24 上陸
最近プライベートの方でどたばたしていたので、更新が随分と遅れてしまいました。お詫び申し上げます。
2013年4月10日
東欧某国―――
古代文明の予言が杞憂に終わった年の東ヨーロッパは未だにEUとの経済格差を解決できず、更に旧ソ連・東欧社会主義体制の崩壊以降の蟠りが膨張し、今や冷戦崩壊時と比べ最悪の情勢と化していた。
東西冷戦の終結を見た世界。だからと言って全ての戦火が消え去ったわけではない。戦いのステージは更に細分化し、世界中に火種として散らばったに過ぎなかった。そして冷戦終結時に最も影響を受けた東ヨーロッパの情勢が再び不安定化することは明らかに目に見えていた。
これもまた一つの冷戦終結の印なのだと、世界各国は事態の解決に淡々と事を進める。そしてその手段として最も安易な方法が軍隊の派遣だった。
国際協調に賛同している一国として南日本も例外ではなかった。自身も冷戦の最も所縁ある国でありながら、同じく冷戦に所縁のある地域、国に軍を派遣することになるのは皮肉なものだった。
「おい、息が荒いぞ。 少しは落ち着け」
肩に日の丸のある迷彩服とごつごつとした武装に包んだ身を、彼らは横転した車両の陰に潜ませていた。絶え間なく響く敵の銃声より、部下の震える呼吸音が彼女にとっては不快だった。
「まったく、男の子が女の前でそんなに震え上がっちゃって。 本番は相当苦労するわよ、あなた?」
第一空挺団第一分隊に所属する揚羽は、そばで震える実戦経験の無い新米兵士に軽い口調で叩いた。他のベテラン兵士は敵に襲撃を受けているという状況にも構わず、揚羽のように軽いノリで笑っていた。
「少佐ほど強い女を前にしたら、どんな男も震え上がりますよ」
「言うわね。 でも、私は下になるのも割と好きよ?」
「この状況を抜け出せるのなら、信じてやっても良いですよ」
国連の平和維持軍として降り立って3日目。近場のロシア軍基地への移動中、町の門に入った所で敵の待ち伏せに遭い、揚羽たちの部隊は立ち往生していた。
「もー、早速一台分の税金が吹っ飛んじゃった……あいつら、この国じゃプール付きの豪邸を買える程の値段だってわかってやっているのかしら?」
「まぁ、これからその豪邸幾つ分の弾を奴らにお見舞いすることになりますが」
そう言う彼の足もとには、輸送車で運んでいた武器や弾薬があった。
「平和維持軍の中で東洋人なのは我々だけですから、余程目立っていたのかも」
「ふん、アジアを舐めないでよね」
そう言って、揚羽は89式自動小銃の安全装置を解除した。同時に、周囲の兵士たちの表情が固まる。
「国は戦争をしたことがなくっても、個人レベルではそんなことはあり得ないんだってことを、奴らに教えてやりましょ」
揚羽は89式小銃を構え、車両の陰から飛び出した。火線が走る揚羽に集中する。だが、揚羽は難なく近くに置いてあった現地の車の陰に滑りこむことに成功した。
その瞬間、兵士たちの小さな歓声がどよめく。揚羽は距離を近付けた地点から、射撃を開始した。
揚羽は次々と火点を潰していく。その間に、兵士たちも揚羽の後に続いた。
「おら、いつまで怖がってんだ! 行くぞ!」
「う、撃たれる! 弾に当たっちまいますよッ!?」
未だに震え上がる新米兵士の胸倉を強引に掴み、怒鳴り付けるベテラン兵士。
「びびろうが落ち着こうが弾は来るんだよッ!!」
そして彼に蹴り出された新米兵士も、銃撃の中を必死になって駆け抜ける。その後を残りの兵士たちも続き、銃撃戦は激しさを増した。
「五条少尉と童貞クンは?」
「あっちです」
揚羽の新米に対する仇名に苦笑しながらも、兵士は近くのビルの窓に指を指した。
揚羽たちのもとに辿り着けなかった彼らは近場のビルに身を潜め、弾倉を装填している所だった。
「敵の銃声でびびり、やっと撃ったとしても無駄弾ばかり。 それが新米ね」
「しかしこういう本物の修羅場を経験できるのもそうそうありませんよ。 このような紛争地帯か、我らの“最前線”でない限り……」
「それもそうね」
車両の陰に隠れていた敵の姿が現れた。手榴弾のようなものを手に、こちらに向かって振り被ろうとしている。敵が手榴弾を投げる前に、揚羽は一撃をお見舞いした。
敵は手榴弾を手に抱えたまま倒れた。爆発音がすると、黒い土煙が噴き上がった。
