34 垣間見える本質
作戦は思いの外、順調に進んだ。
地下の秘密通路から司令部内に潜入した第803部隊の一個中隊が門に留まるBMP-1に初撃を浴びせ、それを合図に突入部隊が閉鎖された各門に突入、秘密警察側の使用するBMP-1を無力化し、制圧を開始した。
北日本最強の特殊部隊と謳われた第803部隊の功績によって、政治総省の残党と称するべき秘密警察将校・兵士たちが籠城していた札幌司令部という要塞は崩壊し、遂に軍部隊の猛撃に晒されることになった。
怒涛の勢いで押し寄せたクーデター軍部隊を前に、秘密警察側の抵抗は長くは持たなかった。秘密警察側は果敢に抵抗の意志を示したが、その果てに遂に生き残った残りの将校や兵士たちも投降した。
積もった雪に兵士たちの赤い血が染み込んだ司令部の戦いは、ここで終わりかと思われた―――
首都圏を中心に各赤軍の基地の指揮系統を賄う札幌司令部の地下は『司令塔』としての機能を果たす地下作戦室が存在する。かつて日本共産党党首は、他国との戦争状態となった際に首都が直接の脅威に晒された場合を想定し、地下シェルターとその内に設ける司令塔作戦室の設置を指示した。
通常より5倍の人員が入室できる程に広いスペース。国内中の基地と繋がっている指揮系統設備、核攻撃にも耐え得る外殻と、100人の人間が半年程居住できる食糧と水。籠城するには持って来いの場所だ。
手錠と腰縄で縛られた夏苗は、地下坑道を歩く沙希に言葉を投げた。
「どこまでも往生際が悪いのね、あなた……」
沙希の鋭い視線が、夏苗に向けられる。
夏苗は蒼い瞳に一切の光も失っていなかった。獄中にいる間は何度も拷問に身を痛めつけられたにも拘わらず、まるでその意志は揺らいでいない。
「(そうか、腹立たしいがこの女も……)」
沙希はやっと理解した。
目の前にいる彼女もまた、諦めていないのだ―――
絶望を前に、決して諦めない強い心。今の地位に昇り詰めるまで、沙希も今の夏苗と同じように苦痛や不条理を乗り越えてきた。
夏苗はずっと諦めていなかった。あの告白から、ずっと―――
「……罵声を浴びたり、殴ったりしないの?」
今までなら夏苗が口を開こうものなら問答無用で暴力を振るわれるかだった。しかし夏苗が見る限り、今の沙希はどこか落ち着いた様子だった。
「ここに来て、言論の自由が許されるなんてね」
「貴様は南でどれだけ我が祖国の捏造された事情を聞かされてきたのだ?」
「捏造? むしろ外に出てから、この国がどれだけ酷かったのかを思い知らされたけど」
「その国の真実はその国でしかわからない。 他国の言い分等、所詮自らを棚に置いた話でしかないものだ」
沙希はほくそ笑みながら言葉を紡ぐ。夏苗は若干の驚愕を覚えるが、会話の相手を快く受け入れ続行した。
「それをあなたが言うの?」
「これはそういうものだ。 敵国を極悪非道の国家として宣伝することはいつの時代も変わらない」
「じゃあ、あなたも認めるの? この国の……してきたこと」
「……………」
沙希の言い分を考えると、それは祖国である北日本にも十分に当てはまる。北日本だって南日本をどれだけ悪に仕立てるように宣伝してきたのか、夏苗は幼い頃の記憶で知っている。また、南日本がどこまで北日本の事情を把握しているかは知らないが、沙希は北日本の所業は北日本の国民自身が一番よくわかっていることを暗に言い切った。
今回のこの現実がそれを証明している。
「結局、私達は弾圧し、抑制することしかできなかった。 結果的に国民が祖国に反発の意志を示すことになったとしても、それでも私は―――祖国を愛している」
夏苗は大きく目を見開いた。
これまでの彼女とは違う、彼女の本質を見た気がした。彼女の瞳もまた強い意志を示しており、そして愛する人を想うような、愛しさを垣間見せている―――
「社会主義の体制を目指し、労働者の理想を忘れることなく、繁栄の道を辿ってきた祖国を誇りに思っている。 それだけは譲れない……」
「……………」
「そしてこの国に忠誠を誓ってきた自分の人生を後悔なんかしない。 私の人生は泥にも血にも満ちていたが、確かに温もりもあったから」
ああ……と、夏苗は微かな吐息を漏らした。
彼女は本気でこの国を、そしてこの国にいる誰かを愛しているんだ―――
だからここまで―――強い。
「……お喋りが過ぎたようだな」
夏苗は思った。もしかしたら、彼女は誰かにその思いを知ってほしかったのではないだろうか。
夏苗は自分の口に隔たりのない自由を感じる。手錠と腰縄で身動きを封じられても、口は封じられず自由を許されていた。黙れ、と言うのならテープでも何でも良いから直接口を封じれば良いのだ。しかし彼女は何もしなかった。
お喋りが過ぎたようだな―――彼女はどこかで、話相手が欲しかったのではないだろうか?
