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南北の海峡 -The Split Fate-   作者: 伊東椋
第四部 南北の狭間
41/63

39 慟哭

 石狩港から強襲上陸を行った日米同盟軍は首都札幌の地上制圧を目指し、目と鼻の先で既に激しい戦闘が行われていた。

 米軍の空爆によってクーデター首脳部がほぼ全滅した今、彼らの司令官は再び政権側に戻っていた。しかし馬淵首相や主要の閣僚たちがクーデター軍に暗殺されたため、その顔ぶれはがらりと変わっている。

 緊急に立ち上げられた臨時政府は政権側、革命軍側問わず全兵士に対し『徹底抗戦』を言い渡した。

 亡き党首の後継者である次期党首が臨時政府の発足を指示。先の混乱で内戦状態だった軍に対し日米同盟軍の侵攻に対する迎撃を命じた。

 『敵に殺されたくなければ命令に従え』

 殺し合った軍と秘密警察の兵士、将校たちは迫りくる新たな敵に対し、一致団結する意を決した。

 



 札幌侵攻は早くも行われた。圧倒的な物量を誇る日米同盟軍に対し、北日本軍は善戦すら叶わなかった。瞬く間に札幌中心部にまで敵の侵攻を許してしまう。北海道革命大学にいた兵士たちは政府の指示を言い渡された。

 「聞け。 本日、臨時政府は札幌から旭川方面に撤退する方針を決定した。 これに伴い我が第803部隊は―――」

 札幌が陥落するのは時間の問題だった。徹底抗戦と叫んでいた臨時政府はあっさりと首都放棄を決定し、撤退に当たり軍の支援を命令した。

 「自分たちは先にさっさと逃げて、俺たちには死ねって言うのか?」

 「だが政府が撤退すれば、軍もそれに付いていける。 ここに留まって最後の一兵まで戦えって血迷っていないだけマシだ」

 「それも時間の問題だと思うがな」

 かつてのクーデター混乱時には政権側と革命側に分かれていた兵士たちが今となっては同志として共に戦っている。その口ぶりは問わず政府に対する不満が遠慮無しに零れていた。

 その集団の中でも特別存在を突出している第803部隊は、北日本最強の特殊部隊と謳われた過去に比べ、今となってはたった6人しかいなかった。

 その中に、着馴れない北日本軍の軍服を着た夏苗の姿もあった。

 「夏苗姉さん」

 準備を始める兵士たちの片隅で、一人寂しそうに佇んでいた夏苗の前に立つ浩。視線を向けた夏苗の握り締めた手からリボンがはみ出ていた。

 「夏苗姉さんは札幌ここに残った方が良い。 近衛兵の身分を明かせば、南日本軍が姉さんを保護する可能性もある」

 「…………」

 夏苗は陽和と共に浩たちによって北日本に拉致された南日本国民である。北日本出身と言えど、脱北を成した夏苗の身分は南日本にある。夏苗の存在を南日本政府が知らないわけがない。南日本が夏苗に危害を加える心配はおそらくないはずだ。

 「……姉さんは、南に帰るべきだ」

 「帰る……?」

 夏苗の瞼がぴくりと動く。その暗い陰りを濃くした瞳が浩を映した。

 「私の生まれ育った場所は、ここだよ……?」

 「だが夏苗姉さんは逃げ出すことができた。 俺と違って」

 変わり果てた真駒内基地で少女の形見を見つけて以来、夏苗は何かが抜け落ちてしまったかのようだった。札幌が敵の空襲を受け、多くの北日本人が犠牲となった日。目の前にいる姉もまた変わり果てた。

 どういうことだろうか。何故か、脱北に失敗し拷問を受け変わり果てた自分の姿と重なった。

 「………………」

 夏苗は視線を落とし、ずっと握り締めていた掌をそっと開けた。その掌には、小さな鈴が転がっている。

 「帰れ、ない……。 自分だけ、おめおめと帰ることなんてできない……ッ」

 溢れ出る大粒の涙が、夏苗の掌に落ちていく。その内の一粒、二粒が鈴を濡らした。

 「せっかくコウに会えたのに……。 もう、大切な人と別れるのは嫌だ……」

 いなくなった鈴の持ち主。ようやく再会したたった一人の家族。守ると誓った人を、大切な人をこれ以上失う思いをするのは嫌だった。

 「コー……ッ!」

 涙を零し続ける夏苗は浩の胸に顔を寄せる。浩はその身体を抱き締めることもせず、ただ棒のように立っていた。

 「俺は……」

 自分はどうすれば良いのだろう。幼い頃からそばにいてくれた目の前の姉を、自分は突き放すべきなのだろうか。突き放すことができるのだろうか。

 そもそもそれは余りに自分勝手なことではないだろうか。逃げられなかった自分とは違い、家族が目指した理想に一人辿り着いた姉を連れ戻したのは誰でもない自分自身だ。そんな自分が姉の未来に干渉する権利があるのだろうか。