「ハチヨン、用意!」
スウェーデンのFFV社で開発された無反動砲。口径は84mm。帝国陸軍では84mm無反動砲として採用され、帝国陸軍の部隊では通称として『ハチヨン』や『無反動』と呼ばれている。
採用当初は輸入として導入されたが、途中からライセンス生産し89mmロケットランチャーに代わる歩兵携行用対戦車火器として調達。イラクなど中東への人道復興支援活動で派遣された際には、宿営地に対する自動車突入などのテロ対策用小火器として持ち込まれた。
「ヨーイ」
普通科の兵士が黒光した弾頭を構え、引き金に指を触れる。揚羽たちが援護射撃を実施する合間に、攻撃目標への狙いを定める。
敵の銃口がハチヨンに向けられると、すぐに銃弾をその胸に打ち込む。
揚羽たちの作った時間は充分だった。
「撃ッ!」
兵士の後方にある小石を吹き飛ばす程の爆風が噴射し、弾頭が発射される。無事に射出された弾頭は真っ直ぐに敵の方に直進し、敵が集中する箇所を爆炎に包みこんだ。敵の断末魔が爆発音に掻き消され、あらゆるものが炎となって飛び散った。
戦果を肉眼で視認すると、揚羽はハチヨンを構えた兵士にぐっと親指を立てた。
しかし数は少なくなったとは言え、敵の銃撃は止まらない。
それに随時応戦していると、揚羽たちのもとに通信が入った。
「少佐、10時の方向からロシア軍の援軍がやって来ます」
「了解。 総員、友軍誤射には注意しなさいよ?」
揚羽は、射撃を続ける敵の方に視線を向ける。
「敵はまだS地点に続く路上の北方向にいる。 ロシア人に教えてやりなさい」
「了解」
通信機を手にした兵士は、国連軍事規約に従い、国際公用語である英語でロシア軍の援軍に通信を取る。それから大した時間も要しない内に、やがて頭上からヘリのローター音が聞こえるようになった。
「10時方向に、ハヴォック! ロシア軍です!」
黄土色の土煙が舞う頭上を、2機の攻撃ヘリコプターが姿を見せた。Mi-28。ロシア空軍の攻撃ヘリコプターだった。
空を獰猛に吠えながら飛行するハヴォックに対し、敵は混乱に陥っていた。敵は何事かを叫びながら、攻撃ヘリの飛来に右往左往している。
揚羽たちは頼もしい援軍の到来を歓迎する。複座式のコックピットには、ロシア軍のパイロットの顔が見えた。彼らは揚羽たち帝国陸軍の兵士たちに一目も向かず、ただ敵を眼中に捉えていた。
機首下にあった機関砲が火を噴く。地面を抉るような豪快な射撃が敵の頭上に降りかかった。30mm機関砲の射撃があっという間に敵の身体を抉り、肉片を一つ残らず喰らい尽くした。射撃が収まると、敵がいた場所にはずたずたに引き裂かれた地上があるだけだった。
「ロシア軍機から報告。 敵を殲滅」
「さすがロシア。 敵に対する容赦ない鉄槌は本物ね」
揚羽たちの頭上を、ハヴォックが通りかかり旋回する。ハヴォックの30mm機関砲は戦車をも簡単に撃破できる。人間などひとたまりもないだろう。あれが味方なら心強いが、敵としてこちらに向けられたらたまったものではない。
「再びロシア軍機から報告。 基地までの道中を援護するとの事」
「あら優しい。 ロシアの用心棒以上に頼もしいものはないわね」
揚羽はにっこりと笑い、ぴっと敬礼の手で捧げた。
「支援に感謝すると伝えておきなさい。 それじゃあさっさと行くわよ」
「了解」
2014年12月1日午前0時02分
北方軍事境界線1km 南日本領海内―――
月の光に反射した三角波が境界線上に浮かび上がり、空と海が夜の暗闇の色に統一されることを辛うじて防いでいた。
そしてまた海に浮かび、ぽつりぽつりと点けている船灯が、浮遊物があるという主張でそこに海面が広がっていることを語っていた。
真っ暗な艦橋に恍惚と輝く電子海図は、海上に定められた見えない境界線との距離を細かく割り出す。電子海図の端には0.621...と、miを最後に細かい数字の羅列を表示させていた。
「軍事境界線まで約1km」
時刻を確認し、当直士官の一人が僅かな灯りに照らされた海図台の上に鉛筆を走らせ、記録していく。その様子を見守った艦長の烏丸中佐は闇夜が広がる前方に視線を向けた。
