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南北の海峡 -The Split Fate-   作者: 伊東椋
第三部 北の大地
30/63

28 聖断


 2014年12月1日午後21時23分―――

 日本帝国・帝都東京・首相官邸―――



 内閣内の閣議とはまた別途の上、真の国家最高会議に位置する御前会議を終えた葛島は、官邸の総理室にて一人椅子にもたれていた。

 宮城で開かれた御前会議では、帝国君主を始め、葛島を含めた各閣僚が臨席した。重い緊張感が張り詰めた会議は難航を極めたが、最終的に帝国君主の聖断の下に落ち着いた。

 「……これしか、本当に道はないのか」

 葛島が見下ろした紙面には、既に執筆された国家元首のサイン、そしてその下の内閣総理大臣のサインを記す空欄がある。

 この一枚の紙が、北日本への戦争宣言を告げていた。

 いくら陛下の聖断とは言え、袂を分かった同胞との戦争に再び踏み切ることは、果たして最善の選択なのだろうか。

 半世紀ぶりに戦火を交えた南北の日本。北日本の一方的な暴挙は、長い平和に転寝していた南日本をとうとう覚まさせた。

 

 ミサイルを撃たれ、軍艦を沈められ、多くの自国民を殺されても尚動こうとしない弱腰政府―――


 政府の醜態が晒されるに連れ、世論は日増しに政府への不満を膨張させた。

 北日本政府の虚言、第一特殊旅団の作戦失敗が決定打となった。政府は直ちに宮城にて御前会議を開き、帝国君主臨席の下、北日本との開戦を決定した。

 隠密での解決を断たれた後に残された道は、明白な武力行使への踏み切りしかなかった。

 

 葛島は総理室にあるカレンダーを見据える。


 12月1日。

 奇しくも、日本を南北に分断する遠因ともなった太平洋戦争の開戦を決定した日でもあった。

 




 池と全国の花に囲まれた宮城は一般人が入る込むことはできない正真正銘の聖域だった。たまに度胸がある、もしくは無知な者が無謀にも池を泳ぎ塀を昇ってニュースのトピックスに載ることもあるが、70年前から国民の象徴に在らせる帝国君主の城に簡単に入れるのは帝国政界の重鎮しかあり得ない。

 そのような国内で一番の聖域である宮城の会議室は、帝室にふさわしい彩りの立派な部屋だった。外は塀を囲む池も冷たくなる程の冬の冷気が漂っているが、室内に張り詰めるのは汗をかく程の重い空気。

 この冬は長く続きそうだ、と葛島は思った。

 「いい加減現実を見ろ。敵は我々との共存、平和共有を認めていない。報復に動くべきだ」

 「列島を再び戦火に包ませると仰りたいのか。一国家として、あくまで対話による解決を―――」

 「聞く耳を持たない相手に対話など不可能だ。貴方は押し掛けてきた強盗に話し合いが通じるとでも思っているのか?」

 最早感情論とも言えなくもない論戦が飛び交っている。ここが聖地と言うのなら、決してふさわしくない光景だろう。政治や軍事に加担しないと決めた“陛下”の前で、それらの役目を任された自分たちのこのような姿は、醜態を晒すことに等しい。

 御前会議には帝国君主を始め、総理大臣の葛島を中心とした内閣の閣僚たちが集まっていた。彼らは各々の思いをぶつけるように“陛下”の前で無遠慮に口を開いている。相反して葛島はまるで恥を感じるように口を固く閉ざしていた。

 政を一任された自分たちの失態が、このような場を作り出す結果を生んでしまったことをその一人に詫びるように、葛島は唇を噛んだ。

 

 ―――我々は陛下の期待を裏切ってしまった。


 葛島が内閣総理大臣に就任した当時、帝国君主から直々に任命され、帝国の政治指導を一任された。

 自身が内閣の首長として任命されることは、大戦の遺恨から、政治や軍事から離れる決断をした帝国君主の意志を継ぐということだった。

 何故、南日本の帝国君主は政治や軍事から手を引いたのか。

 それは守るべき国民を、そして国を亡くしてしまう所だった、あの戦争を経験しての決断だったのか。

 結果的に国は二つに分断し、その遺恨は半世紀もの間続いている。

 日本分断の責任―――

 古来より日本の頂点に立っていた皇は、あの戦争を境に、自らが指導者として立つ舞台を降りた。

 それ以降続く代々の“陛下”の意志を、我々は再び裏切ろうとしている。

 

