31 籠城戦
吹き付ける雪が強さを増し、兵士たちの鼻も随分と赤くなっていた。
札幌の各主要施設を占拠したクーデター軍は、赤軍の上級司令部に位置付けられる中央区の札幌司令部の門前にいた。札幌司令部は真駒内の部隊が襲撃する予定だったが、逸早く情報を掴んだ秘密警察の一部が札幌司令部を占拠し、籠城に入った。札幌司令部は抵抗を続ける秘密警察の将校や兵士たちの要塞と化していた。
秘密警察の兵士たちは札幌司令部にあった軍の装備や武器を手に、真駒内の部隊を撃退し、今もクーデター軍と対峙していた。
札幌司令部が陥落できなかったのは、少し想定外だった。
政治総省―――秘密警察の人間がここまで抵抗を見せるとはあまり想像できていなかった。
戦闘のプロである軍に対し、同程度の抵抗を見せ付ける秘密警察の兵士たち。
伊達に軍に将校を送り、軍をも監視していたわけではないようだった。
政治総省を甘く見過ぎていたのかもしれない。彼らは何十年も軍だけではなくこの国を掌握し続けていたのだ。
間取は指揮車内に入ると、真っ先に現場の指揮官に声をかけた。
「大分、苦労しているようですね」
現在の札幌司令部攻略の指揮官であり、第803部隊の指揮官でもある浩は、クーデター首謀者の男の顔に視線を向けた。
「敵は想像以上に強硬な抵抗を見せている。 秘密警察とはいえ、正規の軍部隊に申し分ない戦いをしている」
「やっぱり政治総省は最後まで厄介ものですねぇ」
間取は苦笑のような笑みを漏らすと、浩の隣からディスプレイの画面を覗き込んだ。
「敵はそれ程、武装してるってことですか?」
「司令部にある装備や武装をしっかりと使いこなしている。 先程、ロケット弾でヘリが一機撃ち落とされた」
兵士を乗せたミル輸送ヘリが司令部の上空から降下部隊を送り込もうとしたが、敵のロケット砲によってまんまと撃ち落とされてしまった。この時点でクーデター軍側は死傷者を出してしまっている。
「ヘリを撃ち落とせる程の武装はあるってことか」
真駒内の戦車大隊も司令部の包囲に加えたが、敵は簡単には降伏する意思を見せないだろう。
何せ、向こうには“人質”がいる―――
「『人質』は無事なんですか?」
「……………」
伏見宮陽和と共に北日本に連れてこまれた、八雲夏苗中尉―――
彼女は陽和とは別にされ、密出国者として沙希が政治総省の権限を以て司令部の地下に幽閉した。
司令部は政治総省・秘密警察の一部が籠城している。つまり、沙希が司令部を占拠し、夏苗を人質にとっている。
「彼女の約束を破るわけにはいきません。 どうか八雲夏苗の無事を―――」
「わかっている」
間取の言葉を遮るように、浩は言った。
「現時点では八雲夏苗の無事はわからない。 しかし、敵が籠城を続けている以上、彼女が人質にとられている可能性は充分に高い」
浩は毅然とした物腰で言葉を続けた。それはまるで間取ではなく、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
「しかし必ず任務は成功してみせる。 たとえ、―――死んでもだ」
第803部隊に、常にとりつく“死”の文字。
しかしその時の浩の紡いだ文字は、普段とはまた違う意味を含ませているようにも思えた。
「八雲上尉、雪が更に酷くなっています。 再度のヘリによる接近は難しいと思われます」
「そうか。 ヘリはもういい、地上で肩を付ける」
間取はふと車内の窓を見た。窓はこびり付いた雪で凍りつき、真っ白に包まれていた。
札幌司令部は秘密警察の占領下にあった。広場での騒ぎからすぐに事態を察知した秘密警察の一部が、沙希の報告も合わせて、急遽司令部へと入った。叛乱軍の配下に落ちる前に、彼らは司令部の強奪を行った。
