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南北の海峡 -The Split Fate-   作者: 伊東椋
第六部 運命の収束点
53/63

51 集う者たち


 榴弾砲が咆哮する。

 重い砲撃音が轟く度に内臓が揺れているのを感じる。

 旭川市内は順調に日米同盟軍の勢力下となっていた。航空部隊の記事散布と降伏勧告が予想以上に効力を発揮し、大勢の市民と北日本軍兵士が降伏・投降した。日米同盟軍の陣地にはあっという間に前線から送られてきた捕虜で溢れ返った。

 トラックの荷台に乗った捕虜たちの顔は、どれも疲弊し切った部分が見られた。ほとんどの者は毛布を被り、寒さに打ち震えている。兵士に混じって、市民の姿も多勢だった。

 横を通り過ぎるトラックの荷台に、溢れんばかりに乗った老若男女の中に母親らしき女性と男の子が寄り添う姿を見た。父親は―――居なさそうだ。一瞬の間に、彼女は観察を終えた。だが、それに興味があるわけでもなく、哀れむ気でもなかった。

 この国に来て、見慣れてしまった。帝国では考えられないことだが―――もう一つの日本は、正反対に非道の限りであった。

 その非道に慣れてしまう自分もまた非道なのかもしれない。彼女は北日本軍の捕虜として過ごした日々の断片を思い出しつつ、苦味を覚える口元を噛みしめた。

 


 「先ず、君と生きて出会えたことに感謝を述べるべきかな。少佐」

 前線行きのトラックに乗り込んだ巽揚羽帝国陸軍少佐を迎え入れたのは牧瀬という男だった。揚羽と同じく第一空挺団に所属していた経歴を持った彼は今回の作戦の主要人員だった。そんな男と同席したと言うべき揚羽もまた牧瀬と同じだった。

 南日本の特殊部隊・第一特殊旅団の一小隊長だった揚羽はある特殊任務のために開戦前の北日本へ上陸。しかし事前に情報を掴んでいた北日本の特殊部隊の待ち伏せを受け、失敗。捕らわれの身となった。

 「……………」

 沈黙を守る揚羽をそばに、牧瀬はやれやれと肩をすくめた。

 「少佐、一応言っておくが。 俺は他の連中と違って、噂話を気にするような安い男ではありませんよ」

 牧瀬は知っていた。帝国軍人の中で誰よりも早く北日本の領土に上陸し、そして捕虜になった揚羽に対する周囲の反応を。

 揚羽は苫小牧郊外にある収容所で身柄を南日本軍に保護された。苫小牧周辺は激戦だったことで知られるが、双方に多大な犠牲を出しながら、日米同盟軍は収容所の存在を付き止めて自軍の捕虜の救出を行った。

 救出された揚羽の身には特に目立った外傷も無く、短期間の医療検診を経て健康状態も良好と判断された。一度帰国の案が上層部から提案されたが、揚羽自身が帰国を蹴って軍への復帰を希望した。以降、揚羽は前線部隊への参加に邁進した。

 しかし揚羽の周囲は好ましいと言える環境とは到底いかなかった。南日本最強と言われた第一特殊旅団の敗北。潜入した31人の内、23人も犠牲になった。

 小隊長としては生き残ったのは揚羽一人だった。同じ捕虜となった他の7人は、その大半が身体的又は精神的に障害を負い、前線への復帰は叶えられなかった。

 あの女と一緒にいたら俺たちも同じ目に遭う―――何時しか、そんな声が揚羽の周囲に囁かれるようになった。

 「そんな馬鹿言う奴はどうせ勝手に死ぬさ」

 口角を吊り上げて言う牧瀬の顔を、揚羽は視線を向ける。じっと見詰める揚羽の視線に、牧瀬は怪訝な表情を作る。

 「……何だよ、俺の顔に何か付いてるか?」

 「髭が」

 「これは当たり前だろうが」

 綺麗な顔立ちをしているが、意外と毛深い。細か過ぎて目立たないだけか、と揚羽は勝手に納得した。

 「あんた、いくつ? 私、28なんだけど」

 「まさか女の方から年齢バレが来るとは…… 32だよ」

 「ごめん、本当は34」

 「サバ読んでたのかよ! しかもバラすの早過ぎるだろ!」

 階級も関係なく思わずツッコミを入れる牧瀬だったが、当の揚羽は何も気にしていない様子だった。

 「ていうか、あまり気にしていないような顔だな」

 「何を?」

 「いや……」

 牧瀬が口元を寂しそうに動かす仕草を見て、揚羽は彼が何を言わんとしているのか察した。

 「周囲の私に対する話は気にしていないわよ。 実際、間違いではないし」

 揚羽がぽつぽつと語り始める。牧瀬は揚羽の方に視線を向けた。

 「部下の皆が死んだのは私の責任であることはわかっている。でも私はまだ死ねないの。北日本ここに来た理由……その任務を、まだ達成できていないから」

 揚羽の脳裏には何時でも部下たちの最期の顔を思い出せる。

 揚陸艦から出発する時、別れ際に言葉を交わした艦長の顔も、忘れられない。

 発つ自分に、艦長は言った。その言葉を一瞬たりとも忘れたことはない。彼らの想いを託された以上、そして帝国に仕える軍人として、絶対にやり遂げなければ帰ることはできない。

