46 旭川市街戦
戦後に第二次北海道戦争と呼ばれることになる南北間における軍事衝突は遂に終盤に差し掛かっていた。
日本人民共和国の奇襲攻撃は南日本と米国の報復を招き、戦火は止まることを知れず拡大。
更にロシア連邦の軍事介入により、日本人民共和国―――北日本は四面楚歌の状況にあった。
北日本の臨時首都に定められた旭川市は、北海道内では札幌に次いで第二の市域人口を有する中核都市である。
旭川の語源は諸説あるが、市の中心部に流れる忠別川をアイヌの人々がチウ・ペツ(波のある川・波立つ川)と呼んでおり、これを聞き誤ってチュッ・ペツ(日の川)としたことから、旭川と呼ばれるようになったという説もある。
帝国占領下時代(第二次大戦前)は帝国陸軍第七師団が置かれ、軍都として栄えた。第二次世界大戦後も建国と同時に日本人民共和国の首都として発展を続けてきた。
北海道戦争の勝利を経て首都が札幌に移転した後も、旭川は第二の都市として人民の復興運動の基盤となり、この国が建国されてから最も国家と共に歩んできた由緒正しき都市なのである。
北海道のほぼ中央に位置する上川盆地の中心部にある旭川は、石狩川や忠別川、牛朱別川等の大小130の河川が流れ、そのために市内には740あまりの橋が架かっている。中でも石狩川と牛朱別川の交わる旭橋は、1932年に完成した鉄製アーチ橋であり、文化的にも貴重な橋だった。
その橋の柱には人民軍の兵士たちが雪に覆われながら爆弾を設置する作業に見舞われていた。市内に侵攻してきた敵に対するものの一つだった。
帝国占領下時代は帝国陸軍最強の第七師団が置かれていた経緯に重ね、共和国の都市になってからも軍都としての姿は変わらなかった。人民赤軍の機甲師団が置かれ、国防軍の部隊も加えれば道内でも最大の陸軍兵力を抱えている街だった。
現在、日米同盟軍は石狩湾から上陸を仕掛け、首都札幌を占領した。小樽に現地司令部を構えると、留萌や小樽、函館に増援部隊と物資を送り込み、着々と北海道侵攻を進めていた。
海軍基地が置かれていた苫小牧や室蘭、函館などの太平洋側沿岸の各港や都市は海と空からの攻撃で壊滅状態に陥っていた。地上においては苫小牧周辺でも激戦が繰り広げられ、北海道の南西部はほぼ敵の手に落ちていた。
ロシア軍の侵攻によって後退してきた樺太や千島の全ての兵力が増援として旭川に集結し、北日本軍のほとんどの残存兵力が臨時首都旭川に固まっていた。
その旭川に対し、日米同盟軍はこの戦いの雌雄を決するため、遂に大攻勢を仕掛けようとしていた。
2015年1月21日午前4時25分―――
日本人民共和国・旭川
四日前に深川市を占領した日米同盟軍の動向を探るため、連日の偵察を欠かさなかった。偵察部隊として送り込まれた人民軍兵士たちは雪の中を行軍し、深川市と富良野両方面に留まる日米同盟軍の様子を報告していた。
午前4時25分ごろ、5時の定時連絡より30分以上前に寄越した緊急連絡が旭川に届けられた。日米同盟軍の旭川侵攻の始まりを伝えていた。
午前4時32分、旭川飛行場から飛び立ったMig-29が輸送機を含む敵機を発見。攻撃開始を告げて以降、通信が途絶した。
旭川飛行場から離陸したMig-29部隊は圧倒的物量を誇る敵機に対し、空挺兵を蓄えた南日本軍のC-1輸送機を2機、米軍のEC-130Jを1機、護衛のイーグル戦闘機を2機撃墜という善戦を繰り広げた。しかし主に米軍のF-22に圧倒され、全機が帰らぬ人となった。
