26 日の出前
2014年12月1日午前4時00分
日本人民共和国・厚真町沿岸―――
接岸した潜航艇から岸に上陸した第一特殊旅団の31人は闇夜に紛れるように前進した。時刻は午前4時を指していたが、日はまだ気配すら見せず、闇が周囲を支配していた。しかし彼らはそれを好都合と言わんばかりに、音も立てずに移動を開始した。
葉の揺れる音が聞こえる、森林がそばに見える田舎だった。彼らは岸から陸地に進むと、周囲を警戒しながら森の前へ進む。
音も立てず、周囲の警戒を怠らないままに。揚羽は部下に移動を命じる。手で合図し、その意図を察した兵士たちが行動に移す。未経験の地にも関わらず、浸透した見事な動きだった。
しかし彼らは運が悪かった。
彼らに非はない。もし本当の隠密な内の侵入作戦なら、彼らは問題なく潜入作戦を完遂させることが出来ただろう。
だが、彼らの作戦は既に隠密ではなかった。最初から気付かれていた。
それも知らない彼らの不幸な姿を、その眼はじっと草の間から見据えていたのだった。
特殊部隊には特殊部隊を―――この言葉は既に歴史が物語っている。
今や世界各国が特殊部隊の重要性を認知し、その充足に積極的だったが北日本も同様だった。休戦後の創設以来、内部の粛清を繰り返して充足された偵察局の存在、そしてその下に置かれた北日本特殊部隊の形。それは現在の第803部隊を形作った。
1968年に、北日本の特殊部隊が南日本国内に侵入したテロ未遂事件が起こった。彼らがテロを実行する直前に事態を察し、事前に防止することに成功したが、これを機に南日本で北日本特殊部隊の存在が明らかとなった。
当時の南日本内閣総理大臣は北日本特殊部隊の存在を危険視し、米国に事件に対する報復措置を打診した。結局ベトナムに躍起になっていた当時の米国の事情もあって具体的な報復措置は為されなかったが、南日本内閣総理大臣は帝国君主の許可を賜り、対北日本特殊部隊の準備を進めた。
そこで本格的に見直されたのが、第一特殊旅団の存在だった。大戦中、旧満州で生まれた第二機動連隊から始まり、北海道戦争でも活躍したこの特殊部隊は、再び国家の刀として補修するため、その充足が補われた。
当時の南日本内閣総理大臣は『特殊部隊には特殊部隊を』という理念の下に、南日本もまた優秀な特殊部隊を保有することを求めるようにした。今となっては、その甲斐あって第一特殊旅団は南日本最強の特殊部隊と化している。
実戦を経験した揚羽が唯一経験していなかったのが、祖国における『最前線』であった。海峡を挟んで南北両軍が睨みあう『最前線』は、所詮海であり、内陸でしか戦ったことがない揚羽にとって自国内でありながら縁が遠い場所だった。
その海を越え、敵地に足を踏み入れることすら揚羽にとっては初めてのことだった。そのための訓練は積んできたつもりだったが、現実は非常にも揚羽に厳しく試練を与えた。
揚羽は今、危機に瀕していた。
揚羽というよりは、部隊全体が危機だった。
「くそ! 五条がやられた……! 9時の方向に新たな敵!!」
東欧の紛争地帯から共に闘ってきた部下の声が銃声の合間から聞こえる。揚羽は引き金を引き、目の前から光る火線の根源に向けて射撃を続けた。
「このままじゃ囲まれる……! 少佐、後方へ退がりましょう!」
部下の声に返す余裕もない。揚羽は冷静に努めながらも、自分たちの状況の危機感に思案を巡らせていた。
特殊部隊とは軍事的に行動する通常の軍隊とはまた異なる存在である。政治的に行動するのが特殊部隊だ。今回は拉致誘拐された伏見宮陽和殿下の身柄―――その救出を目的に潜入した。過去に総理大臣の暗殺を目論んで侵入してきた北日本特殊部隊のように、第一特殊旅団が誘拐された皇族の救出を目的としているその任務は極めて高度な政治的思惑なのである。
だが、作戦は大きな障害にぶつかった。敵に自分たちの存在を知られ、衝突した。特殊部隊としては極めて最悪な展開だった。
「―――奴らは、私たちの存在を知っていたのか……?」
上陸した自分たちを迎えるように攻撃を加えてきた敵―――それは明らかな待ち伏せだった。
敵は明らかに自分たちが来ることを予見し、十分な準備を整えた上で待ち構えていた。待ち伏せとはいえ、南日本最強と自負される特殊部隊がここまで追い詰められているのだ。敵も決して只者ではない。
「奴らは一体なんなんだ……!?」
揚羽の耳には銃声の合間に、次々と嫌な報告が入ってきていた。
潜航艇にて潜入、上陸を実施してきた南日本の特殊部隊に対し、待ち構えていた第803部隊は交戦の末に制圧を成功させた。第803部隊側は3人を失ったが、南側は31人中23人死亡、8人を捕獲した。捕獲した内1人は小隊長であった。
「上陸した敵部隊を制圧。 死亡23、捕虜は8人だ。 上尉に伝えろ」
待ち伏せの指揮を執った乃木大尉は通信兵に命令した。戦闘を終え、厚真駅前の通信車内に移動した乃木は札幌への報告を自ら指示した。
上陸する敵の特殊部隊を制圧する―――第803部隊の乃木琢磨大尉が指揮する第3と第4中隊がその役目を担わされた。潜航艇の母艦である敵揚陸艦を人民海軍の潜水艦が監視し、その情報を視野に最後の準備を完了させた彼らは見事その役目を果たした。
「これで札幌も一安心だろう。 後は事の経過を見守るだけだ」
乃木は太い腕を組んで言った。その背後には、彼を凝視する若い女性将校が立っている。
「第803部隊の出番はまだまだこれからですよ、同志大尉。 自分だけ早く仕事を済ませたみたいに言うのはやめてください」
「死ぬほどの仕事を一段落させたんだ。 少しは気晴らしをさせてくれても良いじゃないか、浅間中尉」
「我々の本来の任務は、“死ぬこと”だったのではないんですか……?」
「……………」
第803部隊のリーダーの言葉。乃木は肯定も否定もしない沈黙を返事とする。
「ともかく上陸してきた敵の部隊は制圧した。 南の連中は不幸にも我々によってその希望をあっさりと挫かれたわけだ」
「それは違いますよ、大尉」
「ん?」
乃木のそばに浅間が歩み寄る。乃木は自分の肩ぐらいにある浅間の細い顔立ちに視線を向けた。
「彼らの希望を踏み台に、我々の希望が高みへ昇った……私はそう思います」
「そっちの方が酷いな。 しかし、死ぬ目的を持つ我々が希望などと、笑える話だな……」
「ふふ……」
浅間はそっと乃木に寄り添う。浅間の髪が微かに乃木の腕に触れた。その姿は二人の軍人としての関係から更に広がる枠組みを感じさせる。
「死ぬからといって―――必ずしも絶望があるわけではありません。 そこには様々な思いがあると、私は思います」
「お前の意見は、いつも俺にとっても決して否定できないものだな」
「しかし頷いてくれたことは、あまりありませんね」
「十分だろう?」
「卑怯です」
「どっちがだ」
二人は微かに笑い、そして通信車を出た。外はまだ薄暗く、日は昇っていない。だが、彼らはこれから日が昇ることを知っていた。日が昇った時、彼らの目的が成就されるまでの道筋が描かれ、そしてその道筋を自動的に進むことになるのだ。