表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
南北の海峡 -The Split Fate-   作者: 伊東椋
第三部 北の大地
32/63

30 亡き野望



 2014年12月4日午前10時58分―――


 薄暗い空は、まるで悲しみに暮れる人民の心境を表わしているようだった。

 党首死亡の特別放送が流れて以降、札幌は暗く静まっていた。弔問以外の活動を認められない国民は歌舞や娯楽を一切禁止され、政府が定めた哀悼期間に殉じていた。


 「私達の先頭に立ち、勇敢に道を示してくれていた同志党首が亡くなったことは国家や党、人民にとっては耐え難い損失だ。 しかし、私達は今こそ同志党首、そしてこれまでの先代党首が享受してくれた教えを果たす時である。 人民は一丸となって日の下に結束し合い、尊い革命精神を更に強く意識し、前に進むべきである。 私は君たちと共に日本人民の念願を叶える所存だ」


 冷たい風と雪が肌に突き刺さる気候に関わらず、札幌中心部の広場には大勢の民衆や軍人で溢れかえった。

 南の傀儡政権が愚かにも宣戦を布告した翌日、党首死亡の報から僅か3日の早さで日本共産党による追悼大会が行われた。全国民の3分間の黙とうを行い、他多くの車両や船舶が警笛を発したのを始めに開催された追悼大会は、日本人民共和国現首相の馬淵の演説で執り行われた。

 その様子を改めて放映する国営のニュース番組を見ながら、馬淵は満足そうに笑みを浮かべていた。その名演説は自分から見ても充分だった。演説は生放送されたが、後のニュース番組も演説を含めた大会の様子を報じ続けている。

 「私だ。 そっちの準備は万全だろうな?」

 自分の名演説を眺めながら、馬淵は電話を取った。電話の相手は次期党首に近い位置にいる党幹部だ。

 「次期党首の功績を大きく賞賛させ、前党首と同様に人民の最高指導者であることを宣言しろ。 先軍政治を何としてでも受け継ぐ体制に整え、他の幹部からも次期党首の忠誠を誓わせろ」

 馬淵は今後の体制移行の指示を下していく。馬淵は本来の職務以上の範囲に手を出していた。

 「良いか、同時に南日本への敵視姿勢を強めろ。 国民の関心を南日本打倒の方向に誘導するんだ」

 これまでの体制に不満を抱いていた輩は少なくないはずだ。党首の死亡により、その不満が体制打倒に傾く恐れがある。次期党首への体制移行を円滑に進めるには、国民の意思を操作する必要があった。

 これも祖国存続のため―――

 体制移行以前から陰で無能と囁かれてきた若い後継者を党首の椅子に据えるために、綿密な計画と準備が進められた。

 ロクな指導力を持たない次期党首を陰から操る存在が必要だ。

 馬淵はそう判断し、その役目を自分自身が担うことを決めた。

 しかし勿論本音の所は―――自分こそが真の指導者であると馬淵は自負していた。

 世襲という忌まわしい習慣で代々指導者の椅子に座ってきた一族などより、政治家としても有能で、かつ人間としての器が大きい自分こそが、祖国の指導者にふさわしい―――

 「党首は死んだ。だが国は生き続ける。我々によってな」

 半世紀に渡って築かれた北の楽園を、先達の想いを受け継ぐ大地を守るためなら、手段は選ばない。

 たとえ南の同胞や米帝と戦争になっても―――

 北日本はソ連を親とし復興と繁栄を遂げ、ソ連崩壊後は中国からの延命措置を受け、今や軍事を優先とする政治指導によって半世紀の存続を達成した。

 ロシア人や中国人、南日本人の手など最早必要としない、北日本人による国家運営―――そしてゆくゆくは日本全土を解放し、一つの『日本』の指導者になる日を。

 いつか日本の指導者となる。そんな夢を馬淵は抱いていた―――



 馬淵邸の外から、彼の様子をじっと見据える者たちがいた。全員が黒々とした姿を統一させている。

 北日本が誇る特殊部隊―――第803部隊の姿であった。

 「最終チェック終わり、全て異常なし―――予定通りだ」

 兵士の手元には、馬淵の電話に仕込んだ盗聴器を繋いだ受信機があった。

 馬淵の会話は全て録音され、兵士たちの手元にあった。

 声を受け、一人の兵士が窓の方に身を寄せる。黒いヘルメットから覗く白すぎる肌に、ひやりと触れる金属。狙撃の構えに入った土屋イリーナ上級兵士は海のように澄んだ碧眼でスコープを覗き込んだ。