厚い雲が覆う下を、空挺部隊を搭乗したC-1輸送機が飛行していた。その周囲にはEC-130Jなどの米軍の輸送機を含め、数多の輸送機が護衛の戦闘機と共に旭川上空に向かっていた。
敵の戦闘機の襲撃から生き延びた彼らは、敵地に降り立つ前に雪原に落ちていった者と比べれば幸運な方だった。雪原に墜落した者の安否は不明であり、これから降り立つ状況下で知る術も持たない。
「偵察の情報によれば、敵は市民にすら銃を持たせている。 想像以上に苦しい戦いとなるだろうが、覚悟しておけ」
「………………」
過去を顧みず、今後の先を見据えなければならない時。武装した空挺兵たちは目標上空到達地点近しと聞いて、降り立つ準備を始める。開けた先に見えるのは歓迎するような吹雪。この中にダイブすることに躊躇う者は一人もいない。
「この戦いが終われば、日本は一つの国になる。 日本人同士の戦争は俺たちの代で終わりだ」
離陸する前と旭川上空での余りの天候の変わり様にも動じない声。降り立つ前に吹雪に晒される危険も承知した上で彼らは戦場に向かう。吹雪を乗り越えても戦場が待っていることを空挺兵たちは知っている。
「帝国万歳! 日本万歳!!」
言葉通りに彼らは吹雪に向かって万歳した体勢で飛び降りる。機内から次々と吐き出される空挺兵たち。吹雪に晒され、地上に向かう兵の見据える先には、既に地上部隊が攻勢を仕掛けていることは容易く想像できた。
国道40号線を通過する南日本軍の10式戦車が旭橋を渡ろうとしていた。
南日本軍の最新式の国産戦車である10式戦車は、この紛争においても優秀性を遺憾なく発揮していた。北日本軍戦車との戦車戦を勝ち抜き、後に北海道侵攻に大きく貢献した戦車としてその名を馳せることになる。
降り出した雪が強さを増し、白く覆われる前方を兵は暗視装置で注視しながら前進を開始した。
しかし彼らが橋を渡り終わらない内に、まず一発目の砲撃が10式戦車を襲った。
暗視装置の端に噴煙を見た10式戦車はスモークも放出する暇もなく砲撃を受ける。しかし撃破まではいかなかった。
砲塔を旋回し、敵を捜す。
暗視装置に映し出された敵の姿を見つけると、主砲から新型撤甲弾を発射。発見した敵車両と敵兵を一撃で殲滅した。
白い風景に真っ赤な花が咲いたのを見届けた10式戦車はそのまま橋を渡るが、橋の中央を過ぎた辺りで大きな異変が生じた。
橋を支える柱の全てが爆発。橋は崩れ、10式戦車は旭川のシンボルと共に崩落した。
戦争において主要都市の制圧は戦争そのものの勝敗に関わってくることは歴史的にも物語っている。第二次大戦から遡れば、欧州戦線でのスターリングラード攻防戦やベルリン攻防戦、ベトナム戦争のテト攻勢等。中東での戦争や紛争も多くの市街戦が行われてきた。近年は世界各地で都市化がますます進んでいるために市街戦はより発生しやすい戦闘の一体系になりつつある。
建造物やバリケードが多い市街地は戦闘車両が侵入しづらく、徹底抗戦に向いている戦場である。だが他の戦場とは異なり、民家や軍に関係ない施設が密集しているため、民間人や民間施設に対する損害は避けられないのも現実だった。
しかしその心配はこの国に必要なかった。この街に構えた臨時政府はあえて疎開や退去を命じなかった。この国がどこまでも腐っていることを示すように。
市街地に多く並び立つ建造物は絶好の隠れ屋となり、立て篭もった室内から敵を攻撃する手段は当然存在する。建造物に立て篭もった敵を攻撃するとすれば、大火力を以て建造物ごと破壊するか、歩兵を用いて近接戦闘を仕掛けるしかない。
