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南北の海峡 -The Split Fate-   作者: 伊東椋
第四部 南北の狭間
37/63

35 真実

 その情報を知った時、間取を始めとした革命軍首脳部は頭から冷水を被ったかのような錯覚を覚えた。

 千歳基地から届けられた驚くべき情報は、最後の砦を制圧したと聞いて浮かれていた彼らに容赦ないストレートを鳩尾に叩き込んだ。

 千歳基地を離陸した二機のSu-30の内、一機が撃墜されたこと。そして、爆装した敵戦闘機の編隊が札幌に向かっていること。

 「一体どういうことですかッ!」

 間取は荒げた口調で声を張り上げながら、両手の手のひらで机を叩いた。

 周りの幹部たちは困惑した色を浮かべ、更に細かい状況を把握しようと通信兵を中心とした兵士たちが騒ぎ立っている。

 前政権の思惑による南日本との武力衝突を端に発し、再び燃え盛った戦火の灯火。南日本との全面戦争という危機は間取にとって、今回のクーデターにおける計画の一環に過ぎなかった。南日本との本格的な闘争は、新政権を発足させて事を収める予定だった。祖国を救済することが目的であって、南日本や米国との戦争は望んでなどいなかった。

 しかし間に合わなかった。実際には、戦闘機を撃墜され、しかも爆装した敵の編隊が接近している。敵はこちらの事情などお構いなしだ。

 更に―――

 「―――米軍機が札幌に来るなんて、冗談じゃないですよ!」

 正に最悪の一言だ。確かに米国は南日本の同盟国だが、米軍が直々に手を掛けてこようとは―――同盟国が攻撃されたのだから当然の行動だろうが、ここで同盟国の義務を果たされても非常に困る。

 間取は怒りより焦燥を感じていた。クーデター以降、南日本軍の動きは確認されていない。だがそれは間違いで、実際には南日本海軍の連合艦隊が太平洋と日本海側から北海道への接近は止めていないし、境界線付近で北日本海軍の一部艦隊と衝突している。クーデター時の混乱で正確に情報が知れ渡っていないのは皮肉だった。

 しかも最後の懸念事項だった札幌司令部は、籠城していた秘密警察の将校と兵士のほとんどが投降し制圧はほぼ完了したという報告があったが、間取はまだ、現場の指揮を任せていた浩の声を直接聞いていないことに気付いていなかった。

 札幌司令部での戦いは、まだ終わっていない―――



 

 地下の筈なのに、どこからか吹いてきた冷たい風がひゅるりと頬を撫でる。

 地下作戦室に続く坑道の真ん中で、睨み合いが続いていた。一方はライフルを構え動向を探っているが、一方は人質に拳銃を向けつつ、別の拳銃も敵に向けている。

 政治将校の女性将校が一人、その両側に護衛と思われる兵士が二人。兵士はライフルの銃口を自分たちを追いかけてきた敵に向け、女性将校は人質の女を捕まえ、その頭部にマカロフ拳銃の銃口を密着させている。人質の女は特に怖れた色も浮かべず、ただ緊張を抑えるような表情で抵抗もせず、目の前に視線を向けている。

 「動くな、女の命はないぞ」

 人質に拳銃を向けた女性将校が―――沙希が冗談ではないような口調で強く忠告する。ぐっと押しつけるように銃口を頭部に向けられる人質の彼女は、唯一日本人離れした蒼い瞳を横へ動かす。

 沙希の言うように、浩は一歩も動かなかった。同伴した二人の部下も、浩に倣うように動いていない。

 大人しく従っている浩を見詰め、沙希は初めて微かに笑った。

 「ここまで嗅ぎつけるとは、さすが同志上尉だ」

 かつて様々な任地を共にしてきた戦友に賞賛を送るように沙希は言葉を紡いだ。浩もまた普段と変わらない様子で言葉を返した。

 「忠義に厚い同志中尉なら、そう簡単に降伏を認めないと思ったからな」

 相変わらず愛想の欠片もない表情で呟いた浩の顔を前に、沙希はくっと吹いた。

 「ふふ、同志上尉は相変わらずだな……知ったような口を……」

 沙希はほくそ笑み、その表情を隠すように俯いた。人質の夏苗が僅かに首を動かし、その表情を垣間見る。

 しかしそれは一瞬で、すぐに顔を上げた沙希は大きく息を吸い上げると、浩に向って言い放った。

 「我々と共に来てはくれないか、同志上尉」

 沙希の言葉に一番驚いたと言わんばかりに夏苗は大きく目を見開いた。しかし当の本人の浩はぴくりとも表情を変えない。

 「もう一度、私と一緒に歩いてくれないか。 私一人では、この先の道を見つけることができない。 上尉が道を照らしてくれないだろうか」

 それは命令ではなく懇願だった。沙希は自分の隣に浩がいることを望んでいた。

 似た者同士だと、沙希は思っていた。政治将校として部隊に派遣され、部隊の兵士たちの履歴を確認している内に見つけた自分と似たような境遇を持つ男。彼を求め、彼の人肌を通じて懐かしい温もりを得て、彼と共に歩んできた短い時間。自分の人生は泥と血の方が多くまみれていたけど、浩と共にいた時間だけが人らしい人生だったと思えた。