一瞬、ある男と彼女の姿が思い浮かんだ。
「(考え過ぎ、かな……? どちらにしても―――)」
夏苗は切れた唇を舐め、緩やかに言葉を滑らせるように口を開いた。
「あなたとまともに話せて、ちょっと良かった……」
そう言った夏苗の言葉に、沙希は何も返事をしなかった。
「……ねえ、一つ聞かせて。 あなたは、あの男の人を―――」
夏苗が言いかけた途端、背後から足音が鳴った。直後、夏苗は身体をグイ、と強く引っ張られるような感覚を覚えた。
気が付いた時には、夏苗は手錠をはめた両手を背後に持っていかれ、額の横に冷たい感触が触れた。
「―――動くなッ!」
沙希の声。夏苗の視線の先には、見たことのあるリーダー格の男を含めた武装した兵士たちがいた。
2014年12月5日午前11時03分
石狩沖上空―――
千歳基地を離陸した人民空軍のSu-30戦闘機が2機、雲が厚い石狩沖の上空を飛行していた。
札幌でのクーデターによって国内は非常事態となっているが、元々南日本との戦争状態だったので、日本海から接近する南日本海軍の情報を聞き付けた人民空軍は偵察機を向かわせた。
石狩沖は低気圧に覆われ、戦闘機が飛ぶにはあまり嬉しくはない天候だった。札幌市では降雪が予報され、石狩沖も例外ではない。石狩沖の海上は濃い霧に覆われ、上空も厚い雲が広がっている。
明らかに偵察どころか飛行に不向きな天候だ。しかし状況が状況だから飛ばざるを得ない。
「南との戦争だと思いきや、矢継ぎ早にクーデターとは人民軍も忙しいこった、ですね」
「そう言うな、松本。 事と次第によっては次の新政権で、俺たちは南や米帝と戦わなくちゃならんのかもしんねえんだぜ?」
「クーデターの奴らも、南や米帝と戦争する気満々なんですか?」
「さぁ、知らん。 兎も角政権が代わろうが、戦争は現在進行形だ。 南の奴らが空気を読んでくれるかわからんが、一応警戒は怠らないに越したことはない」
「しっかし、見えるんですか? この天候で」
「行ってみるしかあるまい」
厚い雲を抜け、うっすらと眼下に海が見える空に出る。その時、機体に搭載されたレーダーが敵を捉えた。
見下ろしてみると、うっすらと幾つかの船影が見える。それは41度線を突破してきた敵の大艦隊だと予測した。
「カムイへ、こちらカムイチカップ01。 敵艦隊と思しき船影を確認。 位置は―――」
パイロットは酸素マスクの中から状況を伝える。肉眼ではよく見えないが、明らかに規模の大きい艦隊が向かってきている。
「―――ッ! 警報! 敵機!!」
突然けたましく鳴り響くアラート音。即座にチャフとフレアを巻きながら回避行動に移る。Su-30のパイロットの視界には、ミサイルの噴煙が見えた。
『―――こちら02! 助け……』
その瞬間、僚機の通信が途切れる。それを合図とするように、味方の識別反応が一つ消えた。
遠距離からのミサイル攻撃だった。そしてレーダーはここで初めて敵機を見つけた。
「南日本の連中か……!? くそ―――」
「先輩……! 敵は何機もいます……俺たちだけじゃ……!」
「畜生、基地に連絡! 引き返すぞ!」
パイロットは機体を翻し、反転する際に接近する敵の戦闘機を見た。そして驚愕した。
「クソッタレ! なんてこった! 奴ら―――」
彼が見た機体は南日本の領空で見たF-15でもなく、先日見たばかりのF-2でもなかった。それより小さくスリムで、フランカーと同じ複座式の機体―――
「F/A-18Fスーパーホーネット……アメリカ海軍だ……!」
米軍が開発した世界最強の戦闘攻撃機。イラクでも脅威を見せた米空母打撃群の番犬―――
空中戦の勝敗を決するあらゆるシステムが最高潮に達するF/A-18Fを前にしたら、いくら機動性が高いSu-30であっても、気付く前に撃ち落とされなかっただけでも幸運だった。
退避するSu-30だが、敵機は編隊を組んで一方向を目指している。その先は―――
「―――奴ら、俺たちの首都に向かってやがる! 敵が狙っているのは、奴らの攻撃目標は札幌だ!」
■解説
●札幌司令部地下作戦室
札幌司令部の地下に作られた作戦室。日本共産党党首が命じて作らせたもので、有事における首都の最終的な非常作戦室となる。非常時は首都を中心に各地の基地との指揮系統を担うことを目的としている。核にも耐えうるとされ、食糧や水も十分に貯蔵されていることから、地下シェルターとしても利用できる。
●F/A-18Fスーパーホーネット
米海軍の艦上戦闘攻撃機。マクドネル・ダグラス社が開発したF/A-18A-Dホーネットの発展型戦闘攻撃機であり、この機体シリーズの総称としてはF/A-18E/Fと呼ばれる(単座型のF/A-18Eと複座型のF/A-18Fからなる)
航続距離や兵器搭載能力の向上を図り開発され、ステルス性を考慮した機体構造となっている。
そのため、作中の人民空軍のSu-30パイロットたちはミサイル接近の警報受信機が鳴り響くまでその存在に気付けなかった。