そのため、現代においては精密誘導兵器による攻撃が主流に行われていた。南日本軍や米軍の戦闘機が上空から精密爆撃を加え、旭川市内の北日本軍を攻撃する。北日本の兵士たちも上空からの攻撃に対空兵器を使用して対抗していく。
「制空権を奪われたとなれば、上空からフルボッコされるのをひたすら耐えるしかないわな」
隣で震える子供の倍以上の丈を持つRPG-7を携えた男が煙草を咥えながら白い歯を見せる。RPG-7を手に持つ傍ら、もう一方の大きな手は子供の頭をくしゃりと撫でた。
その男は工場に勤務に行く姿と同じ作業服姿だった。その姿は赤茶色に汚れており、血にも土にも見えた。
中東の紛争国で見たことがあるような民兵の雰囲気。実際、彼は正規の軍人ではない、民間の兵士だった。
旭川が臨時首都に置き換わったと同時に創設された、民間から公募された国民防衛団。時代遅れにも甚だしいが、今が有事であるこの国にとっては尚更、とても自然な光景なのである。
政府が旭川に逃げ込んできた時、市民は市内からの避難を一切許されなかった。直ちに市外に通ずる道は封鎖され、市民は市内に閉じ込められた。全市民が一丸となって敵に立ち向かえ。それが臨時政府の命令だった。
軍の一部がクーデターに乗り出したのもよくわかる……と、男は思いに耽る。
札幌でのクーデターはテレビ等のメディアを通じて勿論伝わっていた。だが、その後に起こった南日本と米国による札幌爆撃は、北日本の政変を覆した。
馬鹿な奴らである。奴らが殴ってこなければ、この国は心を入れ替えたのに―――
改心しようとした所をぶん殴られては、ますます捻くれるのは当然だろうが。
「どいつもこいつも馬鹿ですよ。 南も、アメリカも、この国も……」
「そして、俺たちもな」
同じ室内に集まった青年や中年の男たち。格好は民間人そのものだが、その手には各々の武器が握られている。
男は彼らの顔を見渡し、呆れるように一笑した。
「まったく、馬鹿げた戦争だよ……」
男は触れていた子供の頭から名残惜しそうに離すと、輪の外にいた女の名前を呼び掛けた。呼ばれた女性が、男の方に駆け寄って子供の身体を引き寄せる。
「お願いだから、お前たちは安全な所に逃げてくれよ」
男が二人に声をかける。その声に、男から子供を離した女性が泣きそうな表情を浮かべる。
女性に手を引かれた子供が、不思議そうな顔で男の方に振り返る。
「パパは行かないの?」
「俺は行けない。 ママと二人で、ここじゃない安全な場所に避難しろ」
「パパも一緒がいい」
我慢できないと言わんばかりに、女性が子供の身を抱き締める。子供は不思議そうな顔を浮かべるが、周囲は悲しげな表情を統一させていた。
「俺は、パパは後でお前たちの所に行く。 だから安心して先に行きなさい」
男が優しげに、その大きな手を再び子供の頭に乗せる。子供はくすぐったそうに微笑むが、男以外に笑う大人はその場にいなかった。
「……早く行け」
子供を抱き締めたまま顔を見せない女性にそっと言いかけると、女性は無言のまま頷き、子供の手を引いた。子供は男の方に手を振り、そのまま二人とも部屋から出て行った。
残された男は振り返していた手を、ゆっくりと下ろした。その手が、冷たい無機物に触れる。
「さて、我が国民防衛団兵一同はこれより出撃する。 常にこの心情を心して励め」
男は民兵となる彼らの引き締まった顔を見渡し、咥えていた煙草を指に挟んで天に掲げた。
「党と祖国……」
嫌悪感をまるで隠さないように吐き捨てる。だが、一口閉じて、次に紡ぐ言葉は優しげなものだった。
「愛する者のために」