 「失敗は許されない、一発で決めろ」

 「了解」

 イリーナは指の先までの全神経を集中させ、十字の中央に定めた目標を見据えた。氷のように冷えた精神は、イリーナを冷徹な狙撃手へと変えた。普段は気さくに振舞う彼女が、今やただ一つの獲物を狙う狩猟者と化している。寒い牢獄で肉体と精神を削ぎ落され、徴兵後孤独に生きてきた彼女の培ってきたもう一つの姿が顕現された。

 この一発の弾丸が、引き金が自分が願う未来に繋がると信じる。

 自分のように、理不尽に蝕まれ、苦しめられる子供が現れない未来―――

 「(リサや私が、普通の友達として、普通の学校に通ったりする、そんな未来……)」

 これは、その未来を次世代の子供たちに捧げるための、自分の罪を引き換えにした儀式。

 走行する輸送車の運転手を射殺した指に再びイリーナの思いが固まる。

 指の先が、引き金に触れた。

 「―――時間だ。 『狸を狩れ』」

 合図を耳にした直後、イリーナはただ引き金を引いた―――


 

 窓が割れる音を聞いた瞬間、馬淵は自分が撃たれたことを自覚した。着弾の衝撃で身を吹き飛ばされ、椅子から転げ落ちる。そばの机に置かれていたワイン入りのグラスが割れ、手に握っていた受話器が落ちた。

 「ぐ……かは……ッ」

 口の奥から溢れる血の味に、馬淵は床を這いつくばった。

 どかどかと雪崩れ込む軍靴の音。銃声と悲鳴。馬淵が何が起こっているのかを悟った。

 やがて馬淵の想像を決定付けるように、ドアを破って次々と兵士たちが部屋に雪崩れ込んできた。

 床に這う馬淵の目の前に、軍靴が現れる。

 「……貴様ら―――ぐふっ」

 血のかたまりを吐き出す馬淵は、尚も兵士たちを睨んだ。

 「閣下、貴方にはここで死んでもらう。 この国の未来のためにだ」

 「……この国の、未来……だと……ッ」

 「そうだ。 我々の目的を成就するためには、貴方は邪魔だ」

 だから排除する―――その兵士の言葉は、冷たく馬淵に振り下ろされた。

 馬淵は睨むようにぐっと顔を上げる。冷たく見下ろす兵士のそばには、外国人らしい女性兵士の顔が見えた。

 血の池が馬淵を中心に広がっていく。命が刻々と削られていく感覚を知りながらも、馬淵は彼らに憎悪を向けることを止めなかった。

 「長き間束縛された人民の怒りをその身を以て味わうが良い。 そして貴方は地獄の底から、自由へと解放される人民の姿をとくと見ているが良い」

 「………………」

 馬淵は震える手を伸ばし、兵士の足を掴もうとした。しかし手は届かず―――馬淵は事切れたように、がくりと伏した。

 「目標、沈黙。 任務終了」

 兵士の言葉が、周囲に溶け込んでいく。イリーナは悲しげに揺らした蒼い瞳で、動かなくなった憐れな男の末路を見下ろした。


 


 馬淵が暗殺されたとほぼ同時に、大規模の軍部隊が人民議事堂や主要の政府関連施設に押し寄せた。議事堂、官邸、政治総省を始めとした各省庁、交通や電気施設等、都市のインフラを担うほとんどが制圧された。

 12月4日午後12時、現国防大臣間取が軍部隊による今回の札幌占領に関連した声明を発表。自身を首謀者であることを明かした。それは一大臣による明白なクーデターだった。

 クーデターを実行した主力部隊は国防大臣直属の部隊である人民国防軍の首都防衛第一師団と同調した人民赤軍部隊、偵察局所属の特殊部隊第803部隊であった。

 特に第803部隊は今回のクーデターに最も陰で貢献した部隊だったと後に語られるようになる。北日本最強の特殊部隊と呼ばれてきた第803部隊は、間取が濃密に立てた計画の一環だった。

 国内の犯罪者等を集めた特殊部隊を懐に入れることは間取にとっても欠かせない計画の一端だった。間取の目に止まった第803部隊は、今回のクーデターの主力として重視された。

 

 ―――党の横暴とされた長い独裁政治、国民への厳しすぎる監視システム、これらの腐敗した政治体制への高まった不満、主要都市と過疎地の優遇の差、北日本の現状に彼らは決起したのだった。




 日本人民共和国・首都札幌・札幌司令部―――


 

