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南北の海峡 -The Split Fate-   作者: 伊東椋
第五部 戦火の中で
47/63

45 英雄




 2015年1月16日午前9時24分

 日本人民共和国・旭川・東旭川基地



 輸送ヘリの中でも常軌を逸脱したような大きさのミグ輸送ヘリが、その胎内に大勢の兵士や補給物資を蓄えた状態で、雪に覆われた基地の地上に降り立った。

 機体から降りた佐倉大輝少尉は凍てつく空気に身を震わせた。冷たい外気に触れた途端に鼻が突き刺すような痛みを覚え、吐き出す息が湯気のように眼前に広がる。豊原も大概だったが、旭川もまた劣らず寒かった。

 豊原と変わらないはずの白い情景を見渡した佐倉は息を呑んだ。滑走路の脇には大破した戦闘ヘリや車両が放置され、側にある格納庫はほとんどが燃えてしまったのか辛うじて原形を留めているのに過ぎなかった。施設の一部も崩落しており、敵の爆撃を受けたことを如実に物語っている。

 北日本軍は臨時首都として定められた旭川に撤退し、日米同盟軍を迎え撃つための戦力をこの都市に集中させている。

 首都札幌を失った今、第二の都市である旭川は現在の北日本の臨時的な首都だった。そして日米同盟軍がこの街に大攻勢を掛けることは想像に難くない。

 来るべき時に備え、北日本軍は第二次大戦中のフィリピンのマッカーサー軍に挑む連合艦隊の如く残る総力を結集させていた。

 「……なんだ、あれ」

 隣から降ってきた声の方に振り返る。同僚の松島太一少尉が雪が貼り付いた眼鏡から目を細めていた。松島が凝視する方向に視線を投げると、基地のフェンスの外側に大勢の人々が基地の方に張り付くようにひしめいていた。

 「一般市民……にしても、なんであんなに大勢の市民が基地の外に集まってるんだ?」

 松島の疑問に、佐倉は聞き及んでいた情報を元に答えを吐露し始めた。

 「一般市民から強制徴募した民兵たちだ。 兵士として徴募されたにも関わらず、基地に入ることを許されていないからああやって基地の外に集められている」

 緒戦の戦いにおいて北日本軍は戦力を大幅に消耗し、開戦一ヶ月で深刻な兵力不足に悩まされていた。その苦肉の策として臨時政府は市民の武装化を決定し、大勢の一般市民を兵士として徴募した。身なり格好は生活感漂う服装に変わらないが、その手には望まずとも銃が持たされた。

 市民にまで戦いを強要する臨時政府のやり方に佐倉は近付く終焉を見ていた。軍人が持つべき銃が市民も持たざるを得なくなった状況はこの国の行末を暗示していた。

 それでも佐倉は北日本軍人としての責務を放棄するつもりはなかった。戦えと言われたら戦う。命令に従うのが軍人だ。軍隊に入る時にそう誓ったのだから、最後まで軍人としての責務を全うするだけだ。

 佐倉たちが以前に着任していた豊原市は、ロシア領の北樺太から侵攻してきたロシア極東軍に占領された。ロシア軍の侵攻を知った豊原司令部は北海道本島への撤退を決定した。豊原司令部は数万の市民を見捨てることを躊躇わず、我先にと撤退した。樺太最大の都市だった豊原市は佐倉たちが去った二日後に陥落した。

 樺太や千島列島は既にロシア軍の手に落ちた。今、残された国土は北海道の北半分。

 このような絶望的な状況の中でも軍が瓦解せずにいられているのは、一人の英雄の存在が大きかった。

 札幌撤退戦において単身にて敵機を撃ち落とし、大勢の兵士を救った英雄。佐倉は北日本軍全体に瞬く間に広まった英雄の存在に興味を持った。そして自分にその英雄のお付き役を命じられた時は天命だと確信に近い衝撃を受けた。何万もの市民を見捨てた自分とは天と地の差がある英雄がどんな人物であるのか、佐倉は非常に気になっていた。