真駒内の部隊をなんとか撃退し、近付いた輸送ヘリを一機撃ち落とすと、戦闘は膠着状態になった。
札幌司令部は赤軍の上級司令部である。主な指揮系統を担う司令部まで敵の手に落ちれば、赤軍は完全に祖国の敵と化す。
赤軍は北日本国内においては最も大きな軍事力である。赤軍が掌握されれば、北日本を占領するなど容易いことだ。
しかし大半の部隊が敵側に寝返ったことは想像に容易かった。敵の戦力を見れば造作もないことだった。
―――政治総省は自国民の裏切りが一番許せない―――
内部の粛清、国民の弾圧、監視、様々な泥沼を踏み越えてきた彼らにとって、その心情が最後まで彼らを奮い立たせた。
こうなってしまっては全てが終わるのも時間の問題だろう。今までの国民や軍に対する政治総省の行いから察すれば、捕らわれれば甚振られ、敵の憎悪に蹂躙される。
簡単には殺されない。せめて足掻いて足掻いて足掻きまくって、一矢報いてやる―――
「……恥知らず共め。 資本主義者共との全面戦争を前に、味方に手を掛けるとは―――」
沙希は唇を強く噛みしめた。噛んだ唇から赤い血が滴る。
沙希の周囲にいる護衛の兵士、他の将校も全員が武装していた。それらは司令部にあった装備である。
秘密警察と言っても彼らもまた軍隊並みの訓練を受けている。本物の軍人とは対等に戦える程の力はあった。
「敵の動きは?」
別の将校が尋ねる。彼は司令部付の政治将校だった。
「今の所、膠着した状態が続いています」
また別の若い将校が答え、司令部付の政治将校は頷く。彼がこの中で一番階級が高かった。
司令部付の政治将校となれば、その政治将校もまたエリートである。司令部に赴任する政治将校は政治総本部から出向した上級将校であることがほとんだ。
「同志少佐、敵が強行突破を仕掛けるのも時間の問題です。 それまでに何としてでも脱出を―――」
「何を言っている、貴様!」
言葉を続けていた若い将校がびくりと震え、沙希が鬼の形相で詰め寄る。
「我々があんな反逆者共に尻尾を巻いて逃げると言うのかッ!?」
「しかし同志中尉……! 外は敵に囲まれています。 このままではなぶり殺しですよ……!」
「我々は決して祖国を裏切る卑怯者に屈しないし、逃げも隠れもしない!」
沙希は強く言い放つが、対して若い将校は泣きそうな顔を浮かべたままである。
「そんなこと言っても……! 俺は死にたくない! 捕まって見せしめのようになぶり殺されるのは御免だ!」
「貴様―――」
「やめろ、二人とも!」
「―――!!」
司令部付政治将校の一喝に、二人の応酬が止まる。
「我々まで仲間割れをしてどうする。 今の状況こそ我々が如何に生き残ることで、祖国を救う道に繋がるかを考えろ」
それに―――と、司令部付政治将校が続ける。
「敵が容易に突入を掛けてくるとは思えないことは、同志中尉が一番理解しているはずだ。 何せ我々には『それ』がいるのだから」
「……………」
沙希は視線を向ける。その先には―――手錠と腰縄で縛られた夏苗の姿があった。
「こいつが我々の手元にある限り、敵は―――特に間取の裏切り者は突入をしろと言うはずはない。 そうだろう、同志中尉?」
「……しかし、もし敵がこいつを見捨てたら―――」
若い将校が言う。そうだな、と司令部付政治将校が呟く。
「こいつが見捨てられた時、俺たちは終わりだろう。 だからそれまでの残された時間の間に、最善策を捜すんだ」
若い将校がまた泣きそうな顔を浮かべ、沙希はきつく唇を結んで夏苗の方を睨んだ。