 「それにねぇ、こういうの、女は生き残るもんなのよ」

 白い歯を見せる口元から吐き出される白い息と共に、牧瀬は揚羽の笑みを浮かべた表情を見た。

 雪が手の甲に触れる。見上げると、雪が降っていた。市内の中心地に近付くにつれて降雪が濃くなっていく。旭川市内の道路を駆け抜ける一台の大型トラックが、東旭川基地に向かっていた。



 旭川市の東南東に位置する東旭川基地は人民赤軍の基地であったが、札幌方面から後退した赤軍と国防軍の主力が防衛線を構築すると同時に、赤国軍の共同運用となった。旭川防衛の司令部として機能する北日本赤国軍の砦でもある。

 一つの基地を砦と呼ばせる所以は、かの特殊部隊が番犬として留まっていることから言われている。散々苦しめた第803部隊を打倒しないことには、旭川防衛軍司令部・東旭川基地を制圧できない。

 札幌のように航空爆撃で基地を徹底的に叩くことはできなかった。同基地に所在していると思われる八雲夏苗の身柄の保護。そして何より彼女と共に北日本内に連行された伏見宮陽和内親王殿下の捜索。これらの懸案事項を掲げた南日本軍の事情があって、米軍も札幌空襲のような独壇場は自制されている。

 旭川市内のほとんどを占領した折、臨時政府が潜伏していたと言われる全焼した旧旭川偕行社を捜索した結果、遺体を始めとした痕跡が一つも見つからなかったため、行方がわからない臨時政府の情報を収集することも兼ねていた。

 それが揚羽たち突入部隊の目的だった。

 榴弾砲の砲弾が基地に降り注ぐ光景を眺めていた揚羽のもとに、声を掛ける人物が現れた。

 「やあ、揚羽ちゃん」

 懐かしい声に振り向いてみれば、目の前には人懐っこい笑みを浮かべた男が手を上げていた。彼を網膜に認識した瞬間、揚羽はぽかんと口を開けた。

 「さ、佐山……!? お前、何故ここに……ッ!」

 「いやあ、奇遇だねぇ」

 帝国海軍式の防寒具に身を包んだ男は、かつての同僚だった佐山寿樹大尉であった。思わぬ再会に、揚羽は呆然とするしかない。

 「相変わらず若い顔立ちしてて羨ましいよ。羽山さんは元気かい?」

 「先ずは私の質問に答えなさい、佐山! そして揚羽ちゃんと呼ぶな!」

 「僕も参加するんだよ、突入に」

 「は!? お前何を言って……」

 「少佐、この方は?」

 いつの間にかそばにいた牧瀬の言葉によってハッと正気に戻る揚羽。ごほんと咳払いをすると、努めて冷静な口調で言った。

 「帝国海軍の佐山大尉よ。私が第一特殊旅団にいた頃の同僚。まぁ一年弱の付き合いだったけど」

 「本当に久しぶりだねぇ。元気してたかい、揚羽ちゃん」

 「だからその呼び方やめろ……」

 唇を噛む揚羽の頬はじわじわと朱色に染まっていった。初めて見る揚羽の表情に、牧瀬は心の内で感嘆の吐息を漏らした。

 「それより佐山、あんた怪我は大丈夫なの? その……」

 南日本から発つ前に、羽山から聞かされた話。伏見宮の皇女拉致の件を知る者は軍部でも少数に限られているが、彼女の救出を任務としたために揚羽の耳にも羽山の口から直接聞かされていた。その話の中には当然、佐山の負傷も含まれていた。

 「ああ、これくらいどうってことないさ。 ベッドで延々と事情聴取されて己の無能さを痛感するよりは、ここに来て戦う方がよっぽどマシさ」

 「佐山……」

 昔と変わらないはずの笑みを浮かべる佐山が、包帯を取った右腕をぐるぐると回す姿を見て、揚羽は何て声を掛けてやれば良いかわからなくなる。

 暗い陰を落とした揚羽だったが、その頭に大きな手のひらが触れた。

 「心配してくれるの? ありがとねぇ、揚羽ちゃん」

 「―――ば、馬鹿ッ! 誰がお前なんか……ッ」

 「うんうん、わかってるよ僕は」

 「あ、頭を撫でるなッ!」

 顔を真っ赤にして怒鳴る揚羽と、少年のように笑う佐山という光景は、この戦場と言う名の場では全く似つかわしいものではなかった。

 しかしこういうのも悪くない、と思うと同時に牧瀬は微かな羨望を抱くのであった。

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