47 策略
開戦以来、旭川はこれまでにない程の激戦場となっていた。
圧倒的な物量と近代兵器を手に攻勢を掛ける日米同盟軍に対し、北日本は自国民すら戦場に送り徹底抗戦を貫かんとしていた。
元よりこの国の国民は守るに値しない存在なのだ。軍人市民問わず、人民は皆祖国の爆弾。そして人民の犠牲の上に成り立たなければならないのが母なる党と、偉大なる党首なのだ。
市街地の各所は戦場と化し、双方共に苦しい戦いとなっていた。
物量と近代兵器で圧倒していく日米同盟軍の兵士たちだったが、北日本軍の兵士と市民が彼らの前に立ち塞がった。
人民軍兵士と武器を持った市民がゲリラ戦を仕掛け、日米同盟軍の兵士を悉く苦しめた。戦略的に見れば日米同盟軍の優勢に変わりはなかったが、日米同盟軍の兵士が市民を相手に銃を向け合う戦いは大局とは無関係に彼らを追い詰めんとしていた。
「はぁ……はぁ……なんだってんだよ、ちくしょう……ッ」
ある南日本軍の兵士が敵の死体を前に荒い呼吸を繰り返していた。たった今、撃ち殺した敵。しかしその身なりは民間人そのもの。赤い血に濡れた若い男と女が寄り添うように倒れていた。
物音がして銃を向けてみれば女がいて。そして庇うように現れた男の手にも銃があって―――見逃せるわけがなく、引き金を引くしかなかった。女も殺すつもりはなかったが、致し方ない状況だった。
「大体、なんで民間人までそんな物騒なモン持ってるんだ……ふざけんなよ……」
敵が市民にも武器を持たせていることは作戦前から聞き及んでいた。銃を持った者は全て敵だが、敵は自分たちのように武器を扱うことに慣れているわけがない素人。武器を持っているからと言って、軍事教練を受けていないからまともに扱えるわけがなかった。
「安全装置すら外せない奴が、んなモン持ってるんじゃねえ馬鹿野郎!」
彼は一人で吐き捨てる。血だらけで倒れた男女は何も答えるはずがない。
じゃり。
地を擦る音が聞こえて、彼は咄嗟に振り返る。銃口を向けた先には、幼い男の子が立っていた。
「子供……」
彼は射撃体勢のまま、目の前の子供を見詰めた。市民も武器を持っている。だが、あんな子供が持っているわけがない。さっきも女は持っていなかったし、子供も持っていないはず。そう、きっと男だけなんだ、武器を与えられたのは。いくら無慈悲な北の野郎でも、女子供にまで武器を持たせるはずが―――
―――射撃音。目の前で倒れる、子供。
その頭はまるでトマトが潰れたように噴きだした真っ赤な血と共に、黄色い物体を覗かせながら動かなくなった。
鼻腔につく火薬の匂い。引き金に喰い込んだ指の感覚があった。
殺した。子供を。
何故?
だって、背に隠していた子供の手に銃が見えたから―――
頭の中身を曝け出して動かない子供の手元に転がった物体。
それは子供の玩具のようで、明らかにそうではない本物の拳銃。
紛れもない現実だった。反射的に動いた自身の動作が証明していた。
「俺は悪くない、悪くない……」
ぶつぶつと呟きながら、彼は動かない子供の身体から目を離し、歩き出す。ふらふらと徒歩を始めた彼の頭が、次の瞬間には頭の半分が砕け散った。
頭が飛び散った彼の身体は数秒間立ち尽くしたが、やがて風に吹かれたかのようにぐらりと崩れ落ちた。
「―――もう少し早かったらな……」
作業服姿の男がVSSヴィントレス狙撃銃を手に、施設の二階窓際から身を離した。兵器工場で様々な火器類を製造し扱いにも慣れた彼の手腕は軍人にも劣らずだった。
出来るだけ女子供を前に出したくはなかったが、政府のプロハガンダが思わぬ所で成果を上げていることに男は憎悪した。ある程度の常識を身に付けた者ならまだしも、まだ幼い子供には効果は覿面だった。自分たちのように気付いた者なら良い。だが子供は気付くことすら難しい。
安全な場所に逃げてくれているだろうか。愛する妻と息子の顔を思い浮かべた時―――
「……! 敵機か……!」
遠くから聞こえてきた爆音に気付かされ、男は足元に寝かせていたRPG-7を抱えた。しかし男は異変に気付き、ふと見上げた。
「なんだ、あれは……」
ぱらぱらと降り注ぐ白いもの。ビラのようだ、と男は勘付いた。
二階から降りた男は辺りを見渡してから、慎重に外に飛び出した。そしてさっさと敵機が落としていったものを回収すると中へと戻る。
自分の網膜に飛び込んできたものに、彼は驚きを隠せなかった。
「敵の一部が常盤通1丁目にまで到達した模様。 常盤ロータリーは金豚共の巣になりましたね」
佐倉は司令部から入手した情報を夏苗に伝えた。東旭川基地のグラウンド。防寒装備に身を包まれた夏苗は佐倉と松島、西墻中尉を背後に従え、黒煙が上る市街地を見詰めていた。
「……くそッ、このまま奴らの好きにさせてたまるか! 同志大尉!!」
呼吸を荒げた西墻が夏苗を興奮した声色で呼びかける。夏苗は振り返らず、爆音が鳴る市街地を見据えていた。