 一時期は分かれてしまったけど―――またもう一度、隣にいたい。

 そういう女らしい、人らしい望みを抱くことも、世界でただ一人だけだった。

 「……悪いが、それは承諾できない。 俺は任務を完遂し帰還しなければならない」

 浩ははっきりと言った。その鋭い瞳は揺らいでいない。

 「東堂沙希中尉、今すぐに人質を解放して我々に投降しろ。 通告が受け入れない場合は、然るべき措置をとる」

 沙希は微かに笑い、呟く。

 「出来るのか、上尉? 人質がいるのだぞ」

 人質の生死が懸っていることを誇張するように強く夏苗を引き寄せ、マカロフの銃口を頭部に押しつける。浩はやっぱり動かない。

 「如何にどのような作戦も完遂した同志上尉と言えど、他者の命を救出するのは前代未聞だろう。 本当に私を殺し、この女を救けることが同志上尉に出来るのか?」

 北日本最強の特殊部隊と名高い第803部隊の指揮官として、今まで如何なる任地に従事してきた浩でも、他者の命は奪っても救うことは滅多になかった。

 「同志上尉、貴様がいればここから脱することも可能だと私は信じている。 もし私と共に来てくれれば、この女の命は助けてやる」

 「…………」

 浩はやはり動かず、押し黙るばかりだ。先ほどの威勢の良い言葉は何処へやらだ。

 「通告が聞けない場合に損をするのは、そっちの方だぞ……!」

 沙希は一度夏苗の頭からマカロフの銃口を離し、その銃口を天井に向けると引き金を引いた。銃声が響き渡り、銃痕を作った天井からぱらりと欠片が降り注いだ。

 銃声に肩を強く硬直させた夏苗と、さすがにぴくりと動いた浩は、じっと警戒するように沙希を見据える。

 見据えられた沙希は、笑っていた。

 「次はこの女の身体に撃つ。 さぁ、どうする? 同志上尉」

 銃口を夏苗の頭部に戻した沙希は、押し黙る浩に向かって更に口を開いた。

 「……どうした、同志上尉。 何故そこまでこの女の救出にこだわる?」

 そんな沙希の言葉に敏感に反応したのは、浩ではなく夏苗の方だった。

 「同志上尉ならこの女もろとも私を殺す方法を取ってもおかしくないだろう。 私さえ殺せば作戦は終わるというのに、如何なる時も勝利を優先としてきた同志上尉にしては珍しいことだ」

 落ち着いた様子で沙希は浩に告げた。夏苗は浩の方に視線を向けた。

 そして夏苗は、信じられない言葉を耳にした―――


 「―――この女が、生き別れた義姉だからか?」


 世界から切り離されたかのような空気が広がっていく。

 捕らわれの身を硬直させた夏苗は、おそるおそる浩の瞳を見た。

 どんな時も鋭い瞳―――

 その瞳と、幼い頃の記憶にある弟の瞳が重なる。

 「…………コウ?」

 その懐かしい発音に、仮面のような浩の表情が大きく揺らいだように見えた。

 それは一瞬でありながら、これまでにない程の大きな揺らぎ。

 「生きていた唯一の親類を亡くすのはやはり惜しいのだろう? 如何に同志上尉が氷のように冷たい戦士であっても、所詮は同志上尉も人の子ということだ」

 私にはそういう存在は一人もいなかった―――閉ざした口の中で、沙希は続けた。

 泥と血に押し流されていた母の温もりは、浩と肌を重ねることで得てきた人の温もりを通じ、徐々に母の記憶を掬い上げてきたが―――それは過去に過ぎず、既にこの世にないもの。

 しかし彼は違う。遠くに離れてしまったと思われていたものが、数奇の運命を辿って彼のもとに帰ってきたのだ。

 そこが私と彼の違う所―――その境界は、果てなく遠くて深い。

 「姉を救いたければ我々と共に来い、同志上尉。 拒否するのであれば―――」

 夏苗の頭部に向けたマカロフ拳銃の引き金に触れた指をぐっと強める。ごり、と押し付けられる銃口の感触を感じながらも、夏苗は大きく息を吸い込んだ。

 「―――駄目ッ! 私に構うことなんてない……ッ!」

 あれが本当にあの海で生き別れた弟なら、弟を守る姉として、今回も守り通さなくては。

 あの時、守れなかった。

 だから今度こそ弟を守りたい。大切な人は二度と失わない。私はそう決めたのだから―――

 「―――私が……!」

 「貴様……ッ!」

 沙希が歯を噛み、暴れる夏苗を抑えつけながらマカロフの銃口を夏苗の頭部から離す。その代わり、その銃口を命に別条はない程度の、抵抗を止める程の強い痛みを与えられる部位に銃弾を撃ち込むために銃口の向きを変え、引き金に指を触れる。

 その光景を見た浩が、お互いの兵士たちが互いに銃口を向け合った時―――

 「……なんだ?」

 頭上から地鳴りが聞こえた。いや、違う。何かの轟音か、爆発音か―――

 そんな不審な音を全員が知覚した直後、頭上からこれまでにない轟音が鳴り響くと同時に、大きな衝撃がその場にいる全員に襲いかかった。


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