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南北の海峡 -The Split Fate-   作者: 伊東椋
第四部 南北の狭間
42/63

40 新たな陰

 ロシア連邦・首都モスクワ―――


 北日本の首都札幌が雪に覆われている時、ロシアのモスクワもまた大雪に覆われている。

 雪を被ったクレムリンを見ることができる高級ホテルの一室。そこには一人の男が、降りかかる雪景色の中のクレムリンを見詰めていた。

 やがて男の耳に扉がノックされる音が届く。男が応え開いた扉から、背広を着た初老の男が足を踏み入れた。

 「やあ、同志よ。 今日もまた冴えない顔をしているな」

 「同志はよせ、昔が恋しくなる。 また一段と老けたな、ウラジーミル」

 ウラジーミル・ノルシュテインは皺が刻んだ自分の頬に思わず手を伸ばすリアクションを見せた。その仕草に笑みを浮かべるのは部屋で待っていたユーリイ・マルシャークである。

 彼らはソ連KGB時代からの友人だった。今は大統領と外交官という関係だった。

 「それで、大統領閣下? この一端に過ぎない冴えない外交官に、一体何のご用件ですかな? しかもご内密に、とは穏やかではなさそうだ」

 ウラジーミルは両手を広げ、またしても大袈裟なリアクションで訊ねる。これはかつて映画俳優を目指していた名残であり、これだけは昔と変わらない彼の特徴なのだが、ユーリイは彼が俳優になれなかったことを今でもかなり納得していた。

 「極東に詳しい君に聞きたいことがある。 今極東の片隅で起こっている、日本のことだ」

 「ほほう。 日本ですか」

 ユーリイが語りかけながら椅子に座ると、それに続くようにウラジーミルも腰を下ろす。目の前には高級ウオッカが注がれたグラスが二人分置いてある。

 「この時期に日本について訊ねられるとは」

 現在、日本列島で起こっている有事を、ロシアも知らないわけがない。ロシア政府は南日本と米国の行動を批難する立場を取っているが、現時点においては中立を保っていた。

 「極東方面支部にいる君なら熟知していると思ったのだ。 君は今回の日本有事をどう見る?」

 「南日本と米国を相手にして、北日本の勝算はかなり低いと思います。 北日本が負けるのも時間の問題でしょう」

 ウラジーミルはさらりと言ってのけた。それは彼に限らず、一般のロシア国民までもが予想していることだった。北日本が破滅の道に転がりこんでいるのは世界のどの国から見ても明らかだった。

 「もし我が国が今もソビエト連邦のままでしたら、日ソ安保条約に則って、日米安保軍と交戦状態に入っていたかもしれません。 しかし今の我々はソビエトではなくロシア連邦です」

 肩をすくめる仕草で、ウラジーミルが口を開く。ソ連時代、北日本とソ連は南日本・米国の関係と同じく安全保障上の軍事条約を結んだ同盟国同士だった。しかしソ連崩壊に伴い日ソ安保条約は破棄され、それ以降、北日本とロシアの間で新たに結ばれた軍事条約は存在しない。

 「日ソ条約失効後、北日本は新たな軍事同盟国として中国と軍事上の協定や条約を結びましたが、その中国は北日本を助けようとは思わないでしょう。 中国にとっては、北海道にある水資源が惜しいと思いますが、米国を相手に戦争する気はないそうです」

 中国は北日本と経済・軍事において重要な友好国であったが、それらの利益や恩恵を考えても米国との戦争というリスクまで冒す程ではないと判断しているようだった。しかし最も重要とされる水資源の輸入先が失われるのは、中国にとっても痛い。

 「日米は一応、台湾海峡に対する中国軍の動きも警戒しているようですが、どのみち中国が動く気配はなさそうです」

 「では今回の日本有事に、我がロシアが動く要素はあると思うか?」

 グラスに口をつけていたウラジーミルの動きが止まる。二人の視線が、交叉した。

 「どういう意味でしょう、大統領」

 「中国は動かない。 では、我がロシアはどういう方針を取るかということだ」

 窓にぱたぱたと当たる音が響く。外は、雪が痛そうな程に強く吹き始めていた。

 「今回の日本有事に対する、南日本と米国の軍事行動を反対している。 これが我が国の姿勢だった」

 「ええ、国連に提出された制裁決議案も反対票を投じましたしね。 結局、向こうは関係なしに軍事行動を行いましたが」

 「ああ。 やはりあの国は一応元同盟国だったからな」

 グラスを手に取ったユーリイは、揺らめく液面を見詰める。

 「しかしあの国はもう駄目だ。 独裁政権は倒れ、将来の党首は我が国に亡命ときた」

 これは日ロ国民のみならず、南日本や米国にもまだ知られていないが、旭川に後退した北日本政府から次期党首後継者の亡命を申請されていた。ロシア政府は受諾したが、ユーリイはその時、北日本の真の滅亡を悟った。

 「だが、価値はまだある」

 ユーリイはグラスを口元に引き寄せると、中身の液体をぐいっと喉に流し込んだ。ウラジーミルはずっとユーリイの動向を静かに見守っている

 窓を叩く雪の音が大きくなった。

 「それが奴らに渡るぐらいなら、我々が手にするのだ」

 ユーリイは空になったグラス越しに、不敵な笑みを浮かべた。その笑みはKGB時代と変わらない表情だった。


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