「今こそ同志大尉の803部隊が窮地を覆す時! 同志大尉、ご命令を!」
「…………」
佐倉と松島は西墻と夏苗の二人を交互に見渡した。
第803部隊の噂は佐倉たちも以前から知っていた。共和国最強の特殊部隊であり、南日本に対するあらゆるテロや工作活動は第803部隊が主犯だったと言う。この防衛戦争でも第803部隊の活躍は目覚しかったと聞く。
そして今や北日本の英雄と呼ばれる八雲夏苗大尉。第803部隊の指揮官でもある彼女の存在は―――希望、なのだ。
「大尉!」
伝令を手にした兵士が基地の方から駆け寄ってきた。拳を握り、上官の命令を待ち望んでいた西墻は頬を紅潮させて怒鳴り付けた。
「何だ! 今、同志大尉が大いなるご決断を下そうとしている時に―――」
「も、申し訳ありません……」
「曹長、良いから伝令を伝えろ」
佐倉が委縮する曹長に促しを向ける。伝令の紙を手にした曹長は答え、紙面に目を向けた。
「は…! つい先程、旭川政府より緊急連絡がありました」
「偕行社からか……!?」
かつて第七師団の施設として建造された旧旭川偕行社は旭川政府(臨時共和国政府)の議事堂として利用されていた。
そして政府の言うことが真実ならば、臨時政府の閣僚と共に党首の偉大なる血を受け継ぐ次期党首が指揮を執り行っているはずだった。
「―――敵の盲爆を受け、施設は全焼! 旭川政府は次期党首同志の御供をし、地下壕へ避難されたとのこと!」
天候の回復を狙い、その短い隙間から精密爆撃を行う。可能な時に行うことで、地上部隊の負担を減らしていた。
「敵機来襲!」
その時、基地にサイレンが鳴り響く。厚い雲が覆う空を見上げた先には、図太い敵の航空機が近付いていた。
対空ミサイルが発射される前に、敵機は基地の上空に到達した。しかし爆弾を落とす様子もない。代わりに別のものが地上に降りかかった。
「雪……?」
真っ白なものがチラチラと降り注ぐ。それは雪ではなく、紙だった。
雪原に溶け込む前に拾い上げる紙面に視線を落とした佐倉たちは驚愕した。
「これ、は……」
佐倉は手元が震えているのがわかった。松島も口端を引きつらせるが、目は笑っていなかった。西墻に至っては、顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。
「………………」
そして夏苗は、表情を微塵も変えないままに白い息を燻らせた。
敵機が旭川市内にばら撒いていったのは、南日本の新聞の一面を印刷したものだった。
日本共産党次期党首と言われた北の後継者がロシアに亡命。旭川の北日本政府は国民に事実を隠蔽している―――更に信憑性の高さを誇示するように米国を始めとした世界各国の記事も並んで印刷されていた。
「我らが偉大なる次期党首同志が亡命だと……! 馬鹿な、こんなのは嘘に決まっている! これは我々を撹乱させるための罠だ!!」
西墻は敵の謀略だとヒステリックな声で叫ぶが、それは確かに事実だった。
首都札幌が侵攻を受けた時点で、臨時政府は次期党首と側近幹部たちを第三国に亡命させる旨を検討していた。札幌からの撤退を遅らせたのは、その調整であった。クーデター騒動で分裂していた軍を無理矢理纏め上げ、敵が侵攻する札幌に留めさせたのは次期党首一同の脱出を準備するため。札幌撤退が決定した時、既に次期党首一同は残された臨時政府に全てを任せると、ロシアへの亡命に旅立った。
最後の砦となった旭川においても、臨時政府が駐留した旧旭川偕行社には残された党幹部や軍幹部が殺到し、旭川からの脱出を申請する有様だった。しかも臨時政府は彼らの逃亡を許可し、事実上市内には武装した市民と軍が盾に使われた。
旧旭川偕行社の臨時政府はとっくに諦めていたのだ。今、旭川にいる者たちは逃げた者たちの捨て駒として利用されているに過ぎなかった。
「―――!? き、貴様ら! やめろッ!!」
呆然と記事を見詰めていた佐倉の耳に西墻の声が響く。佐倉は周囲を見渡し、その光景に気付いた。
敵機の飛来に誘われ、基地の中からグラウンドに出てきた人民軍の兵士たち。
兵士たちは雪原に落ちた記事を拾い上げ、その紙面を夢中になって読んでいた。
「拾うな! それは敵の謀略だ、読むんじゃない!」
西墻が怒鳴り散らしながら兵士から記事を取り上げるが、兵士たちは記事を拾うことを止めようとしない。
西墻の行動は無駄な抵抗に見えた。西墻が記事を拾った一人の兵士に掴みかかっても、他の大勢の兵士が記事を読んでいく。全ての兵士の手から記事を取り上げることは不可能だったし、命令も意味がなかった。佐倉と松島はその光景を前にただ立ち尽くし、夏苗も口を開くことはなかった。
そして追い打ちを掛けるように―――
『人民軍兵士に告ぐ―――』
雪が降る市内に、加わるように空から拡声器の声が響き渡った。