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南北の海峡 -The Split Fate-   作者: 伊東椋
第五部 戦火の中で
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49 少女の想い

 

 空は雪を降らすことを中々止めてくれなかった。旭川市内の天候は、一時的に強風を伴う程にまで達したものの、そのまま吹雪とまではいかずに粉雪のような雪を降らせた。もっと天候が悪化してくれれば敵の侵攻も予定を遅らせてくれたかもしれないのに。少なくとも空挺部隊が出てくることは無かっただろう。

 降り注ぐ雪を見詰め、寒さを感じる。祖母が生まれたロシアも寒いと小さい頃に聞いたが、一度もロシアに渡ったことがなかった。自分自身の身体にもロシア人の血が流れているイリーナはロシア系北日本人として二十年生きた。祖母の代からの移住道民という身分で差別を受ける経験もした。両親がスパイと疑われて当局に逮捕され、自らも獄中で過ごした過去。獄中から軍への転身。狙撃手として秀でた才能を見受けられ、死地と隣り合わせの日々の始まりを知らせた特殊部隊への配属。

 自分がここまで生き延びられたのは運である。両親と違い、自分は生き残った。家族を破滅させた祖国の為に身を捧げる姿が、イリーナの現在いまだった。

 そんな現在の自分の姿を、イリーナは後悔しているわけではなかった。獄中に入った時点で、この国で無事に生き延びていくには、今までの方法しか無かったことを信じている。両親のように獄中で生涯を終える事と比べれば幸せな方だ。

 だけど―――彼女だけは、助けたいと思った。

 同じ部隊に所属する、一人の少女。部隊最強の殺し屋と呼ばれているが、その仮面の裏は華奢な少女そのもの。母親の写真が入ったペンダントを肌身離さず身に付けている。それが興梠璃乍という女の子だった。

 「だから私は、リサがほっとけないんだ」

 東旭川基地施設内の裏地で、イリーナは捜し求めていた璃乍を見つけると、声を掛けた。そして相変わらず口数が少ない璃乍に、イリーナは一方的に自分の気持ちを伝えた。

 璃乍はイリーナの話を最後まで聞いていた。話が終わった後も、璃乍の表情は変わらなかった。

 「あの時……私、この手で人を殺したの。この国の首相だった人を。何故だと思う?」

 「…………」

 イリーナはすぐに次の言葉を紡いだ。

 「こんな国、滅んじゃえって思ったから。あの時は皆、同じ意志だったんだと思うけど、私は明確にこの国を潰したいと考えていた。別に有りもしない罪で牢屋に入れられて、両親を殺されたからじゃないよ。私たちのような子が、二度と辛い思いをしないで済む未来が欲しかったからだよ」

 イリーナは悲しそうな顔もせず、ただ微笑を浮かべている。

 「だって、私たちのような子がこんな軍の部隊に居るなんておかしいでしょ?私たちのような子が兵士だって。しかも国でとても強いと言われた部隊にだよ?こんな子供が居ちゃうんだよ?もう、狂ってるとしか思えないよね」

 イリーナは言葉を次々と並べると、ぷっと吹き出した。

 無表情を貫く璃乍に対し、捲し立てるように話すイリーナは嗤っていた。

 「こんなこと、政治総省があった時は言えなかったよ。盗聴の心配も無いからね。東堂中尉がいたら政治的指導だよ」

 「……イリーナ」

 「ねえ、リサ」

 イリーナの蒼い双眸が、璃乍の黒い瞳を見据えた。

 「私は、この国のために死ぬべきじゃないと思う。私はこんな国のために死ぬつもりはない。璃乍が死ぬのはもっと嫌。璃乍のためなら、この命を捨てても良い」

 璃乍の口元が微かに揺らいだ。

 しかし言葉は無い。

 「あれで全てが変わると思っていた。クーデターは成功して、この国は変わると。でも、駄目だった。政治総省は潰れて無くなったけど、まだ党は生きているし、政府は民間人に武器を持たせて無理矢理戦わせている。こんなの……絶対に許せない」