 「……政治家の使命は、国民の生命と財産を守ることだ」


 今まで口を開いていなかった葛島の言葉に、一同の応酬がぴたりと止まる。

 それを睨むように、葛島は続ける。

 「それが戦争を起こさない平時においての我々の使命。 しかし、たとえ戦争が起こってしまったとしてもその使命だけは絶対に変わらない」

 葛島は今まで興奮していた一同の気を鎮めるように言葉を口に滑らせ、ある一人の重くも心地良い視線を意識する。

 葛島は、内閣総理大臣としての意見を述べた。

 抗戦派と和平派に分かれた内閣の不一致を、葛島は自身の意思を以て宥めつつ、目の前に臨席する“陛下”に伝えた。

 これらの分かれた意思を纏められるのは、唯一、その一人の言葉しか無い―――


 「―――朕の意見を皆に聞いてほしい」


 古めかしくも不自然ではない主君のやんわりとした言葉に、一同の視線が集中した。

 全員の視線が一人の男に集中する。70年前までは、その男に視線を向けることは国家の中枢に携わる者にしか許されない、国民が決して見たことがない皇の顔のはずだった。しかし今や本やネット上でいつでも写真は見ることが出来るし、たまにテレビに映ることもあり、直接姿を見せ肉声を聴かせることは造作もない。実際は純朴な顔つきで、微笑んだ表情がよく似合う特別どこも変哲もない男である。皇族の衣装を身にまとい、ぴしりとまっすぐに伸びた背で座するその男は、しかしどこか偉大で神々しくもその存在感を露わにさせていた。

 「その前に他に意見があるのなら先に申してほしい。 ないのなら、朕の意見を述べる」

 意外と普段では聞かない毅然とした言い方に、一同の緊張感が漂う。

 その中で、葛島は静かに耳を傾けた。

 「此度の件に関して皆は色々と疑義があると思うが、朕は此度の件が今後、好転することは限りなく至難である……と思う。そしてその過程において、朕は如何様になろうとも国民の生命を守りたいと願っている。先代宮様は当時の帝国を憂い、大いなる決断を下した。朕も今ここで、覚悟を決めるべきだと思っている」

 まるで一同の生唾が一斉に飲み下されたかのような一瞬が生まれる。葛島もさすがにじとりと汗をにじませた。


 「―――朕は国民の生命を守るため、北日本との戦もやむなしと認める」


 それは確かな、聖断だった―――



 “陛下”の聖断が、内閣の不一致を収束させた。

 葛島も、その聖断に異論はなかった。

 そもそも、今回の事態を招いた責任は自分にあると、葛島は思っていた。

 葛島は北日本に対しては、正直言ってあまり関心はなかった。

 関心はなかった―――というよりは、葛島が就任する前後にあった大震災などの国内に対する国策に躍起になっていた時期が重なり、南北問題は二の次だった。しかし目を離した隙に、それはいつの間にか悪化し、見過ごすわけにはいかなくなっていた。

 「私が悪いのか……私がもっと目を向けていれば、このような事態にはならなかったのだろうか?」

 国内は葛島の思う以上に混沌だった。溜まりに溜まった不況、様々な内情問題、大災害を発端に荒れ狂ったエネルギー問題、それらに対する国策を実施する過程で、葛島はただ自らの責務を全うしようと必死だった。

 誰しも失敗はある。しかし政治家に失敗はほとんど許されない。

 国家という舵を切っている政治家は、国民という大勢の命を乗せ、時代の奔流に向かって前に進む。

 だが、船を動かす船員は個人ではない。

 無責任な官僚が増えれば、船には未熟な船員ばかりになり、やがては動かなくなる。

 国家とは集団だ。個々は別としても、集団である以上、国家は簡単に堕落する。

 「総理、こちらにサインをお願いします。 既に連合艦隊は準備を整えております」

 あとは葛島のサインだけを必要とする宣言書を前に、防衛大臣が葛島を促す。北日本のミサイル攻撃があった時、うろたえていた防衛大臣は、攻撃許可を求めていた。既に御前会議の末に陛下から許可は取り付けている。後は国政担当首長である内閣総理大臣からのサインがあれば完全に軍事行動への裁可となる。


 戦後最大の決断―――と言いたい所だが、既に陛下の聖断が下されている時点で確定事項なのだ。それはわかっている。一番苦しむべくは、聖断を下した陛下ご自身だ。陛下の心情を察すれば、自分だけサインを嫌がれるわけがない。しかし―――

 

 「誰も……戦争なんて好きなわけがないんだ」


 聖断を下した陛下も、自分も、防衛大臣を含めた閣僚や国民も、そして北日本でさえも―――

 ただ、やらねばならない。

 それだけのことだ。

 戦争とは、やらねばならない時にやらなければならないだけなのである。


 「これが帝国にとって最善の選択なら、私は何のために政治家になったのだろうな」


 葛島は渇いた笑みを微かに浮かべてから、防衛大臣の目の前で戦争宣言書にサインした。


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