 将校室の扉を前にした佐倉は似合わない緊張感を胸に秘めていた。それを知ってか知らずか、同僚の松島は軽い口調で佐倉の肩を叩いた。

 「お前は英雄殿はどんなお人だと思う? 俺は巨乳の美人が良いな」

 「聞いた噂の限りでは男か女でさえわかっていないだろう」

 北海道から離れた樺太には開戦後の混乱(ロシア軍侵攻による撤退作業も含む)もあって正確な情報は行き渡っていない。

 ただ、我が共和国に英雄が登場した、ということ。

 佐倉の中では屈強な男の姿が浮かんでいた。噂を聞いた佐倉なりのイメージである。

 「細いお前には筋肉もりもりの野郎が憧れなんだろうけど、自分の理想と現実をごっちゃにしちゃいけねえぜ?」

 「お前が言うな」

 豊原の夜の街で遊んでばかりだった同僚を侮蔑の眼差しで一瞥してから、佐倉は密かに深呼吸を試みた。松島が気付く前に、佐倉は目の前の扉を叩いた。

 「入れ」

 扉越しに聞こえた男の声。その瞬間に隣から放出された残念オーラを全力で無視して、佐倉は「失礼します」と一言述べてから扉を開いた。

 目の前には同じ国防軍の制服を着た将校が一人。背が高く、太くはないが細くもない体格。しかし筋肉が程良く引き締まっているのだとわかる。佐倉が思い浮かべたイメージとは全然違うが、これはこれで芯が強そうな男だった。

 「…………」

 なにをジッと見ている、と言わんばかりの将校の怪訝な表情を見て、佐倉は違和感を覚える。彼ではない?そう思った時、将校の背後にもう一人の人物がいることに気付いた。

 将校が体を避け、後ろにいた人物の姿がはっきりと網膜に浮かぶ。佐倉は息を呑んだ。隣からは同僚の感嘆の吐息。

 真っ白な窓を背景に佇む一人の女性。人並以上と思しき胸元と細いラインを国防軍の制服で包んだ彼女は、入室した佐倉たちを蒼い双眸で正面から見据えて迎え入れた。

 日本人離れした蒼い双眸に意識を吸い込まれそうになった佐倉は、慌てて我を取り戻したかのように姿勢を正し敬礼した。隣の松島も右に倣っていた。

 二人の敬礼に答礼した彼女は、その蕾のような唇をゆっくりと開けた。

 「遠路遥々ご苦労だった、佐倉少尉、松島少尉。 私は人民国防軍第803部隊の指揮官を務める八雲夏苗大尉だ」

 惚けてしまうような彼女の声に、佐倉は呆然としかけるがギリギリの所で踏みとどまる。動揺する心を悟られぬよう、努めて冷静に言葉を紡ぐ。

 「本日、豊原司令部よりここ旭川防衛軍司令部・東旭川基地に着任致しました佐倉大輝少尉です」

 「同じく、松島太一少尉です」

 声が二人とも震えていないのが不思議に思う程だった。特に松島は自分の願望通りかそれ以上の現実を前にして正気を保っていられているのが驚きだ。

 「貴様らも知っていると思うが、同志大尉こそ人民の偉大なる英雄だ。 貴様らは同志大尉の下に居られる幸運に感謝しろ」

 「中尉」

 彼女の一言に、中尉と呼ばれた将校はまだ言いたいことがありそうに口元を閉ざす。

 「私に関する噂は私が思う以上に兵士たちの間に知れ渡っているそうだが、少尉たちは気にせず私の下で務めてほしい」

 夏苗の言葉に、将校が納得していないような表情を浮かべる。それはそうだ。あれ程までに英雄と称賛された人間がここまで謙遜を貫いているのだから、本人を称える者であればあるこそ、その謙遜は歓迎するものではないだろう。