 「あの女を解放しろ、だと?」

 札幌司令部の一室で、沙希は目の前の将校が放った言葉が理解できなかった。何かを諭したような表情を浮かべた将校を、沙希はぎろりと睨んだ。

 「はい、上層部からの命令です」

 「どこの馬鹿だ、そんな命令を発したのは」

 伏見宮陽和と共に捕らえた八雲夏苗の身柄。彼女は密出国者というこの国における最悪の犯罪者だ。

 「政治総本部を通じて抗議させてもらう。 名前を言え」

 「中尉、札幌は一時我々の占領下に入ります」

 我々―――軍は、首都を占領する。馬淵首相の暗殺、これまでの軍の行動を、沙希は知らされていないわけがなかった。

 「この司令部も命令に従い、議事堂等を占領した軍の配下となります。 中尉の権限は無効となります」

 「政治総省を―――いや、祖国を敵に回すというのか、貴様らは」

 「…………」

 将校は口を閉ざす。上からの命令であれば、彼は軍人として従うしかない。そしてこの国には、純粋に党や国を心から忠誠を誓っている人間はほとんどいない。

 体制に少しでも不満があったから―――その体制を打倒する動きに、反発を抱かないのである。

 

 「……卑怯者共め。 ここぞとばかりに反旗を翻すか、恥を知れ」


 「……中尉、やがて札幌は軍の支配下に落ちます。 穏便に―――」

 将校の言葉を遮るように、沙希は懐からそれを抜く。

 将校の息を呑む気配が伝わる。

 「我々が最も許せないのは、自国民の裏切りだ。 貴様がこの国を裏切ると言うのなら、私は政治将校として相応の処罰を科す」

 目と鼻の先にマカロフの銃口を向けられた将校は、緊張した面持ちで硬直する。沙希は冷めた瞳でジッと彼の顔を見据えてから、指を引き金に触れた。

 「……中尉、ここでそんなことをしてもどうせ無駄です。 もうすぐ部隊がここにも―――」

 将校が言い終わる前に、沙希は難なく引き金を引いた。

 渇いた銃声の後、胸を撃たれた将校が苦悶の表情を浮かべ、倒れた。血の池を広げた将校の身体は二度と動くことはなかった。

 足元に転がった遺体を見下ろした沙希は、踵を返して地下へと向かった。


 

 何日経ったのか既に数えるのを止めていた。薄暗い牢獄の中、夏苗は日夜両手を手錠がはめられたまま、冷たい床に寝ころんでいた。

 逃げた国に戻っても後悔はしていなかった。彼女が無事であることだけが、夏苗の望みだった。

 弟と、家族と過ごした札幌の寒さは、夏苗にとっては懐かしいものだった。

 ひやりとした床に寝ていた夏苗の耳に、牢屋の鍵が外れる音が聞こえる。

 視線を向けると、開いた入口には拷問で散々顔を殴ったあの女が見下ろしている―――

 「なに? また殴りに来たわけ」

 「口を開く許可を出した覚えはないぞ、屑が」

 彼女を見るたびに痛む頬や口、しかし夏苗はにやりと笑みを浮かべたまま、沙希を見詰めた。

 沙希はそんな夏苗の表情を気に入らないとばかりに目を細め、口を開き、命じる。

 「立て」

 「……ッ」

 自力で立ち上がる前に強引に立たせた夏苗を、沙希がその腕を強く引っ張る。そのせいで夏苗は衰弱した足取りで、よろよろと踏む。

 「もっと優しくしてくれない? 貴方に散々殴られたおかげで、立ってるだけでやっとなの」

 「本来なら貴様は既に、収容所で口も聞けないほど襤褸雑巾のようになるまで酷使されているか、銃殺刑を以て処刑されていた所だ。 今の自分の境遇がまだ幸せな方だと知れ」

 「ねえ、何を焦ってるの?」

 夏苗の言葉に、沙希はぎろりと夏苗を睨んだ。腫れた頬を浮かべ、夏苗は微笑む。

 「銃声、聞こえないと思ってた?」

 「……黙れ、雌豚が」

 沙希の声がどす黒く響く。しかし夏苗は初めてここに来た時と同様、全く動じない。

 「それ以上その小汚い口を開くようなら、もう一つ風穴を開けることになるぞ」

 夏苗の腕を掴む手とはもう一方には、マカロフを握る沙希の手があった。口を閉ざした夏苗を確かめた沙希は、そのまま夏苗を連れて地下を出た。


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