32 革命行動
2014年12月5日午前03時02分
日本人民共和国・首都札幌・札幌司令部―――
長らく北日本国民を掌握してきた政治総省の秘密警察の一部が赤軍の札幌司令部に籠城して一夜が過ぎようとしていた。
強く降り続いていた雪は夜になると勢いを衰え、翌早朝になると一旦の静寂を見せた。しかし札幌の空を覆う雲は厚いままで、朝になればまた一降りありそうだった。
そんな天候と同じように、司令部を取り囲む軍部隊と秘密警察の戦闘も膠着状態を維持していた。
現役国防大臣を首謀者として起こったクーデターは、易々と首都札幌の政治や経済、軍事の各主要施設を占拠した。首都を守るはずだった首都防衛第一師団を始め、反旗を翻す行動に呼応した赤軍の部隊や偵察局特殊部隊第803部隊が主力となって国家に立ち向かった。
北日本は建国以来、小規模の暴動や民主化運動はあったが、ここまでの大規模な叛乱行為はこれが初めてだった―――
「―――同志諸君」
札幌司令部付政治将校が、目の前に並ぶ秘密警察の将校や兵士たちに向かって呼びかける。司令部に籠城する彼らの数は、司令部を包囲している叛乱軍に対して圧倒的に劣勢であった。
それでも彼らはまだ諦めていなかった。如何に自分たちを取り囲んでいる状況が絶望的であっても―――
「昨日、叛乱軍部隊が首都を占領したことは同志諸君も知っているだろう。 同志党首が亡くなり、南の傀儡共が我が国を侵略しようとしている矢先に、その隙をつけこむように祖国を裏切る行動に出たのは信じ難い程に卑劣である。 このような卑劣な輩に祖国が侵されるのは、耐え難い侮辱だ!」
司令部付政治将校の言葉に秘密警察の将校や兵士たちが静かに耳を傾ける。彼らはこれまでに国民や軍を監視し、祖国の安定に貢献してきた自負があった。かつての弾圧や監視の対象だった側からの攻撃は、彼らに恐怖と怒りを沸かせた。
「我々は生まれた時から同志党首に忠誠を誓い、死ぬ時も同志党首の忠誠の下に死ぬ! 死ぬ前に、同志党首に逆らう不埒者共を皆殺しにすることこそ、亡くなった同志党首への忠誠の証だ!」
ザッ、と一斉に全員の姿勢が正しくなる。まるで彼の隣に崇拝する党首がいるのかのように―――
「事前にこの事態を防ぐことが出来なかったことは政治総省としては極めて無念であったが、こうなった以上は反逆者共を地獄の淵に叩きこむ他無い! 同志諸君の武運を祈る―――!」
司令部付政治将校の一喝を合図に、共和国万歳、党首様万歳の合唱が沸き立った。
建国から北日本を掌握し続けた秘密警察として、彼らは最後まで抵抗を続けようと決意した。
彼らの手元には、司令部にあった軍の装備や武器が揃っている。
北日本にとっての長い一日が始まろうとしていた―――
同時刻
首都札幌・真駒内基地―――
札幌市南区にある真駒内基地は、現在は革命軍の拠点として機能していた。首都防衛第一師団の司令部等が置かれている真駒内基地は本来北日本における最大の人民赤軍の基地だった。
東側の大きなグラウンドには、今回の『革命行動』に参加するために用意された軍車両等が置かれていた。
秘密警察の一部に奪われた札幌司令部を除いて、首都のほぼ全域を占領下に治めた革命軍は真駒内基地にて札幌司令部籠城戦の突破口を探っていた。
真駒内基地の会議室には首謀者の間取を始め、革命軍幹部たち、そして南日本皇族の伏見宮陽和も臨席されていた―――
「我々の『革命行動』はあと一歩の所で、最大の難関に直面している。これを解決しない事には、共和国の明日はない」
現役の国防大臣でありながら、革命軍のクーデター実行の作戦名である『革命行動』を計画した首謀者である間取が幹部たちを見渡しながら言った。
ただの籠城なら、いくら軍隊並みに訓練を積んでいる秘密警察が相手と言えど、本物の軍隊である自分たちが素直に突入を図っても負けるはずがない。しかし事態はそう単純にはいかない。
