本土と呼べる北海道本島が敵の猛攻を受けている方が耐え難いものがあった。

 実際、旭川は既に殆どが敵の勢力下に落ち、孤立した東旭川基地は、じわじわと迫る敵に追い詰められんとしていた。

 バンッ―――

 「!」

 突然開かれた扉に、二人は銃身と共に振り返った。



 祖母も義勇軍兵士の頃は狙撃手スナイペルだったと聞く。

 そしてその祖母の孫である私もснайперというのは、祖母の本物の孫であることを証明しているような気さえする。

 スナイペルであるからこそ私は、おばあちゃんの本物の孫だ。

 私は、常におばあちゃんと共に戦っている―――


 

 イリーナは見張り塔の上から、基地に殺到する敵の歩兵を一人一人狙撃していた。

 戦車や装甲車の背後から駆ける歩兵の頭部を一つ一発ずつ撃ち抜き、雪原に沈める。イリーナの存在を突き止めた敵兵がイリーナを狙おうとするが、陣地にいる兵士が上手く援護してくれる。

 しかしこのようなことも続くのは時間の問題だろう。きっと長くは続かない。だから自分が祖母の孫であることを一秒でも長く証明し続けるために最後まで撃ち続ける。

 「小隊長! また一人、人民軍の狙撃兵にやられました!」

 「敵の狙撃兵はあの塔にいるんだぞ!? 場所がわかっているのに、何故まだ仕留めていない!」

 装甲車の背後で前進する南日本軍の将校が苛立ちを覚え怒鳴り散らす。装甲車の兵士が機関銃の銃身を上げ、見張り塔に向かって掃射を始めた。

 イリーナは身を引っ込めるが、周囲が蜂の巣を形成しながら破片を飛び散らせる。幸いにもイリーナ自身には一発も掠っていない。

 掃射が止むと、敵の掃射で出来た穴から銃身を出してまで、狙撃を再開した。装甲車から身を乗り出していた兵士が頭を撃ち抜かれ、車内にずり落ちていった。

 「畜生ッ! 撃て撃て!」

 飛び散ってきた血と黄色い物体を拭った小隊長が、更に音量を上げて怒号を飛ばす。

 パンッ。

 その小隊長は部下たちの目の前で、険しい表情のまま額を撃ち抜かれ生涯を終えた。その小隊長がイリーナにとって最後の相手となった。

 イリーナは一人目立っていた将校を撃ち終えると、自身に向かって砲身を上げている戦車に気付いた。砲口が視界に入った途端、イリーナの指先が引き金に触れたまま止まった。

 「リサ……」

 ぽつりと名前を呟くと同時に、脳裏に浮かぶ大切な友達。


 戦車の砲身が見えるスコープが、視界が一瞬にして真っ白に覆われる―――


 戦車の砲撃が、イリーナがいた見張り塔の上部を吹き飛ばした。



 敵の戦車の砲撃によって吹き飛ばされた見張り塔上部から、ぱらぱらと破片が降り注ぐ。

 身を伏せた乃木の目の前に、破壊された狙撃銃が落ちてきた。

 それは最早原型すら殆ど留めていなかったが、その引き金部分には煤を浴びたような肌色に近い何かが絡まっていた。

 それが指とわかるまで、大した時間を要しなかった。ただの、第二関節がない指が引き金に掴まっている。

 正に木端微塵に吹き飛んだ見張り塔の上部には、当然ながら人一人いなかった。彼女が居たであろう足場すら存在ごと失っている。目の前にあるのは塔ではなく、ただの積み重ねた木材である。

 「華々しい最期だったな、歌姫……」

 哀しむわけでもない淡々とした言葉を紡いだ乃木は、目の前に迫る敵の戦車に視線を向けた。周囲にいた部下の兵士たちの大半は既に死んでいるか血だらけで呻いているだけだった。

 「大、尉……」

 そしてそばに寄り添うように倒れている彼女もまた重傷だった。腹は赤黒い血で溢れ、蕾のようだった唇からは血が零れている。言葉を紡ぐ度に血が溢れ、瞳から生気が失われていく。明らかに致命傷だった。