帝国海軍の強襲揚陸艦『土佐』は、米軍のタラワ級と同様に全通甲板とウェルドックを共に持つ艦として建造され、全長は約200mにも及び、全幅は31m、吃水7m、基準排水量14300tの南日本最新鋭の強襲揚陸艦である。
艦載ヘリを10機程度を搭載できる点に加え、格納庫の後方にはウェルドックがあり、LCACなどの揚陸用舟艇を収容できる能力を兼ね揃えている。地震や台風など災害に見舞われやすい南日本においては、本艦の土佐級は揚陸任務に限らず、災害派遣救助にも活用されている。
海洋国家として強襲揚陸艦を含む海上戦力の充足、増強は南日本には必須な事項ではあるが、それは潜水艦の例もある北日本も同様だった。
同じ立場などを共有する南北に分けられた二つの日本は、互いを睨んだ上の軍事力の増強の連鎖に抜け出せないでいる。
「北の連中が、0.001mmでも侵せばまた吹っ掛けてくるという忠告のままに、俺達はここまで近付くのが精一杯だ。 目的地は近くはないが、あとは自分たちで行ってくれ」
「ここまで運んでくだされば充分です」
必要最低限の光しか灯されない艦橋の中、烏丸と迷彩服を着た羽山が並んで立っていた。
強襲揚陸艦『土佐』は、北日本潜入の任務を帯びた第一特殊旅団を、北海道太平洋沿岸の近海までの運送屋の役割を果たしてみせた。
彼らがどれ程の特殊部隊かは烏丸もあまり知りはしないが、少なくとも何十マイルと離れた北日本の地まで自力で渡れるほどの能力は有しているということだ。
書類上は帝国陸軍の特殊部隊でありながら、実態は確かに陸海空を制覇したと言っても過言ではない高い能力を持った集団だった。彼らは特殊潜航艇による高度な潜入作戦も遂行可能なのだ。今、『土佐』のウェルドッグに鎮座する特殊潜航艇『海龍』に、彼らはもうすぐそれに乗り込んで、現代の南日本人がほとんど足を踏み入れたことがないだろう未知の領域に向かう。
先の軍事衝突により、緊迫化した南北情勢―――彼らの存在は、一歩でも間違えれば南北日本の爆弾を爆発させることになりかねない。あれ以来明確な軍事衝突は無く、政治的緊張から徐々に元に戻ろうとしているが、全面戦争の火種はまだ完全に消えたわけでは全くない。
あの北の独裁者の気分次第で、再び南北の間で砲弾が飛び交うことは充分にあり得るのだ。国を守る軍人としては、これ以上の緊張感はない。
目の前にいる彼らの存在が、祖国と殿下の救世主となるのか、戦争の導火線を点火する火種になるのか、それはまた彼ら次第なのだ。
「何もかもが初めてなことです。 ただただ、武運を祈ることしかできません」
「そういうものです。 我々のような組織などは何でも初めて尽くしです。 その『初めて』が来ないことが一番良いのですが、その『初めて』に即時対応し、遂行するのも我々の仕事です」
暗闇の中で、うっすらと見える羽山の顔がゆっくりと烏丸に微笑みかけた。
「祈ってくれるだけで、我々は充分やれます。 あとは任せておいてください」
「……ええ」
烏丸は男の微笑から、不屈の頼もしさが見えた。さっきまでの不安がいつの間にか消え失せ、烏丸は安心と共に、羽山に真っ直ぐに想いを向けた。
「―――殿下を、宜しく頼みます」
制帽を取った頭を見せた烏丸に対し、羽山はぴしりと敬礼して応えた。
2014年12月1日午前3時35分
日本人民共和国・胆振総合解放地区・厚真町沿岸―――
元々は海洋調査を行う海洋局の深海調査艇を帝国海軍が独自にスケールアップと同時に改良を施した小型潜水艦である。最大で11人が搭乗可能の特殊潜航艇『海龍』は、北日本の小型潜水艦に劣らない隠密作戦能力に優れた艇だった。
第1小隊の面々が乗った1号艇が、先頭を切って前進する。
そんな潜航艇艇内―――
最大で11人が乗れると言っても、艇内は狭いことに変わりはない。深海に耐えうる強固な外板を挟み、限られたスペースの中で身を寄せ合う武装した彼らに、巽揚羽少佐は舌舐めずりするような笑みで振り向いた。
「諸君、おはよう。 よく眠れたかな」
軽い挨拶のように、揚羽は皆の視線を浴びた矢先に口を開いた。
「だが、これから少なくとも24時間はほとんど不眠不休で働いてもらうことになるわよ。 あの天国のようなベッドに戻れるかは諸君次第だ。 まぁ、これは訓練でも同じことを何度か言ったことがあるかな」
艇内に短い笑いが起こる。