 「(俺、は……)」

 浩が夏苗の身に触れようとしたその時―――

 空襲を知らせる警報が周辺に鳴り響いた。



 

 それは正に空を飛ぶ獰猛な大鷲であった。道に転がる獲物を捕食し、近い内に来る友軍を支援する目的で飛来したことは一目瞭然だった。

 その翼に宿るのは日の丸ではない。またしても星。悪を砕く正義の赤い星ではない、全てを滅ぼす悪の彗星。

 かつて半世紀以上も前、この星を宿す鳥たちが同じ空から兵士たちを殺戮した。今回も同じだ。その鳥たちは再び上空から兵士たちを食い荒らしに来たのだ。

 

 ―――輸送機、いや。……違う、攻撃機だ。


 浩は夏苗を庇うように押し倒した。その上空を凄まじい爆音と強風が通り過ぎる。広場の木々の葉が強風によって舞い上がった。

 猶予も与えない無慈悲な鉄の雨が降り注がれる。機首下部に露出した30mmガトリング砲が火を噴き出し、地上に無数の柱を作り上げた。人間はひとたまりもなく土埃の柱に千切れた身体を持っていかれた。

 穴はクレーターと呼ぶべき。それ程重い砲撃が降り注いだのだ。射撃を浴びた者は、肉片が残っただけでも幸運だ。

 米空軍の近接航空支援(CAS)専用機A-10サンダーボルト。制空権を委ねれば最強の座に輝く攻撃機。

 「敵機三機!」

 耳にするや、顔を上げる。遠ざかった三つの機体が編隊を組んで旋回している所だった。三機が攻撃を仕掛けてきたことに気付けなかった。一機の攻撃だと思う程に一瞬だった。鼻腔につく火薬の匂い。荒れ果てた光景。向こうが戻ってくる前に退避しようと立ち上がった。

 だが、それも一瞬。思った以上に早かった。既に機首は、その露出した砲口はこちらを向いている。鳥なのに、鮫のような笑みを浮かべる顔が見えた。

 「く……ッ!」

 「コ、コウ……!」

 逃げ切れるかわからない。それでも手を引いた。敵機との距離がどれだけ縮まっているのか全くわからない。また、落雷のような爆音が周辺に鳴り響いた。

 遠くから聞こえる轟音。上がる黒煙。日の丸を宿した航空機が黒煙を立ち昇らせる市街の上空にいた。

 ―――日米同盟軍。

 札幌は、自分たちは今、圧倒的な力の下にねじ伏せられている。

 「た、助けて……!」

 「殺される……ッ! 殺されるぅッ!」

 「早く逃げろ! また来るぞぉッ!」

 辺りはパニック状態。必死に逃げ惑う兵士たち。

 敵は手にした制空権を遺憾なく使いこなしている。

 空から攻撃を浴びせられれば対応の仕様がない。敵は制空権を手にするや、徹底的に鉄槌を下している。見事な攻撃。おかげでこちらは一方的にやられるしかない。更に爆撃機が市街を攻撃。地上部隊の航空支援を行っている。

 そう、こんなにも敵は強い。

 明らかにこの国が敵うわけがないのだ。

 この街から逃げ出しても無駄だ。敵はどこまでも追ってくる。そして敗北は覆せない。

 しかし―――

 そんなことはどうでもいい。

 敵がどんなに強かろうが、この国がどうなろうが。

 知ったことか。

 「―――俺はただ、守りたいものを守りたいだけなんだ……ッ!」

 それは昔から、変わっていない!

 部下に死ねと命じてきた。この国に生きて帰る価値はない。死ぬこと以外にこの国から救われる手段はないのだから。

 だが、ただ自分勝手に、自分が救われるためだけに死んでは駄目だ。

 死ぬ気になって、守りたいものを守るのだ。人は死ぬ気になれば何だってできる。どんなに難しくても守りたいものを守れるかもしれないのだ!

 「コウ……」

 再び迫る敵機。また爆音と共に鉄の雨が降り注ぐ。夏苗を庇う。離れた所に土埃の柱が立ち並んだ。

 また立ち上がり、前に進む。すぐそばで、身を寄せる夏苗の感触を感じた。

 「(俺は、やっと……)」

 こうして夏苗姉さんを守るために動いている。

 忘れていた温もり。

 特殊部隊の冷酷な戦士だった自分は何処に去っていったのだろう。

 そこにいるのは、幼い自分がなりたいと願っていた自分の姿だった。

 建物の門の陰に身を隠す浩と夏苗。あの砲撃が直撃すれば簡単に破壊されるだろうが、兵士たちが逃げ惑う丸出しの広場を集中的に狙っている敵機の傾向を見れば直行の避難場所としてはそこしかなかった。