 「話すことすら苦しいか。 だが、言葉を交わさずともお前の気持ちはわかるぞ」

 「………た、い」

 「ああ、お前の途切れる声も一つ残さず拾うぞ。 だから俺に寄り添え、未由」

 下の名前を呼ばれ、彼女はずるりと這い付くばって乃木のそばに寄り添う。乃木も血だらけの浅間を抱き寄せ、踏み潰されていく陣地を目の前に手榴弾を取り出す。

 「……………」

 最早言葉すら出ず、ただ血だけを吐く彼女を見詰め、乃木は意を決する。堅琴の約束を口にすると、光が無い瞳が乃木の顔を映した。そして微かに笑うと、息絶えた。愛する者が先に逝ったのを確認した乃木は、いつの間にか銃を向け取り囲んでいる南日本軍の兵士たちに向かって顔を上げた。

 「武器を捨て、降伏しろ」

 取り囲む兵士たちの中で最も階級が高いらしい兵士が、銃口を向けたまま乃木に言う。

 手榴弾を手に持っていた乃木に、兵士たちは警戒を解かない。

 「南日本人め」

 嗤い出す乃木に、怪訝な感情を向ける南日本軍の兵士たち。

 目の前の歪んだ嗤いに、戸惑いを隠せない若い兵士もいた。

 「同胞を殺して楽しいか? 俺たちが憎いか? 武器を手に襲ってくる民間人はどうだった。 怖かったか?」

 乃木の問いに、兵士たちは表情を強張らせる。

 その狂気に、吐き気を覚える者もいた。

 「言わずとも俺にはわかるぞ、お前たちの気持ちが。 何せ俺たちは―――同じ日本人なんだからなぁッ!」

 「黙れッ!」

 降伏を呼び掛けた兵士が銃口を乃木に突きつける。乃木は鼻先に銃口を押し付けられても微動だにしない。

 「何が同じ日本人だ! 貴様らはどうしようもない腐ったアカ共だ! 日本人の名に恥じるべき痴れ者だ!」

 「殺すか?俺を。 いいさ殺せ、そして早く俺をこいつと同じ所に行かせろ。 こいつが待ってるんだからな」

 兵士は乃木のそばに寄り添った女の遺体を見下ろした。兵士の顔が真っ赤に染まり、額には血管が浮き出た。

 「お望みならば、殺ってやるよッ!」

 「落ち着いてください曹長!」

 若い兵士に自制の言葉を掛けられる曹長と呼ばれた兵士。興奮した様子を見る限り、いつ引き金を引いてもおかしくない。

 「さっさとその手に持っている手榴弾を放せ! ただしピンは抜くなよ!?」

 別の兵士が苛立ちを孕んだ声色で言葉を投げ付ける。

 「武器を早く捨てろ! 生命は保証するから、降伏するんだ! お前たちはもう終わりだ!」

 乃木はゆっくりと兵士たちの顔色を見渡す。彼らもここに至るまでに数々の修羅場を潜り抜けてきたのが容易にわかる顔付きだった。

 「何故条約があるのだろう? 何故倫理があるのだろう? そんなものさえ無ければ、仲間を殺した敵を遠慮なく殺せるのにな?」

 乃木の言葉に、兵士たちは絶句した。

 兵士たちは、最早自分たちの目の前にいる人間が正気の沙汰とは思えなかった。こいつは狂っている、とその表情が言葉を発することもなく言っている。

 そろそろ良い頃合いか―――乃木は見極め、最後の行動に出た。

 「―――未由、今行くぞ!」

 「―――!!」

 乃木は手に持っていた手榴弾を掲げた。その手がピンを抜く前に、周囲から銃弾の雨が降り注いだ。

 兵士たちは、体中に銃弾を浴びて息絶える男を見下ろした。

 咄嗟に引き金を引いたが、この男が本当に自爆して自分たちごと巻き込んで死のうとしたのかはわからない。

 ただ、男の行動を思い出してみれば、不審な部分もあった。ピンを抜く前に殺したが、この男は、ただ手榴弾を持った腕を掲げただけなのだ。もう片方の手は、ピンを抜こうとしていなかった。その手は、その男の遺体が寄り添う女の遺体に、ずっと添えられていたのだから―――


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