幹部たちの意識が微かに陽和のもとに向かう。最もこの場に、この国に似つかわしくないはずの彼女がいることが複雑な事態を物語っていた。
「相手が秘密警察と言えど、我が軍が負ける事はあり得ない。 強行突入を仕掛け、一挙に敵を殲滅すべきだ」
幹部の一人が声を上げる。
その言葉は、間取だけではなく陽和にも向けられているように感じられた。
「一人の人間の命より、より多くの人民を救うことが先決だ。 我々が決起した理由を忘れているわけではあるまい!」
その幹部の言葉は、他の幹部たちも同意見だった。
彼らの掲げる『革命行動』を完全に成功させるためには、北日本の軍事力を掌握し、長年の禍根だった政治総省を叩き潰す必要があった。
札幌司令部に籠城する敵が捕えた人質は所詮南日本の人間であり、我が国の国民ではない―――そういう意思が確かに突入を主張する幹部たちの内にあった。
「人の命を天秤にかけるべきではない」
間取が真剣な表情で返し、先程まで言葉を並べていた幹部の口が詰まる。
「そう思いませんか?」
微笑む間取に、場の空気がシンと固まる。
「そもそもこのように事が進まなければ、我々の計画も断行されなかったのですよ? 彼女たちの存在無くして、計画の断行があったとお思いで?」
いつもの口調に戻った間取の言葉に、幹部たちの口が閉じられる。
間取の視線が、会議が始まってからずっと静かに佇んでいる少女の方へ向けられる。
彼女はまるで人形のように佇み、自ら口を挟むこともせず、間取たちの動向を静かに見守っていた。
会議室を離れた間取が、三人の幹部を呼び止めた。
「……他の三軍はどうなっている?」
今回のクーデターに同調した海軍少将に疑問を投げかける。間取に呼び止められたのは、それぞれの軍幹部だった。
「我が海軍は現在、南日本海軍の襲来に備えて全艦隊を軍事境界線付近に集結させていますが、既に各艦の政治将校は『革命行動同志』によって逮捕、尚も抵抗する者は容赦なく射殺する措置を執りました」
「それで良い」
こんな事はあの少女には聞かせられない。だから間取は会議が終わるのを見計らってこんな会話をしている。
「空軍も海軍とほとんど同じです。 千歳基地は既に我が方に取り込んだとの連絡がありました」
「国防軍も同様です。 ただ、全ての将兵が同調の意思を見せたわけではありませんが、この革命が成功すれば彼らも賛同するはずです」
北日本各地の軍部隊も『革命行動』に次々と呼応していた。札幌以外の各地における計画の進行は正に順調だった。
「よし、よし。 後は札幌を完全に占領できれば、革命を達成できたも同然だ」
首都札幌は北日本の象徴だ。地方と比べ格段に優遇されてきた現実もあり、札幌を占領することは北日本を掌握したも同然だ。
「この計画は絶対に成功する。 『人質』を決して殺さず―――我々が目指す『日本』の理想の姿は目前だ」
笑みが綻んだ間取の口から言葉が漏れる。幹部たちも笑みを浮かべた。
「……………」
そんな間取たちの姿を、陽和が遠くから眺めていた。
2014年12月5日06時10分
首都札幌・札幌司令部前―――
札幌司令部は国道を側面に据えており、また市道によって南北に分断されている。占拠されたのは司令部の中枢部がある西側であり、門前の国道には埋め尽くすようにクーデター軍の戦車や車両が取り囲んでいる。
国道沿いの門前は閉鎖されているが、門自体は戦車で突破できない程強固なものではない。門には監視カメラが設置されているから籠城する秘密警察側は随時門前の状況を監視していることだろう。兵士の降下を図ろうとし失敗したヘリ部隊の情報から、更に閉鎖された門の向こうには4輌のBMP-1歩兵戦闘車が確認されている。
「門から正面突破を掛ければ、こいつの餌食になるのは確実だ。 装備されている73mm低圧砲は対戦車擲弾発射機のようなもので、『士魂号(T72戦車)』だろうが簡単に撃破される」