 「コウ、あれって……」

 「……!」

 あるものを見つける。それは撤退支援のために倉庫から運び出された携行式の対空ミサイル兵器だった。近い。走ればすぐに行けそうだ。

 あれで応戦を……

 飛び出しかけた浩を、悪魔の足音が奏でた。

 「同志上尉!」

 「―――!」

 聞き慣れた第803部隊の部下の声。ふと視線を上げると、迫りくる敵機の姿。鉛のような重い爆音が正面から押し寄せる。

 「……ッ!」

 浩は建物の方に引き返そうとしたが、足を止めた。そこに逃げこむことができても、次の攻撃で敵機は遂に建造物の方に鉄の雨を降らせる。それは夏苗の身にも危険を晒すことになる。引き返せない。

 「コーッ!!」

 夏苗の叫ぶ、自分を呼ぶ声。浩は敵機の砲口が光る直前、夏苗の泣き崩れた顔を見た。


 ああ、夏苗姉さんが泣いている。今まで夏苗姉さんを泣かせたことってあったかな?


 あの海峡で夏苗姉さんと引き離された時、北に連れ戻された時、もう二度と夏苗姉さんに会えないと思った。

 だが、会えた。

 俺や父さん母さんが辿りつけなかった場所に、夏苗姉さんは辿りつけたのだ。

 そんな夏苗姉さんを、北に帰った俺が連れ戻してしまった。なんという皮肉だろう。

 もし神様なんてものがいるとしたら、悪趣味にも程がある。こんな形で自分たち姉弟を巡り合わせるなんて。

 だが、もう一度会えたことだけは、良かった。

 子供の頃に誓った、夏苗姉さんを守るという意志を果たすことができた。

 

 ―――俺……夏苗姉さんの知らない所で、たくさん、手を汚した。俺、悪い子に……なっちゃったけど……


 幼い頃から魅せられていた、蒼い双眸が大きく揺れる。

 「ごめんな……」

 爆音が、声を掻き消す。

 夏苗姉さんの叫び声も、聞こえなくなる。

 夏苗姉さんの顔も、瞳も、光に包まれて見えなくなる。


 いつかの夜、一緒に寝た日、まだ小さかった弟に姉が言った言葉。

 

 ―――いつか大きくなったら、大切な人を守るんだよ―――


 そんな言葉を、浩はずっと心に抱えていたのだ。

 そしてその言葉を胸に、浩は大好きな姉を守ると誓った。それだけが、浩が今まで生きてきた中での、唯一のかけがえのない記憶と決意だった。

 浩はようやく果たせたのだ。その意志を。


 夏苗の目の前で、浩の身体が光の雨に呑まれ、消えた―――




 落雷のような音が地上に響き渡った。振動に身を固め目を開けた夏苗の視線の先には、一線に並んだクレーターがあった。そしてそこに弟の姿はなかった。

 「コウ……」

 また、守れなかった。

 また、また、また。

 何度目?

 何度目だ。

 何故、上手くいかない。どうして守れない。

 自分の大切な人が、みんないなくなる。

 「あ……ああ……ッ」

 震えて言葉にならない声を漏らした夏苗はクレーターの方へ駆け出していた。抉られた地面に手を当てる。土くれの中から、弟の残骸をよせ集める。

 「私は……お姉ちゃんなのに……また、あなたを……守れなかった……」

 残骸となった弟に向かって、夏苗は頭を垂れた。遠くの空から、爆音が聞こえる。

 守れなかったものが、また奪われた。今度こそもう二度と、戻ってこない。

 心が震え、身体が悲鳴を上げる。押し寄せる衝動に、耐え切れなかった。

 「―――――ッッ!!」

 慟哭が響き渡る。

 そしてその慟哭に誘われるように、空から再び爆音が迫り来る。

 「うあああああああああ……ッッ!!」

 叫び、駆け出す。

 迫る敵。弟を奪った鳥を落とす。

 矢を装備した弓を取る。鉄の弓。それは唯一鳥を討ち落とせるもの。

 落とす。

 落とす。落とす。落とす。

 また叫ぶ。

 迫る爆音に対抗するように、喉が潰れんばかりの勢いで、叫ぶ。

 それは咆哮だった。

 そして正面に迫る鳥に向かって、鉄の矢が放たれる。


 ―――命中。鳥は翼をもがれ、赤黒い血を流して落下した。


 軌道を変え、あらぬ方向に突っ込んでいく敵機。携行式対空ミサイルの攻撃を浴びたA-10は広場の一角にあった建造物に衝突、炎上した。


 

■解説



●北海道革命大学

戦前は五番目の国立大学として『北海道帝国大学』という名称だったが、北海道戦争後に札幌が北日本の首都に指定された折に同名へと変更された。その時に「優秀な民族幹部の輩出が主な任務である」と語った初代党首の号令から始まった通り、この大学の卒業生は同国社会のエリート層を成しており、政府閣僚のほとんども同大学の出身者である。



●A-10サンダーボルト

米国のフェアチャイルド・リパブリック社が開発した単座、双発、直線翼を持つ米空軍初の近接航空支援(CAS)専用機。戦車から歩兵まであらゆる地上目標の攻撃と地上部隊に対する航空支援などの任務を担う攻撃機でもある。







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