それが収まると、揚羽はまるで演説のように腕を広げるという動きを見せながら、言葉を並べた。
「今回は我々にとっても特殊な実戦となるが、諸君は帝国最強の特殊部隊であることを改めて肝に銘じてほしい。 我々はこれより、日本から日本の地へ足を踏み入れる。 行く先も日本だが、そこは我々の知る日本とは違う。 忌まわしき大地ではあるが、歴史を紐解けば、確かにその地も我々の故郷足る日本の大地なのだ」
圧倒的な国力の差がある米国を相手に仕掛けた無謀極まりない戦争の果てに、ようやく講和を掴んだ大日本帝国に起こった悲劇。ソ連軍の侵攻。不可侵条約を破棄したソ連軍の不意打ち的侵略により、それまでに培ってきた帝国の三分の一の領土を奪われた。講和の果ての、国家の分断。冷戦が終結し、日本を割った張本人のソ連が滅んでも、日本列島には二つの日本があり続けた。
「我々が行くのは、旅行でも戦争でもない」
揚羽はかつて東欧の紛争地帯にいた経験、記憶を思い出す。今度は我が国の“最前線”である。これから向かう先には、国連の平和維持軍も、素人のゲリラもいない。
潜航艇が敵の索敵に引っ掛かる可能性は充分にあった。だが揚羽は遠慮なしに声を上げる。そして彼らもそれを恐れず、海岸に近付いていく艇に身を寄せ、その振動に興奮をふつふつと沸かせながら、待ち続けた。
そして遂に、もうすぐ開けるハッチを目の前にして、揚羽は叫ぶ。
「これより我々は、殿下をお迎えにあがる! 第1小隊、行くぞッ!!」
接岸を意味する振動が伝わり、その直後に揚羽の声に対し、彼らの興奮染みた応答が響いた。ハッチを開け、迷彩色の戦闘服に完全武装を施した彼らは次々と外に向かって飛び出していった。
■解説
●Mi-28
ロシア空軍が運用する縦列複座式攻撃ヘリコプター。NATOコードネーム名は『ハヴォック』
ロシアのM・L・ミーリ記念モスクワ・ヘリコプター工場が開発。Mi-24のような兵員輸送能力は無く、純粋な対戦車作戦用攻撃ヘリとして設計されている。これによって最高速度がMi-24より向上し、敵戦車、ヘリコプターへの攻撃や味方のヘリコプターによる揚陸作戦における援護といった場面において、より高い戦闘能力を発揮する設計となっている。
一度は次期対戦車ヘリコプターとしてカモフ設計局のKa-50を採用することを決定した当時のソ連軍の方針により開発は中止されたが、財政難によりKa-50の生産、配備が進まないこともあり、開発計画は続行されることとなり、派生型も生まれ現在に至る。
●ハチヨン
カールグスタフ。帝国陸軍では84mm無反動砲と言う。部隊内の通称では『ハチヨン』や『無反動砲』と呼ばれている。
スウェーデンのFFV社が開発。
携帯型対戦車火器としては旧式化したため、改編された部隊を中心に軽MATにより更新されている。しかし、未更新の普通科部隊では未だに主力火器として部隊配備が継続されている他、軽MATの配備により余剰となったものは特科・機甲・施設・後方支援部隊の自衛火器として管理替えされ、現在も第一線で使用されている。
●『土佐』
帝国海軍の強襲揚陸艦。
米軍のタラワ級と同様に全通甲板とウェルドックを共に持つ艦として建造され、航空母艦に続き、帝国海軍において遠距離作戦能力の強化として見込んでいる。
最大の仮想敵国である北日本を始め、中国や朝鮮国との有事も強く想定した艦という意見もある。
最大で艦載ヘリを10機搭載することが可能で、揚陸艦というより、ウェルドックを付加した艦として、ヘリ空母としても運用できる一種の多目的艦といえる特徴も持っている。
土佐級揚陸艦は、ハリアーII、F-35B等といった垂直離着陸機の運用が可能な甲板スペースと格納庫を持っているため、スキージャンプの設置など所要の改造を施せば軽空母として転用することも可能であると見られる(しかし南日本政府は既に航空母艦を保有している点を踏まえ、土佐級を固定翼機を搭載する航空母艦として使用する予定はないと明言している)。
●『海龍』
帝国海軍の特殊潜航艇。元々は海洋調査等を目的とする海洋局の深海調査艇をスケールアップと同時に小型潜水艦として改良を施したもの。敵地への潜入、上陸に長けた高い特殊作戦能力を持っている。
ロシア軍のヘリコプターのカッコ良さは異常。