 「私の話はどうでも良い。 そんなことより戦況は少尉たちも知っている通りだ」

 自らの英雄伝説を『そんなこと』で一蹴し、自分たちが今置かれている状況を有りのままに話し始める。やがて佐倉たちも話に呑み込まれ、身を硬直させていく。

 「―――以上だ。 敵は近い内にこの街に雪崩れこんでくるだろうが、我々は街の人々を守るためにも、最後まで戦わなければならない」

 街の人々―――基地の外に集まった民兵とされた市民たちの光景を思い浮かべる。彼らもまた銃を持って自分たちと一緒に戦わされる。

 「市民に銃を持たせた政府を非難したいが、これは私たちの不始末でもある。 我々が人々の前に出て、一人でも多くの人を守る」

 平然と政府への非難に続き、市民を守るという言葉に佐倉たちは驚いていた。軍は党と国家のための組織である。市民のため、と言う者は佐倉たちが知る限りでは少ない種類であった。

 「一緒に戦おう。 憎き敵と」

 握手を求める夏苗の行動を目の辺りにして、佐倉たちは驚愕する。こんな人は今までに見たことがなかった。これが、北日本軍の英雄。握手を待つ夏苗の微笑む表情が、まるで太陽のように眩しく、暖かい。

 気が付けば、佐倉は夏苗の細い手を掴んでいた。固く握手する二人の手。暖かかった表情とは裏腹に、その手は細く、氷柱のように冷たかった。

 本当はどっちが彼女の本物の温度なのだろうか、と佐倉は彼女の見せる温度差に微かな動揺を感じていた。


 

 

 「いやぁ、まさか期待以上のお人だとは思いもしなかった! あの人の下に仕えられるなんてここも悪くないな!」

 将校室を出た佐倉と松島は基地の廊下を歩いていた。松島のボリュームが大きい声は自重を知らず、すれ違う人々の奇異な視線を買う。

 「どうしたんだよ、部屋を出た時からずっと黙って」

 「……別に」

 「お前もあの人の美貌に魅了されちまったんだろ? 言葉を失う気持ちは俺にも痛い程わかるぜ」

 と言いながらさっきから恥もなく馬鹿でかい声で語っていたくせに。佐倉は溜息を吐いた。

 「お、恋の溜息か?」

 「違う。 それに、あの人はそんな近いもんじゃない」

 「確かに、英雄だけあって俺たちとは住む世界が違うよな」

 「…………」

 そうではない、と思う。自分でもよくわからないが、彼女は自分たちとは違う何かを持っている。彼女が潜り抜けた修羅場は自分たちには想像も付かないものだろう。複雑な思いが、佐倉の中で渦のように混ざり合う。

 「……寂しそうな、人だったな」

 「何か言ったか?」

 「なんでもない」

 だが、彼女とは確実に違う点がある。噂通り、彼女は多くの命を救った。だが、自分は市民を見捨てて逃げてきた卑怯者だ。

 ロシア軍の手に落ちた豊原市の市民がどうなったかは知らない。しかし自分たち軍人が敵を前にして市民と共に街を、家族がいた、自分が生まれ育った故郷を捨てたことは事実だ。街どころか、樺太を捨てたのだ。本来ならば命を懸けてでも護らなければいけない祖国の国土を。

 彼女と比べれば救いようがない罪だ。どんな修羅を経験し、罪を背負ったとしても、人を救っているだけ彼女の方がマシだ。自分には何もない。罪だけだ。

 だからと言って今更死ぬのも逃げるだけだ。最後まで生きて、戦い、一人でも多くの敵を殺す。それが自分に課せられた罰だ。

 あの人と共に闘う。それが償いになるなら、喜んでその運命に従おう。もう自分には何もないのだから。


■解説



●豊原市

北日本領有下の樺太(南樺太)唯一の都市。北日本最北の市であり、ソ連から返還された後は人口の増加に伴い大規模な都市整備が進み、ロシア軍の占領下に陥るまでは札幌や旭川に続く北日本の大都市の一つとして北日本の経済産業を支える大きな一柱だった。

南樺太の防衛力として国防軍の豊原司令部が置かれていた。



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