札幌司令部の構図を広げた机上を見渡しながら、浩は解説した。
指揮車内で、浩は他の将校たちと共に司令部攻略の糸口を探っていた。
札幌司令部にあった歩兵戦闘車。秘密警察側は歩兵用の携行火器だけではなく、装甲車まで使っていた。
番犬を務めるBMP-1歩兵戦闘車の73mm低圧砲は浩の言った通り対戦車擲弾発射機と同様で、その発射原理はRPG-7ロケット砲とほぼ同じである。PG-9対戦車擲弾の後部に付いている発射薬で撃ち出し、直後に4枚の安定翼が展開、擲弾底部のロケットモーターが点火され700m/sまで加速し目標に向かう。
「有効射程は1300m。この擲弾は飛翔速度が遅く横風の影響を受けやすいため、遠距離での命中精度はかなり低いが、この距離なら充分に威力を発揮する。更にこの73mm砲は俯角がほとんど取れないから、こいつより低い位置にいる目標には砲を照準することが出来ない。又、砲塔がスタビライザーで安定化されていないため、走行中に発射することもほぼ不可能だ」
浩はBMP-1が配置されている位置を指で叩き、言葉を紡いだ。
「―――そこが勝負だ。 如何に歩兵が素早くこいつと近接するかだ」
将校たちの表情が引き締まる。浩は普段と変わらない無表情のまま続ける。
「73mm砲とは別に―――注意すべきなのは主砲上にある9M14『マリュートカ』対戦車ミサイルだ。 こいつは基本的に停止中でないと発射できない。再装填は防盾後方に設けられている再装填用ハッチから車外に出ることなく1分以内にミサイルの再装填を行うことが可能だ」
門を見張る敵は移動する必要はほとんどない。砲塔と同時に、ミサイルによる攻撃も危惧せねばならない。
「司令部に突入、攻略を達成する際には、こいつを打破せねば始まらない」
北日本は1990年代にBMP-1をロシアから約200輌ほど導入した。BMP-1は既に旧式化した車輌だが、北日本軍にとっては有力な歩兵戦闘車であり、2000年代にかけて機甲旅団内の機械化歩兵大隊に集中配備された。
「―――だが、決して勝てない相手ではない。 車体の装甲板は、中距離からの機関銃弾が貫徹する程に薄い。そのため車体右側のエンジンルームや後部ハッチ兼用の燃料タンクは簡単に発火する」
またこの歩兵戦闘車の弱点としては、車高が2mと低いので兵員室が異常に狭く、乗車している歩兵は這うようにして後部ハッチまで進まないと下車できない仕組みになっている。これらの弱点は通常なら使い辛い73mm低圧砲と共に、ソ連軍のアフガニスタン侵攻の際に大きな問題となり、後のBMP-2でいくつか改善が行なわれた。
「敵は俺たちの所有物を玩具のように扱おうとしているが、本物の戦い方を奴らに教えてやろう」
浩の言葉に、その場にいる誰もが頷いた。
しかし突入命令はまだない―――それもそうだ。向こうにいる“人質”を考慮する以上、簡単にこの事態を動かすことはできなかった。
浩は外を見た。また吹雪きそうだ。雪がぱらぱらと降り始めていた―――
■解説
●革命行動
今回の間取率いるクーデター軍のクーデター実行における作戦・計画名。
●真駒内基地
首都札幌の南区にある人民赤軍最大の基地。首都防衛第一師団の司令部等、様々な部隊も配備されており、首都防衛の中核を担っている。因みに党中央委員会が主催となって国威のために開催している雪祭りにおける真駒内基地の雪像製作隊は有名。
●BMP-1歩兵戦闘車
1990年代から導入を始めた北日本軍の戦闘歩兵車。2014年現在においては既に旧式と化しているが、北日本軍では有力な戦闘歩兵車として活用されている。北日本軍では『羆号』と呼称されている。
●T72戦車『士魂号』
北日本軍の最新式戦車。真駒内基地の第11戦車大隊が保有している。クーデター軍側の戦車として札幌司令部の包囲に参加。旧式としてはT62戦車『神風号』等がある。