 今起こっていることは、イリーナの理想とは限りなく真逆であった。この戦闘で、今この瞬間も、大勢の人々が犠牲になっている。

 「私は璃乍を死なせたくない」

 イリーナの強い意志が籠った言葉が吐き出される。

 しかし璃乍は、表情を微かに陰を射して、口を開いた。

 「―――――」

 ぽつりと漏れた璃乍の言葉に、イリーナは戦慄を覚えた。

 「え……?」

 イリーナの白い顔が、さっと青白くなっていく。聞こえた璃乍の言葉を頭の中で反芻させ、その意味を何度も理解する。そして理解する度に否定し、それを繰り返す。

 「まだイリーナの夢は叶えられるよ」

 璃乍は―――くすりと、笑っていた。

 こんな笑顔を見たのは、初めてだった。

 「何を、言って……」

 イリーナの両脚は震えていた。目の前にいる璃乍の笑顔が、恐ろしかった。

 イリーナは知ってしまった。璃乍の覚悟を。

 璃乍が何を成そうとしているのかを。それはイリーナと同じ理想であったが、方法は全くの逆だった。

 大好きな友人も同じ理想を共有していたことに喜びを表明したいが、そのやり方は到底容認出来るものでは無かった。

 止めなければ。でないと―――璃乍が、死んでしまう。

 「そんなの、違う! 璃乍が死ぬことで、未来の私たちが救われるなんて! 璃乍が死んでも死ななくても、この国は滅びる……!」

 「イリーナ。上尉の口癖、覚えてる?」

 イリーナの脳裏に、久方ぶりにかつての指揮官だった男の顔が浮かんだ。八雲浩上尉が。

 「死ね。総員、死ね」

 璃乍の小さな口から、その言葉が優しく紡がれる。

 「あの言葉の意味を、璃乍はそう解釈していたってこと? 本当にそうだと思う? 同志上尉のあの言葉は、同志上尉にしか―――」

 「イリーナ。私は第803部隊の兵士だ」

 「……ッ!?」

 「同志上尉の第803部隊の」

 璃乍は軍服の胸元に縫い付けられた第803部隊の部隊章にそっと手を触れる。刀を足に掴み、羽を広げたエゾフクロウの形を印した部隊章を。

 「私も、未来に私のような子が生まれてきてほしくない。学校に行きたい。勉強したい。友達と遊びたい。家族と暮らしたい。結婚したい。子供を産みたい。そんな願いが未来の私に叶うために、私は死ぬ」

 璃乍は微笑む。

 「私は私なりの『総員死ね』という命令に応えたい」

 璃乍の意志は固かった。イリーナは愕然とするしかなかった。

 イリーナは璃乍の考えを覆す方法を見つけられなかった。

 「ありがとう、イリーナ。大好きよ」

 そう言い残すと、璃乍はイリーナの前から立ち去った。残されたイリーナは膝を雪に付け、涙を零した。

 「馬鹿ドゥラク…… 」




 

 興梠璃乍は部隊最強の殺し屋だ。これまでに多くの人間を、その手で殺めてきた。

 民主活動家だった母の逮捕から変わった人生。父も失い、天涯孤独の身で軍を過ごした璃乍は第803部隊においても数々の武勲を掲げた。

 悪夢を見ない日は無い。殺してきた人々が、両親が自分を責め立てる。しかし璃乍は当然だと思っていた。

 裁かれるべき身であることは重々承知である。人殺し。大量殺人犯。そう言われても否定しない。するはずがない。この手は血と汚物で酷く穢れている。

 「私ももうすぐ往く。待っていて、みんな……」

 璃乍の手には、チェコスロバキアのスコーピオン。伏見宮陽和拉致の任務でも使用した愛銃。あの時も何人か殺した。

 「お母さん……」

 首元から下げたペンダントに埋められた母の写真を、じっと見詰める。

 そして口元を強く引き締めた璃乍は、ペンダントを襟の中に戻した。

 「私もこの国と一緒に死ななくちゃいけないんだ。 私で最後にするんだ」

 私やイリーナが友達として、一緒に学校に行くそんな未来。その理想を作り出すために。

 璃乍はとっくの昔から、生まれ育った国と共に心中することを決めていた。

 第803部隊。北日本最強の特殊部隊は、既に動き始めていた。その数は五名前後。元々は十名以上いたのだが、今までの戦闘で減ってしまった。もう全盛期のような作戦行動を取るのは難しくなっている。それでも北日本最強の名は伊達ではなかった。

 南日本軍機の降伏勧告は、北日本軍側が予想した以上に大きな効果を齎していた。大勢の市民や兵士が投降し、遂に最後の砦だった旭川は攻略されようとしていた。


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